挫折したらタクシードライバーになろう

高木勝馬
「マラソンマン」前期主人公


熾烈なレースを繰り広げられた福岡国際マラソンも、最後は前評判通り岡部のぶっちぎりの優勝で幕を閉じようとしている。タイムは2時間7分26秒…日本新記録である。

マラソンのスタートから既に三時間半が過ぎ去ろうとしていた。入賞選手の薬物検査も終了し、表彰式が始まる。優勝者を讃えるアナウンスと共に、金メダルを授与される岡部。
しかし当の岡部はレースが既に終了しているにも関わらず、未だ自分が誰かに追われているようなプレッシャーに囚われていた。

大会委員長が表彰状を読み終わった頃、急に観客席がざわめき出す。それは優勝者に向けての賞賛の声ではない。
観客が見つめる先は競技場の入口…そう、まだレースは終っていなかったのだ。
その最終ランナーの名こそ、高木勝馬…。

一時は岡部を抜きトップを走っていた高木であったが、急激な気温の変化に10年間のブランクを持つ彼の足の筋肉は遂に耐え切れず痙攣を起こしコース上に座り込んでしまった。そして、誰もが彼がレースを棄権したものと信じて疑わなかった。

しかし彼は走り続けていた!!
動かない足を安全ピンで刺激し強引に動かし、勝てないと分かっていても尚ゴールを目指し走り続ける…息子に、一馬に父親としての背中を見せる為に…。
いつしか競技場に集まった全員が声援を送り始める。トップから2
時間以上も遅れてゴールしようとする最後のランナーに向けて…。
そんな中、かつての高木勝馬というランナーを知る新聞記者・嶋村は咥えていたタバコをギュッと噛み締めつぶやく。

「違う…あいつはもう負け犬なんかじゃない!!」

私はどちらかと言えば冷めた人間だと自覚している。冷めた、というより冷たいといった方がしっくり来るかもしれない。しかし「マラソンマン」の福岡国際マラソンのクライマックスを見る度に堪え切れず涙を流してしまう。

いや、このシーンだけではない。この「マラソンマン」という作品は泣けるエピソードがかなり沢山ある。

幾つか例を挙げよう。

東京国際マラソン…意識不明の最愛の息子・一馬がうわごとの様に呟く「父ちゃん…勝ってね」という言葉に答える為、意識を失っても走りつづけた勝馬。

全日本大学駅伝…大好きだった父ちゃんの最大の理解者であり、自分の事を実の息子のように面倒見てくれた新聞記者・嶋村がヘリコプターの事故に巻き込まれる。手術に必要な足りない血を自らの足で受け取りに行く一馬…そして、東京国際マラソンで父ちゃんが自分の為に無理を押して走ったように、一馬も嶋村の「ボウズ、走れ」という言葉に答える。
しかし無理がたたってリレーゾーン直前で肉離れを起こす一馬…しかしそれでも彼は前に進む…這いつくばりながら、信頼する先輩・阿川に皆の想いの詰まったタスキを渡す為に…。
そして同レース、阿川も骨折の痛みを無理やり鍼で抑えて走る。自分を信頼してくれた仲間達の為に…そして、ライバルと最後の決着をつける為に…。

この他にも、ゲリラ的に突如感情が爆発させられてしまうエピソードが満載なのだ。「泣ける作品」なんて書くとなんとも作られた感激を押しつけるような感じがして私自身好きな表現ではないのだが、ここまで胸の奥底を熱く、腹の底から何か熱い感情が一気に込み上がって来るような作品を私はこの作品以外ではあまり読んだことが無い。
実際私自身「くさいドラマ」という事を理解してこの作品を読んでもどうしても涙が溢れてきてしまうのだ。押し付けではない感動、それがこのマンガにはあるのだ。

思えばこの「マラソンマン」というマンガ、結構目立たない作品のような気がする。週間少年マガジンというメジャーな雑誌に連載されていたのだから知名度はそれなりにあるとは思うのだが、当時同じく流行していた週間少年ジャンプの「ドラゴンボール」や「幽幽白書」のような派手さ等ないし、「スラムダンク」のような今時のオシャレな雰囲気もない。

だからといって「マラソンマン」が平凡な凡作であったか?と聞かれれば私はこの意見に真っ向から反発させて貰う。確かに作風は派手とは言い難いし、作者の井上先生は抜きん出た画力があると言う訳でもない。ビジュアル的な点で言えばこれは完全に地味と言える作品だ。

しかしマンガの魅力が「絵」だけに集約されている訳ではない。
思えばマガジン連載の人気ボクシングマンガ「はじめの一歩」も当初は地味な印象が拭えない作品であったが、硬軟使い分けるキャラクター描写と彼等が展開するドラマ性、そして迫力満点な試合が徐々に高く評価されるようになったのだと思う。

ならば「マラソンマン」には何があるか?と言われればやはり濃密に展開するドラマであろう。
このマンガは大きく分けて父・勝馬が主人公の前半と、大学生に成長した息子・一馬が主人公の後半に分けられている。前半では勝馬と一馬の親子愛、後半は一馬と彼を支える友人達の友情というある意味でベタなネタがメインを張り、それに「諦めない事の大切さ」「支えあう心」「やり直しなんて何回だって出来る」といったこれまたベタなネタが付加されてドラマは展開する。
そう、はっきり言ってドラマの作りとしてはどちらかと言えば古臭いネタを重視している。

しかし、そんな使い古されたネタがなんとも心に染み入るのである。泥臭い物語がどうしようも無いほど胸の奥を熱くするのである。ウワベだけキレイに取り繕った「萌えマンガ」等には逆立ちしたって真似なんか出来ない、そんな熱いテーマでしっかりとドラマの根底が支えられているのだ。

思えば人間の根底なんてものは泥臭く、地味なものなんじゃないだろうか?派手に軽く賑やかに…そんなドラマばかりが持てはやされている現代、たまに出て来て「傑作」なんて言われるのは作家が自分自身の病んだ心根を醜く作品に投影するグロテスクな作品ばかり…。でも、熱くなれる心を忘れてしまったらそれはもう死んでいるのと大して変わり無いんじゃないだろうか?
もはや「熱さ」をパロディでしか捉えられなくなった世の中で、この「マラソンマン」というドラマに心を揺さぶられ涙を流すことが出来る自分の心を私は大切にしたい。


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