少女マンガの皮を被った少年マンガ

姫園れい子
「ゾンビ屋れい子」主人公


ゾンビ、と聞くと、大抵の人がロメロの映画に代表される、復活した死者が徘徊し、生きた人間の肉を喰らう…肉を喰われた者もゾンビになる、という様なモノを想像するだろう。最近ではゲーム「バイオハザード」に代表される科学実験やらで感染したモノも同様にゾンビと呼ばれている。ゾンビとはそもそも西インド諸島発祥のブードゥー教の「死者を蘇らせ意のままに操る」という呪術であり、「霊幻導師」のキョンシーとある意味似たような存在だ。ちなみにサバイバルゲームでも弾が当たっている(ゲーム内では死亡扱い)のにズルをして攻撃を続けたりする人(「ラブやん」のジャモジさん状態)をゾンビと呼び、忌み嫌っているんだとか。(笑)

ブードゥー教でのゾンビとは、フグ毒の主成分テトロドトキシンから作られるゾンビパウダーと呼ばれる秘薬を生きている人間に塗り、仮死状態になった所で土の中に埋葬し、酸欠によって脳の機能を停止させたものだ。ちなみにこのゾンビ、文句を言わず黙々と働く貴重な労働源として農園等で奴隷の様に使役させられており、実際に西インド諸島のハイチでは、兄の陰謀でゾンビにされ、戸籍上でも死んだ事にされた上で他のゾンビ達と強制労働をさせられた、と訴えた人物がおり、イギリスのBBCでドキュメンタリーが作られた他、日本でも「特命リサーチ200X」にて紹介されたことがある。勿論真偽の程は不明だが、このゾンビ生成の元となるゾンビパウダーは国家秘密であり、その秘密を海外へ持ち出そうとした者は命を狙われる、なんて都市伝説まがいの噂もある。ともあれ、死者の復活、ないし復活した死者というネタはミステリアスな魅力を秘めており、とかくクリーチャーとしては使い勝手が良い存在なのだろう。

今回紹介する「ゾンビ屋れい子」は、ぶんか社の月刊漫画雑誌「ホラーM」に連載されていたマンガだ。世間一般的に、ホラー漫画誌という奴は区分けとしては少女マンガに属し、確かに連載されているマンガのキャラクターも線が細く、少女マンガ的である。まぁ、私個人の狭〜い経験則から言うと、怪談やらの幽霊話などに強い興味を示すのは確かに女子の方が多いのでそういう区分けなのかも知れない。まぁ、最近では少女漫画的な少年漫画もあれば、青年漫画も真っ青な描写のあるレディースコミックとかもある訳で、この辺の与えられた境界というのは在って無きが如く、なのだが。

さて本題。「ゾンビ屋れい子」は文庫版での区分けを用いると、「百合川サキ編」「姫園リルカ編」「スターコレクター編」「雪女編」「イーヒン編」「カミーラ編」という6編に分けられている。もっとも個人的には連続である「スターコレクター編」と「雪女編」は基本セットであるし、別途で紹介する百合川みどりのエピソードは単発的ではあるが重要なエピソードでもあるので独立させても良いと思う…と、要するに文庫版の区分にちょっと違和感があるのだが、まぁそれは良いだろう。

そして、ココが「ゾンビ屋」で気をつけたい部分なのだが、編単位での方向性が「百合川サキ編」と「姫園リルカ編」で大きく隔たりがある、という点だ。「百合川サキ編」においては主人公であるれい子の稼業である「ゾンビ屋」そのもの…依頼を受けて死者を復活させる、というネタを中心に、彼女の周囲の人間が事件に巻き込まれたのをゾンビ屋としてれい子が解決する様等を描いている。つまりは一昔前で言うジャンプの「アウターゾーン」や最近では「涅槃姫みどろ」的な展開だった…といっても内容はホラー漫画誌連載らしく、よりダークでブラックユーモア的であったが、それでも割と正統派ともいえるものだったのだ。それは主題とも言える連続幼女殺害犯・百合川サキの登場&対決でも守られており、その結末も含め、見ようによってはこの「百合川サキ編」だけで別マンガ、と言っても過言ではなかったりする。勿論この編の結末が続く姫園リルカ編にも受け継がれ、「百合川サキ編」のラストにある重要なポイントが「姫園ルリカ編」でのクライマックスに影響を及ぼしたりもするのだが、「百合川サキ編」と「姫園リルカ編」ではかなり違うマンガになっているのだ。

具体的に説明していくと、「百合川編」では怪奇心霊ネタに「13日の金曜日」に代表されるようなスプラッタムービー的な味付けをした印象なのだが、「リルカ編」以降はマンガのノリが少年誌的なものに変貌しているのだ。死者を復活させる能力に関しては主人公のれい子とその姉・リルカのみの能力として貫かれたが、「リルカ編」以降は、体の何所かに星型のマークを持つ者がゾンビを召喚、使役出来る、という設定が追加され、基本的に物語はこのゾンビ使い同士のバトルによって進行していく事になり、B級ホラー映画的な味付けをした「ジョジョの奇妙な冒険(3部以降)」といったイメージだろうか…完全にホラー漫画というジャンルからは逸脱していくのである。もっともココこそが「ゾンビ屋れい子」が男受けする理由の最たるものだろう。余談ではあるが、「百合川編」が終わって以降、登場キャラクターもビジュアル的に少女マンガ的な画風から、少年誌風…というか、パッツンパッツンのムッチムチボディに変貌している。(竹露のみナゼか幼児体型化するが/笑)特に百合川サキなどゾンビ化の前と後ではパイオツ(死語)の大きさがもうすんごい事に…。これも画風を作風に合わせての事で…って作者が趣味に走っただけかも知れないが。

