このコラムの前半は「ガンダムファン」に送る

アーマード・トルーパー
「装甲騎兵ボトムズ」メカニック


最近、「ボトムズアライヴ」「ボトムズバイブル」「ボトムズアーカイヴ」と立て続けに「装甲騎兵ボトムズ」のいわゆるムック本が出版されている。私はこの本にそんなに関心は無かったのだが、書店でふと手に取った「ボトムズアーカイヴ」の対談にて、非常に感銘を受けた言葉が載っていた。ちょっとここでその一説を引用させてもらう。

編集者:だから今、「ボトムズアライヴ」や「ボトムズバイブル」みたいな二次創作物は、現代的コデックスの要件である『公式』、言うなれば『神様のお墨付き』をハズしてしまうと、良くて無視され最悪攻撃される、と(笑)。

井上:でもさ、そういう『後付け非公式設定』って、キリストとかブッタではなく、その弟子の本みたいなモノなんだよね。「イエスはこう言った」っていう記述はキリストの言葉だけど、「だからこういうことなんだよ」っていう解釈は弟子のモノであって。だからその弟子に対して「素晴らしい解釈だ!」っていうなら、それはそれでいいんですけど。まぁ「ボトムズ」に関してもサンライズ的な『公式設定』はフィルムでしかなくて、あとはそれぞれの本のスタンスやセンスに惚れた人が支持すればいいだけの話。

編集者:いや、今だから言うんですけど「ボトムズバイブル」が発売された時、僕は「これでアライヴ派とバイブル派が出てきたら面白いなぁ。僕はレンズに関してはバイブル派だけど!」みたいな、無責任なコト考えてたんですよ!(笑)ところがネットを見て見ると、結構な数のファンが「で、どっちが公式なの?」っていうリアクションで、ちょっとヘコんだんです。

井上:「どっちが面白いの?」とか、「俺はコッチが好き」にならないんだよね!まして「ボトムズでこんなことやりやがって!」って怒るのもお門違いだしさ。だって、「仏様が言ったのはこういうコトじゃないの?」って解釈したものはその解釈者の答えであって、意見の違いを言うのは構わないけど、文句を言っちゃいけないでしょ(笑)。もう、「ケチつけてないで割り切って楽しんでやれよ」って。
以上 
樹想社「ボトムズアーカイヴ」対談・『設定』という神の不在 より抜粋

ちなみに、この井上さんとは「ボトムズ」の制作設定・井上幸一氏である。なんでもこの人は、「ボトムズバイブル」の序文に「ボトムズに公式設定なし」という凄い発言をしているらしい。こちらの方は未見なのだが、伊達にこのシリーズが「公式設定集」ではなく「全記録集」と名乗っている訳ではなさそうだ。
この対談にて語られている言葉一つ一つが、¥15,000という私の約1ヶ月分の昼食代に匹敵する値段の「ガンダムオフィシャルズ」という本の出版に強い不快感を抱いていた私には、とても胸のすく言葉であった。もっともこの「ガンダムオフィシャルズ」という本、聞く所によるとサンライズというより著者の意向が強く反映されたものらしいので、この不快感は私の一方的な誤解から生じたものなのかもしれないのだが…。(私は購入もしていないし、読んでもいないので判定は出来ない)

私は「ボトムズ」や「ガンダム」に限らず、アニメーションにおいて別に仰々しく「公式設定」なんてものを設ける必要は無いと思っている。上の対談でも語られているように、アニメーションはフィルムこそが公式設定であると思うからだ。それに対して色々なアクセス方法でユニークな論法を展開するのは自由だし、私も日々色々と空想に耽っている。そんな私から見れば「オフィシャル」なんて大層にコジツケをされても何の面白みを感じないし、逆に天性の天邪鬼な性格も災いしてその作品自体を面白いと感じ難くなってしまうのだ。コレが私がいわゆる「ムック本」というモノを嫌う傾向にある原因である。
そんな私が書いているから、「大惨事」や「大惨事外伝」の作品、キャラクター批評はデータベースとしてはあまり役に立たない。その原因は私が批評の参考とする為に批評やコラムは読むが、ムック本は殆ど読まない為にデータが著しく少ないからだ。

そんな私だからこそ、密かにオープンした「ガンダムネタ」を扱うコンテンツも単なる「おふざけ」としてのものでしかなく、資料としての価値など微塵も無い。わざわざ「レイコック式宇宙世紀」なんてオフィシャル設定を無視するようなネタも掲載しているくらいだ。

各ムック本等に描かれている各種様々な論法は、「飽くまでお遊び」という前提がなければ作品自体の幅を狭くする以外に何の機能も果たさないと思う。アニメは監督がいて、脚本家がいて、演出家がいて、作画家がいて…何人もの人々の共同作業にて生まれるものであり、ある程度の統一は出来ているにしろ、それぞれの作品に対するイメージは微妙にズレている筈だ。

