悪い事は言わないので女性は読まないでください

茨木圭介
劇画「傷追い人」主人公



さて、今回私が語るのは、劇画の傑作として名高い「傷追い人」についてである。タイトルにも書いているが、今回のコラム、かなり女性蔑視的に受け取られてしまう要素がある事を先に書いておく。そういった物に対し、拒絶反応を起こしたり怒りを覚えたりする人はどうか読まないで頂きたい。当然、女性にもあまり読ンで欲しくない。理由は、女性に対し失礼な事を書いているから…だけではないッ。

昨今、ニュースやらワイドショーやらで「草食系男子」なンて言葉をよく耳にする。この「草食系男子」とやらの定義は、要約してしまうと「協調性があり家庭的、恋愛に縁がない訳ではないのに性に対しては淡白で肉欲が薄く、男らしさに捉われておらず、傷つくことも傷つけることも苦手な男の子」なンてモノなのだが…いや、非難される事は承知で言ってしまおう、この「草食系男子」とやらの定義は、図に乗った女どもが自分達に都合の良い男を指示した言葉、と男性諸氏には聞こえてしまう事がないだろうか。

いや、実際問題として今の世は女の時代だ。女が強くなったと同時に、男が弱くなった。何も社会的見地とかで言っている訳ではなく、世の男性諸氏はこの事を口に出してはいなくとも、肌で感じ、そんな女達への持っていき場のない不満と共に、牙を失った負け犬たる自分自身心に対し、心のどこかで嘆いているのではないか。まるで、「実験人形ダミー・オスカー」の

答えてくれ 女よ
可憐な乙女たちは
どこへ行ったのだ

白いブランコにのせ
髪に野のバラを
さしてやりたくなるような
乙女たちは もういないのか

なんて具合に。ただ、ぶっちゃけた話をしてしまえば、他の男はいざ知らず、私は世の女性諸氏の行動を見てこの詩が脳裏に浮かぶことがある。そして、この詩が浮かんだ時、私は自身の情けなさに深いため息をつくしかなくなる…冒頭でグダグダ言っている割に、私自身も世に言う「草食系男子」と大差ない事を思い知るのだ。そんな時に私がすがる様に読むのが、この「傷追い人」という劇画なのだ。

先ずはこの「傷追い人」がどンな作品なのか、というのを紹介しよう。
人気美人キャスターの日下夕湖は、ブラジルにリオ・バラキと名乗るガリンペイロ(金鉱採掘者)がいる、との情報を得てスタッフと共にブラジルへ渡るが、そこで出会ったリオ・バラキに犯され、取材をあきらめろと告げられる。彼に反発しつつ次第に惹かれる様になった夕湖は彼と行動を共にするが、そこで彼の過去を聞かされる。

リオ・バラキ…本名・茨木圭介はかつて超一流のアメフト選手だったが、VIPに世界のトップスターや有名人を出演させたポルノを制作、提供する闇の組織「G・P・X(God Pornographic X-rated Film)」に恋人の夏子共々拉致され、出演を強要される。2人はお互いの愛の為にそれを拒否し続けるが、組織の策略で夏子は自決、母親も惨殺され、圭介は麻薬使用の濡れ衣を着せられ投獄される。怒りのあまり髪が白髪となった彼は、「G・P・X」に復讐を誓い、白髪鬼(ホワイト・ヘアード・デビル)となったのだったッ。

…とまぁ、粗筋というか、冒頭のストーリーはこんな具合と大変ハードな作品だ。この「傷追い人」の原作は「子連れ狼」「クライングフリーマン」「実験人形ダミー・オスカー」等、数多くの劇画原作を手掛け、多くの漫画家やクリエイターを輩出している劇画村塾を開設した人物としても知られる小池一夫氏。そして作画は叶精作と並び、小池先生の原作で数多くのヒット作を手掛けている池上遼一氏、という強力タッグだ。余談だが、「魁!!クロマティ高校」等のヒットで知られる野中英二氏は、池上氏の画風をパロディとしている事で有名…というか、若いファンが野中氏と池上氏が同一人物と勘違いしている事もあったらしいのだが、その野中氏に対して、

「真似されるのは有名漫画家の証。あの作品は面白いですね。でも正直、彼(野中)の方が売れてしまって悔しい」

等とコメントし、自ら野中氏の作品のキャラクターであるメカ沢と北斗の絵をパネルに描き、野中氏にプレゼントしたりもしている。この辺の大御所としての貫録は、同じく大御所と呼ばれるべき立場ながら、事ある毎に著作権云々で騒ぎ立てている漫画家に爪の垢を煎じて飲ませたい位だ。いや、勿論小学館とかの例もあるので、作家の著作権といった権利は大切で尊重されなければならないものとも思うが。

…おっと、横道にそれてしまったので軌道修正。

さて、「傷追い人」であるが、原作者の小池氏はキャラクター言論というものの提唱者で、「漫画はキャラクターを立てなきゃダメ」と発言している人…この辺の作風は、例えば「寄生獣」で知られる岩明均氏が使う「まず『出来事』が存在し、それに対峙する『登場人物』を考えていく」というスタイルとは正反対で、先ず圧倒的な存在感を持つキャラクターがおり、そのパワーで物語を牽引していく…正に本作もそういう作品だ。

小池作品にありがちな事ではあるのだが、「傷追い人」もしばしネタとして片付けられてしまう事が少なくない作品だ。上で書いている通り主人公が復讐を誓う相手がポルノ制作組織だったり、ヒロインが全裸で大木に縛りつけられた状態で、その大木を振り回して戦い、負傷して目に入った血をヒロインにションベンをさせて洗い流す、人間性を取り戻す為に殺し屋の少女とヨットで二人きりで生活し、その少女をヨットの操舵輪に全裸で縛りつけて犯す…突拍子もない描写というのはそこかしこに存在する。

