善と悪のルール

空条承太郎
「ジョジョの奇妙な冒険」第3部主人公


現在第6部に当る「ストーンオーシャン」が少年ジャンプに連載中で、つい最近OVAやゲームにもなった人気マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」は、並み居るジャンプ長期連載マンガの中でも異例のスタイルを取っている。

この「ジョジョ」の最大の特徴は、各部毎に主人公が替わるという点だ。一応第1部の主人公・ジョナサン・ジョースターの血を引くものが代々の主人公を務め、第2部以降は前の部の主人公やサブキャラクターが登場して物語に関連性を持たせてはいるのだが、それにしてもジャンプという媒体で連載されたマンガではかなり特殊なスタイルを取っている作品と言えるだろう。

同じくジャンプの長期連載マンガとして「こちら葛飾区亀有公園前派出所」はず〜っと両津勘吉というキャラクターが主人公を勤めているし、あの「ドラゴンボール」にしたって対フリーザ編辺りから悟空の息子悟飯をメインにしようと思考錯誤されていた様子が伺えるものの、結局今まで培ってきた悟空の人気を最後まで捨て去る事は出来なかった。

ジャンプ連載のマンガ、というのは、他のマンガ雑誌よりも主人公にヒーロー性が強く求められる傾向にあるように思える。そう考えると、いくらストーリーが新たな局面に移るからといって、人気のあった主人公まで変更してしまうのには抵抗があるのだろう。

もちろん各部の主人公を務めた歴代のジョジョが魅力的でなかったという訳ではない。いや、主人公のジョジョのみならず、本作に登場するキャラクターは善悪どちらとも非常にユニークで魅力的なのだ。
そして、ヒーローマンガらしくその魅力はバトルシーンに凝縮されている。

文庫本化した本作の後書きに、作者の荒木比呂彦氏がこんなことを書いている。

「モンスターの中で最も魅力的だったのは自分の場合、やはり「吸血鬼」だった。ダークな貴族の背景とファッション的にカッコイイのが吸血鬼入門のきっかけ。そして何といっても彼等はルールに従って生きている所が、知的な美学につながっていてシビれると感じたのだ。」

同じ後書きに氏はこの吸血鬼好きという趣味が「ジョジョの奇妙な冒険」というマンガを創った根本であるとも述べている。そう言えば、第1部の悪役ディオは、「俺は人間を辞めるぞ、ジョジョォォォォォ!!」と自ら石仮面を被り吸血鬼となった。第2部では人間を吸血鬼に変える石仮面を造った謎の生命体が悪役として君臨していた。
この1部と2部には、「吸血鬼」というテーマが色濃く反映されている。

更にもう一つの「ルール」というテーマについても、吸血鬼である彼等の弱点…例えば太陽の光に弱いといったものを明確に打ち出しつつ、その一方で吸血鬼となり受けた恩恵…例えば不死身の体といったものを強烈に描いている。弱点を持っている敵だからこそ、逆に抜け目の無いクレバーなキャラクターとなり、より強大な悪として主人公の前に君臨することになるのだ。

そんな強大な敵に打ち勝つ唯一の方法であり能力が「波紋法」である。このバランス感覚が絶妙で、己の肉体や剣技を駆使して戦う従来のガチンコバトルにはない、バトルに一種のインテリジェンスを要求されるような独特のバトルシーンに発展したのだ。

そしてこの「ルール化」というものが最も色濃く出ているのが、空条承太郎が活躍する第3部…最近つけられたサブタイトルで言えば「スターダストクルセイダース」である。

第3部のあらすじは、海の底で眠っていたDIOが復活。その影響でジョースターの血統に異変が起きる。それは第2部の主人公ジョセフや彼の孫承太郎も例外ではない。彼等は「幽波紋(スタンド)」という特殊な能力を得るが、承太郎の母でありジョセフの娘であるホリイにもスタンドが発症し彼女の体を徐々に蝕んでいく。承太郎とジョセフはDIOの呪縛を断ち切りホリイを救う為に、DIOの潜むエジプトへの旅を開始する…というモノだ。まぁこの辺はこの項を読もうという人には説明しなくても分かっている所であろう。

そして今までの「波紋法」に替わり、今回から導入された能力「幽波紋(スタンド)」という設定こそが、「ジョジョ」という作品のバトルシーンにおける「ルール化」というシステムを見事表現しているのだ。

この「スタンド」とは、「傍に立つもの」という意味から来ており、能力者それぞれにそれぞれのスタンドがあり、丸っきり同じスタンドは存在しない。そして1部の例外を除いてはスタンドはスタンド使いにしか見えない。更にスタンドは本体からあまり離れて攻撃できないものはパワーが強く、逆に遠くにいけるものはパワーが小さい。また、スタンドが傷つけば本体も傷つく…と言ったように、スポーツやゲームのように細部に渡り「スタンド」のルールが設定されているのだ。

つまり、逆に言えば「スタンド」のルールにさえ則っていれば後は自由という事でもあり、だからこそ敵のスタンド能力者は自分の領域に相手を誘い込み易い様に自分の能力は相手には秘密にしておくのだ。

そして、「スタンド」という能力も非常にバリエーションに富んでいる。
例えば承太郎の「星の白金」やポルナレフの「銀色の戦車」の様に物理的な攻撃力を重視したタイプや、ジョセフの「隠者の紫」やボインゴの「トト神」のようなサポートタイプ。アブドゥルの「魔術師の赤」やンドゥールの「ゲフ神」、マライヤの「バステト神」のような特定の物質、力を操るもの…更にJガイルの「吊られた男」や「死の13」のような特定の状況下であればほぼ無敵を誇るもの、ダービー兄弟の「オシリス神」「アトゥム神」、アレッシーの「セト神」のような特殊タイプ等…それはもう色々とあるのだ。

