魔王になるしかなかった男

オルステッド
「LIVE・A・LIVE〜中世編〜」主人公


「LIVE・A・LIVE」というゲームを知っているだろうか?
「ドラゴンクエスト」と並ぶRPGゲームの雄、「ファイナルファンタジー」を世に送り出したスクウェアが今からほんの何年か前に発売していたスーパーファミコン用ソフトである。このゲームは「原始編」「功夫編」「西部編」「幕末編」「現代編」「近未来編」「SF編」という7つの異なる舞台、異なる主人公を持つショートオムニバス形式のRPGであり、それぞれの編のキャラクターを当時小学館のマンガ雑誌で連載を持っていたマンガ家が担当した事で話題を呼んだ。もっとも、そのキャラクター達はゲームには殆ど反映されておらず、パッケージや説明書のイラスト程度しか見せ場がなかったのだが…。

まぁ、ゲームシステムはお世辞にも練り込んだものとは言い難く、各編もそれぞれの特色を打ち出してはいるものの、そのバランス自体はあんまり良くは無い。当時発売されていた雑誌等でも、10段階評価で好意的に見て7点が良い所で、平均は6〜4といった所であったと思う。

そして、「LIVE・A・LIVE」の直後に同じくスクウェアから発売が決まった鳥山明氏がキャラクターデザインを手掛けたゲーム「クロノトリガー」の登場で、いよいよ無かった事にされそうな作品であった。当然、売上はお世辞にも良いとは言えず、今じゃすっかり忘れ去られているゲームと言ってしまってもいいかも知れない。

しかし、私はこの「LIVE・A・LIVE」を決して忘れることが出来ない。上でも述べている7つの編だけであったなら、流石に私の中でも「イビツなオムニバス式のゲーム」で終わってしまっていたのだろう。しかし、その7つの編をクリアしてからプレイ可能になる「中世編」、この存在がその評価を根本から覆してしまうのだ。

数多くのRPGはいわゆる「剣と魔法の世界」が舞台である。近年ハードの進歩と映像技術の発達でその体制は徐々に崩れつつあるが、当時は「ドラクエ」はもちろん「ファイファン」も中世風な世界を舞台にしたものであったのだ。

そして「LIVE・A・LIVE」の中世編もそういった要素がふんだんに盛り込まれていた。城を挟んで西に「勇者の山」、そして東に「魔王山」、勇者の山の頂上にある「勇者の剣」、そして「魔物に拉致される王女」…もはやヒロイックファンタジーの王道とも言うべき設定を持つ。

更に、ゲーム冒頭の展開も、国王が主催する武闘大会に優勝した若き勇者オルステッドは、王女アリシアと結ばれる。しかしそこへ魔物が現われ王女をさらっていく…そして、王女を助ける為にオルステッドは親友でありライバルの魔法使いストレイボウと共に魔王山に向かう…「中世編」は、こんなステレオタイプと言っても良いほどのお約束の幕開けをするのだ。

しかし、実際ゲームを進めていくと、なんとも言えない違和感に駆られる。いや、それはプレイヤーとしての不安そのものなのであろう。

魔王山での親友との離別、そして王の死…。
更に王殺しの罪を被せられ、投獄されてしまう主人公…。

この手のゲームにおいてのお約束は、「主人公は死闘の末に見事魔王を倒し、王女を無事助け出しました。めでたしめでたし」というものである。例え苦難が待ち構えていようとも、勇者(=プレイヤー)は魔王を打ち倒し、王女を助けることが出来る…このゲーム進行上での暗黙の了解を、この「中世編」ではことごとく無視していくのだ。勇者であるオルステッドの活躍により幸せになる筈の人々は、次々と不幸に巻き込まれていく…このアリ地獄のような展開に、我々プレイヤーは言いようのない不安感に駆られるのだ。

このオルステッドという青年、彼は典型的な「主人公」であった。武道に優れ、国王にも期待されている勇者…だからこそ彼は何も考えず、ただお約束的に王女を助けに魔王山に向かう…。そして、ゲームのお約束としてオルステッドを何も考えずにあやつるプレイヤー…。
投獄されたオルステッドは、仲間であるウラヌスの手助けを借り「待っている者の為に」再び魔王山に向かう。

この2人を待ち受けていたものは、主人公である自分の親友として共に戦ってくれる存在である筈のストレイボウと、主人公の助けを待ちわびている筈のアリシアの、まったくイレギュラーな姿であった。
いつも自分より上にいた主人公を憎み、「地獄で俺にわび続けろ!!」と牙をむく親友…そして、その親友を倒し助けた王女も、主人公の行動を真っ向から否定する…。