しかし、その突飛としか思えない展開も納得できてしまうのが凄い所なのだ。白髪鬼の壮絶な復讐劇は、決して殺伐とした物ではない。それは愛に根差したものだから…と、私がここで言いきってしまえるのも、茨木圭介という男の言動、いや生きざまといってもいいが、コレに説得力があるからなのだ。例えばこんなエピソードがある。

G・P・Xの情報を賭け、空母内でクラシックアーミーのホワイトとジョーとの最後の戦いに臨む圭介とミスティ。だが、圭介の部下は彼の身を案じ、ホワイト達等がG・P・Xの情報を録音する際に盗聴器を仕掛ける。この事を知った圭介は、G・P・Xの情報を盗聴したラジカセを海に投げ捨て、部下に

「おまえたちの気持ちはうれしい。しかし、これは、誰のものでもなく、おれ自身の闘いなのだ!!すべてはおれのやり方でやる!!」

その言葉に部下達は勿論、敵であるホワイト達まで驚嘆する。

臭い。確かに臭い言動だ。この圭介の臭さは劇中でも部下達に指摘されている。もっと非情に…けだものにならねば復讐なんて果たせない、と。しかし、こうも言うのだ。

「だがそのくさいところがおれもリッキーもジョルジュも好きなのかもな!!」

月並みな言い方をしてしまえば、男が男に惚れる、という事なのだろう。勿論、その「惚れる」とはボーイズラブ的な第三者視点からの欲望に根差したような物では断じてないし、そもそもが女性には理解されない、いや理解出来ない感覚であろう。上の二つのエピソード、これはどちらも物語の終盤でのものなのだが、このエピソードが生きてくるのも、今までの茨木圭介という男に、そして彼の復讐に対し、ある種読者まで惚れてしまっているからこそ生きて来るものだ。そう、ある意味、茨木圭介に惚れる、という事は、女性の言う惚れる…即ち「愛情」ではない。ある種男としての理想像…それに対する願望、羨望なのだ。。

茨木圭介はアウトローである。少なくとも劇中で描かれる復讐者・白髪鬼に関しては。しかし、その根底には「愛」がある。復讐劇でありながら、その原動力は憎悪というより愛…いや、愛ゆえの憎悪、というべきか。物語にて描かれる復讐者の多くは愛を利用する。例えば愛してくれた女を復讐の道具に使ったり、愛を言い訳にして非情に走る。しかし、白髪鬼は違う。決定的に、だ。彼の復讐は最愛の夏子の死と、母を凌辱の上殺された事がきっかけである。しかし、その復讐を理由に彼を愛し、また彼も愛した夕湖、ペギー、ミスティを裏切ったり貶めたりする事は絶対にしない。

ここで誤解して欲しくない部分が、夏子の為の復讐なのにも関わらず、圭介が他の女と愛し合っている点だ。これに対し、特に女性は違和感を感じるかもしれない。確かに、そういった形で操を立てる、というのも勿論ありだとは思うが、少なくとも彼は夏子にも本気だったし、他の三人に対しても本気だったのだ。そして圭介の心情に関しては、夕湖の時は彼女との賭け以降に、ペギーに関しては夕湖の死後の船上にて、ミスティに関しては彼女の"治療"にて雄弁に語られているし、夕湖への愛を確信した後もG・P・Xへの復讐を止めなかった事、そしてその夕湖の死後、ペギーを受け入れた際も同様だ。愛に殉じ後を追ったり、愛を忘れ平穏に暮らしたり、喪に服し世を捨てる、といった選択肢を選ばなかった…そして何より、物語のラストシーンがそれを裏付けているだろう。

男には…大なり小なり圭介の様な生き方をしてみたい、と思う気持ちは持っているンではないだろうか。あまりに苛烈で、壮絶で、愛に満ちた生き様…男としての強烈かつ甘美な「匂い」を全身にまとった圭介に対する羨望…自分もかくありたい、ああなりたい…そういった感情をだ。少なくとも私にはこれがある。

しかし同時に、あまりに弱々しい自分自身を…そして多少の問題は抱えていても、過度なドラマはない平穏な今の日常を捨て去る勇気も気概もない自分自身に気が付いてしまう。子供のヒーローへの羨望とは違い、曲がりなりにも生活を抱えているからなお、それに打ちのめされる気分になる。痛感してしまうンだ。自分は、茨木圭介の様には生きられない、と。

まぁ、最初に述べたとおり女の世、という印象すらあるこのご時世、茨木圭介の生き様はあまりに鮮烈で眩しい。羨望と共に多分に嫉妬心すら感じてしまうほどに、だ。しかし、決して萎えるようなものではない。例え、自身が彼のように生きられない事を思い知らされようとも、男の奥底に眠る魂…それが持っている筈の尊厳を、揺り動かしてくれる作品でもあるのだ。特にそれを思い知らされるのはラスト直前、あまりに巨大だった敵の正体を知った圭介が、新たなる目的を得る為にニューヨークの浮浪者街で飲まず食わずで身を投じるエピソードだろう。奇しくも、ここで彼の世話を焼くスズキゴンベなる人物の言葉が…我々が抱く圭介への感情を怖いほど正確に代弁してくれている。

そういう意味で、この作品を読むのは大変に労力が問われる。いや、やたら字が多くて読み疲れる、とかそういった点からではなく、必ず心して読まねばならない"からだ。そういう意味で、ある意味この「傷追い人」とは、茨木圭介とは…いや、小池一夫劇画とは永遠の「男の聖書(バイブル)」なンだッ!!


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