登場するゾンビ一つとってみても、腕が4本あったり、ギロチンだったり、火を噴く龍であったり、戦闘機パイロットのゾンビが戦闘機ごと召喚されたり、と最早ゾンビなのか分からないアレな存在もあるが、そんな疑問も破天荒なアクション描写、随所に散りばめられたジョーク、アクが強く一筋縄ではいかないキャラクター達によってそんなモノは気にならなくなってしまう。この作風なら別にホラー誌ではな一般少年誌でも…という気もしなくはないが、一般誌ではやれないスレスレのグロ描写も立派にこの作品の魅力であるからして、恐らく一般誌でこの展開を割と健全に展開していたなら…カルト的人気という限定的ではあるが、高い評価は得られなかったであろう。そういう意味で言えば、「ゾンビ屋れい子」とはホラー誌だからこそ出来た少年誌的マンガと言えるんじゃないだろうか。

そんなこんなで非常に面白い「ゾンビ屋れい子」ではあるが、このマンガ…正直な話、読んだ後にな〜んにも残らないのだ。それはもう清清しいまでに。ホント、じぃぃぃぃぃん、と感動したり、うーん、と考えさせられたり、うぉぉぉぉぉっ、と泣けてきたりする事は…ないのだ、「ゾンビ屋」では。いや、強いて言うなれば、あ〜面白かった、というモノは感じる訳だが、基本的に「余韻」という奴はこのマンガには無い…というより、感じられない。コレを紐解く鍵は、三家本礼先生の最新作「サタニスター」のオマケマンガにてネタにされた、氏のこんな言い分である。

「マンガにおけるメッセージ性」について考えてみようと思います。
「おもしろいマンガ」であるだけでなく、高尚なメッセージが内容にこめられていることまで求める人もたまにいますが…
描きたくないですって!!そんなの!!
自分が読み手の立場だったら作り手からいちいち「ああせい、こうせい」とかいわれたくないしさ!!マンガは娯楽!!
(以上:ぶんか社「サタニスター」内「みかもとまいにち日記」より)


この言葉、「ゾンビ屋れい子」を読んだ後、「面白かった」という事意外何にも感じない理由であり、と同時に「ゾンビ屋れい子」が面白い理由でもあるのだと思う。
正直、この作品の作風はお世辞にも褒められたモノではない。ある意味その場まかせ的に勢いで見せる、というのは故・石川賢先生の作風にも通じるものがあるかも知れない。作者自ら公言している様に、テーマ性といったものは無いし、ネタとしてもグロ、エロ併せ持つ…PTAといったヤカマシイ連中の目の届く所に置くのはその反応を想像するに大変もったいない作風だ。だが、不健全だからこそたまらなく面白い、という要素…一種の背徳感が「ゾンビ屋」にはあるのだ。酒、タバコ、脂ギトギトの肉、濃い味付け…体に悪いもの程ウマい、というのと同じ原理かもしれないが、幾多の作品があっても意味が無い、描ききれる訳でもないテーマ性だのメッセージ性に泥濘している間に、ポ〜ンと出てきちゃった作品…だから、頭カラッポにして楽しめるマンガになったのではないだろうか。三家本氏の言っている通り、ゴチャゴチャとお題目並べたってツマランモノはツマランまま…そういったモノに必要以上に泥濘してしまうのは、ある種作家のエゴであろう。それを全くせず、勢いだけで駆け抜けた「ゾンビ屋」は、実はホラーM誌がより大人向けを目指した時に、潔く最後を迎えた。しかし文庫版のカバーにコメントしている通り、三家本氏自身は「実は未練がある」らしい。その辺の敵討ちを、最新作(H19.8現在)の「サタニスター」では大いにやって欲しい所だ。

…と、今まで「ゾンビ屋れい子」にテーマ性、メッセージ性は皆無、あるのは娯楽性のみ、的な事を書き綴ったが、実は読後感が「面白かった」だけではないエピソードが1つだけある。それが、上でちょっと触れた百合川みどりのエピソードだ。

百合川みどりは連続幼女殺人犯である百合川サキの実の妹で、幼い頃サキから虐待を受けており、それがきっかけで植物人間になっていた。しかしサキの死後、みどりは10年間の眠りから目覚める。しかし連続殺人犯である姉の存在により、世間から蔑まれていた。そんな彼女を救ったのは彼女の主治医・秋山だった…というのがアラスジであるが、このエピソード…かなり救いの無いバッドエンドなのだ。このエピソード自体はかなり短い尺ではあるのだが、その中で描かれる親子、姉妹…そして友人という人としての絆というものが、ちょっとした綻びで悲劇に転じる、というのはかなりリアリティがあり、やるせない。

上で「サタニスター」のオマケマンガを見ると、三家本氏は「メッセージ性のあるマンガは描けない」的な印象を少なからず受けてしまう(そもそも本人が自虐的にネタにしている訳で)のだが、実は描けるけど描いていて面白くないからやらないだけなのかも…と思わせるだけのインパクトがある。

そんなこんなで、相変わらず「姫園れい子」というキャラクターについて何にも語っていないコラムになってしまったが、コレを読んで「ゾンビ屋れい子」に興味を持った人は是非読んでみて欲しい…と言っても、書店なんかではあんまり置いていないのが現状だったりもする。三家本氏の作風に触れたい、というのであれば、現在(H19,9)ホラーMにて連載中のリッパーホラー「サタニスター」をオススメしておく。コチラも三家本氏らしいハードバイオレンス&ブラックジョークが炸裂するイカした(れた?)マンガなので、個人的にもかなり期待している。


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