魔王など何処にもいなかったのだ。
いたのは、ゲームとしてのお約束を逸脱し、勝手に脚本を捻じ曲げた親友と王女だったのだ。

思えば、ゲームとしての一本道にて、という部分はあるものの、プレイヤーが先にクリアしている筈の7編の主人公達は、自らの行動の後に「英雄」と呼ばれた者達だ。ある者は最強を目指す為、ある者は密命を果たす為、またある者は志を継ぐ為…それぞれがそれぞれの「戦う理由」を持っている。(設定されている、と言うべきか)しかしオルステッドだけにはそれが無い。

「勇者だから」というだけで魔王山に登り王女を助けに行く…そこにイレギュラーな部分は何も無い。ただ「お約束」を遵守するだけの存在なのだ。

イレギュラーの無いオルステッドの戦う意味が、イレギュラーとなった存在により失われてしまう…そして、「勇者」である事に絶望した彼は、ストレイボウやアリシアと同様「存在しない」というイレギュラーになってしまった「魔王」に自らが成り代わり、戦う意味を持とうとしたのだ。

人間に裏切られて、絶望して自らが魔王となった彼ではあるが、結局彼は最後までイレギュラーな存在にはなれなかった。ナゼなら、彼が魔王になることは、魔王の「存在しない」というイレギュラーが消えてしまう事でもある。結局、オルステッドはこの「LIVE・A・LIVE」というゲームの中で只1人お約束という呪縛から逃れられなかったのだ。

そして、魔王となったオルステッドは各世界、各時代で「英雄となった者」7人を呼び寄せる。「真実」を知らしめんが為に…。

皆がゲーム上のイレギュラーとなり、好き勝手に行動するのに対し、たった1人お約束から逃れる術を知らないオルステッド…。彼は自らの心を「憎しみ」という感情に染めて、自らが魔王となりイレギュラーな存在になろうとする。

しかし、その為に国一つを完全に滅ぼしてしまった彼には自らを止める「勇者」が存在しなかった。そこで呼び寄せたのが7人の英雄達なのではないだろうか?

魔王は7人の勇者に語る。

「お前達ももまた、自らの欲望のもとに何かを手に入れた愚かな人間に過ぎないのだ」

と…。
そんなことは当たり前である。こんなことを声高らかに叫んでも、世間ではガキの戯言程度にしか受け取られない。ナゼなら、これを語る者も間違いなく人間であるからだ。このセリフは明かに自己否定という矛盾を秘めている。

しかし、我々は魔王の過去に何があったかを知っている。だからこそ、ナゼ彼がこんな矛盾したセリフをわざわざ吐かなくてはならなかったのかも知っている。彼の言葉の矛盾を感じ取れるのも、彼が人間である事を知っているからに他ならない。

魔王山頂上での決戦の後、いわゆる真のエンディングにて魔王、いやオルステッドは自分が呼び込んだ英雄達との会話によって彼の暴走の引き金が「憎しみ」ではなかった事を理解する。この結末は、ここでの魔王という存在が「魔物」とか「悪の権化」といったものではなく、オルステッドという感情を持つ1人の人間である事を踏まえていなければ辿りつけないものである。

「魔王など最初から存在しなかったんだ。」

主人公が正義であり、主人公と戦っている勢力が悪である。という単純な論法で展開するゲームの多い中、その論法の持ちうる矛盾に対して真っ向から反発した作品は、当時としては稀有な存在であったのではないだろうかと改めて思う。ゲームのお約束なんて、プレイヤーが勝手に思い込んでいるだけのシロモノであって、本当はそんなもの何処にもありはしないのだ。

問題なのは、ありもしないお約束を勝手に信じていた我々なのだ。

魔王は最後に言い残す

「誰もが魔王になり得るのだ。」

魔王と自分は何処が違うのだろうか?オルステッドの苦悩、そして暴走を踏まえた時、自らがそういった行動に走ってしまわないという保証があるのだろうか?

人は生きている限り「後悔」をし続けて生きていく。「後悔したく無いから」と行動しても、またすぐ別の後悔に苛まれている自分がいる。周囲からの疎外感、他者との関係、過剰な期待…暴走の引き金となる要素などこの世にはいくらでも存在する。そして、ねたみ、憎しみ、怒り、悲しみ…我々の心根には魔王となりうる因子が常に存在する。そう、オルステッドと同様に…。

数年前、ゲームをやり遂げた時に感じた複雑な感情は、今尚私の心の何処かに宿っている。


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