そんなバラバラの、しかもそれぞれが一長一短を抱えるスタンドだからこそ、能力者は相手を自らの得意とするフィールドに引き込もうと様々な策略を張り巡らせるのだ。この駆け引きこそが「スタンド」のバトル一番の醍醐味なのだ。もし「スタンド」という能力にルールが定められておらず、単なる超能力でしかなかったらこの醍醐味は味わえない。このルールがあるからこそ、鋼入りのダンの「恋人」のような髪の毛一本持ち上げられないような非力なスタンドでも容易に敵を屠ることが可能となりうるのだ。この緊張感と駆け引きの面白さは、他のマンガじゃちょっとお目にかかれない。

最近、アニメの「スクライド」等でスタンドに似た設定を持つ特殊能力が見受けられたが、こちらはルールが明確になっていなかった為、結局最後は殴り合いで終わってしまっている。もちろんそれでも戦闘の迫力はかもち出す事が可能ではあるが、駆け引きの面白さは描く事は出来ない。「ジョジョ」がヒーローマンガであるにも関わらず他の「ジャンプ」連載マンガよりも比較的アクションシーンが少ないのもこういった他の見せ場を持っていたから許されたものなのだ。

更に、キャラクターの行動パターンにもある種の「ルール」というものを設定しているのも第3部の特徴といえるだろう。この第3部では、2部から引き続き登場のジョセフや主人公承太郎以外にも

「モハメド・アヴドゥル」
「ジャン・ピエール・ポルナレフ」
「花京院典明」
「イギー」

という個性的、かつ魅力的な仲間が登場する。そして、彼等は作中で常に「らしい」行動を取り続けるのだ。
例えば第2部では主人公を務め、自ら第2部と第3部の繋ぎ役として出演するジョセフは寄る年波のせいもあってかポルナレフや花京院のように積極的にバトルを演じることはない。持ちスタンド「隠者の紫」も念写等のサポート的な能力しか無い為戦闘には不向きである。もちろん波紋法も使うのだが、波紋はスタンド能力者とのバトルでは大して役に立っていないように思える。

恐らく主人公サイドで最も戦闘力が低いであろうジョースターではあるが、第2部で描かれた壮絶な死闘を経験として持っており、それらで得た「経験」を武器に戦う。そこに歳を取ってもジョセフはやっぱりジョセフ、という「らしさ」が生じるのだ。もちろんジョセフ流の最終手段「敵前逃亡」や、「お前は○○と言う」という往年の決めセリフも吐いてくれる。第2部からのファンへのサービスも忘れておらず、ネタ的な見方でも「らしさ」を忘れていないのだ。

そしていつもはドッシリと構えている印象のあるアブドゥルは、マライヤの磁気に苦戦しトイレでチカンに間違われるという災難に見まわれた時こういうセリフを吐く。

「あああーっ、これはわたしのイメージじゃあない…トイレでの災難はポルナレフの役だ!」

アブドゥルが語っているように、このセリフは「トイレでヒドイ目に合うのはポルナレフ」というイメージが読者になければ成立しないものだ。つまり逆に言えばポルナレフがトイレでヒドイ目に合うという「らしさ」が構築出来ていなければ使えなかったネタなのだ。

「ジョジョ」の第3部では、キャラクターに一定のパターン…つまりはキャラクター毎の「ルール」が存在しており、その「ルール」によってキャラクターを立てているのだ。

もちろんそれはジョジョ側だけでなく敵にも当てはまる。
第3部の悪役DIO様について、よくこんなことを言う人がいる。

「気化冷却法なんかの吸血鬼技を駆使すれば、スタンドに頼らずとも承太郎達に勝てたんじゃないだろうか?」

この件に関しては私も同じ意見だ。スタンドに頼らずとも「気化冷却法」や「人間の吸血鬼化」等といった技を駆使すれば承太郎もタダでは済まなかっただろう。しかし、それをやってしまったら第3部の設定は根底から揺らぐ事になるだろう。それは、明かに「ルール違反」に当るからだ。

第2部の段階では波紋法しかなかったジョセフは、DIO様の復活の影響でスタンド能力を得た。同様にDIO自身もスタンド能力を得ている。ここで、第3部には「スタンド能力を駆使したバトル」という「ルール」が生じているのだ。確かにジョセフは肉の芽破壊の際や対DIO戦で波紋法を用いているが、対DIO戦ではスタンドに絡めて波紋を用いている。ジョセフもこの「第3部のルール」を守っているのだ。

それに対し、悪の権化として存在しているからといってDIO様だけがこのルールを破る訳には行かないのだ。だからこそ第1部でディオが見せたギラギラした野心は、第3部のDIO様では影を潜め、その代りに独特の「美学」のようなものが描かれるようになった。これも「第3部のルール」という縛りがあったからなのではないだろうか?

このように、「ジョジョ第3部」は全体を通して「ルール」というものが付きまとっている作品である。しかしその「ルール」があったればこそ、あのバトルシーンでの壮絶な駆け引きという新たな魅力を構築する事が出来たのだ。
「ジョジョ」のファンの中にはこの第3部を最高傑作と評する人も多い。その高い評価は、この徹底した「ルール化」があったからこそのものなのではないだろうか?

ん?そう言えばこの批評、承太郎について殆ど触れていないな…。(苦笑)


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