作り手にすらズレがあるのだから、作品を受け止める側の我々にはもっと大きなズレが生じていても良い筈だ。そのズレこそがアニメーションの面白さであり、だからこそオタク同士の会話も弾むのである。そんな所に絶対的な「公式設定」なんてものがあったら、それぞれのズレ、好き勝手な解釈が淘汰されてしまい、ただその公式設定を教科書のように模倣し、信奉するツマラナイオタクを作るだけだと思うのだ。

さて、本題に入ろう。アーマード・トルーパー(AT)とは、「ボトムズ」に登場する4m前後の大きさの戦闘用ロボットの総称である。このATという呼び方以外にも、「VOTOMS=Vertical One-men Tank for Offence & Maneuver=攻撃と機動の為の直立一人乗り戦車」という別の名があり、AT乗りを「どん底野郎」といった侮蔑する言葉としても使われている。もっとも、肝心の作品中ではあんまり使われてはいないのだが…。

このAT、作品中では徹底してぞんざいに扱われる。すぐ壊れるし、行動不能になれば主人公のキリコですらさっさと機体を乗り捨てる…お世辞にもあんまり良い所があるとは言えないロボットである。逆に言えば、それはATという不恰好なロボットが空想世界たる「アストラギウス銀河」に当たり前の様に存在するモノとしてその存在感が確立されている確固たる証拠なのだ。

また作品内でも戦車等の在来する陸戦兵器的な味付けが成される為、どうしても地味な印象を受けるATだが、無愛想なターレットレンズをクルクルと回し、足の裏に装備したギアで「光GENJI」(我ながら古い例えだ)の様に華麗なスケーティングを見せ、踝に付いたパイクを打ち込んで旋回し、火薬による腕の伸縮機能を用いたパンチを放つという、己に内臓されているギミックを最大限に活用して魅せる戦闘シーンは非常にスピーディであり、カッコイイのだ。

更に、戦闘に直接関係しないがヒザを反対に折り曲げて、コクピットハッチをパイロットが乗り降りし易い高さまで下げる降着機構等、作品にリアリティを与える為の細やかなメカニカル設定が成されている。そしてこの降着ポーズはパラシュート降下の際のショックアブソーバーとしても用いられる等、設定をただ設定とせずに積極的に映像に取り入れている。こういった作品全体に渡って見受けられる丁寧さが、この「ボトムズ」という作品、そしてATというメカがスタッフにとってただのやっつけ仕事ではなかった証だろう。

まぁ、この辺りの魅力を説明してくれるサイトはこのネット上に数多く存在しているし、それだけこの部分が魅力的な要素であることは間違いが無い。しかし、私がどのリアル系ロボットの中でもとりわけATが好きな理由というのは他にある。私がATが好きな理由、それは、「実はなんでもあり」という点である。

テレビ、OVA共にATの描かれ方として最も多いのは軍に所属する兵器として、もしくは軍から払い下げになり街に流れているATである。特にテレビ本編ではこのタイプのATしか登場しないと言っても過言ではないかも知れない。もっとも、PSであるフィアナ、イプシロンそれぞれに与えられた唯一無二の専用機「ブルーティシュドッグ」「ストライクドッグ」、更には最終局面でキリコが乗った「ラビドリードッグ」といったイレギュラー的な存在が少数あるにはあるのだが。

しかし、ことOVA作品や小説「青の騎士ベルゼルガ物語」を加えると途端にバリエーションが広がる。
例えばキリコが主役の「ラストレッドショルダー」「野望のルーツ」では真のレッドショルダーカスタムや、レッドショルダーの隊員クラスでないと機体に弄ばれてしまう程のAT「ターボカスタム」が登場し、見せ場を作っている。

そして「ビックバトル」では「エクルビス」というバララント側のPS用の試作機が登場し、凄まじい運動性と圧倒的なパワーを見せつける。テレビ本編の続編「赫奕たる異端」では宗教結社マーティアルが独自に開発した防衛用AT「エルドスピーネ」や「オーデルバックラー」が登場する。

しかも、そういったATがただ登場するのではなく、「ビックバトル」のエクルビスは実はバララントに亡命したロッチナが持っていたPSの技術を参考に作られたATだから、実はストライクドッグやラビドリードッグの血を引くATであるとか、本編の約30年後を描いた「赫奕たる異端」でも未だギルガメス、バララント両軍でスコープドッグとファッティが主力を張っているのに対し、たかが宗教結社の「マーティアル」がエルドスピーネやオーデルバックラーといった独自に開発したATをアレギウム防衛に使用している事から、実はワイズマンの死後、「マーティアル」がアストラギウス銀河における「神」となっていた事が推察出来る等、登場するメカだけでも色々と邪推出来る様になっているのだ。

更に主人公が生身でATと戦う「機甲猟兵メロウリンク」では、バトリング用カスタム機「フォックススペシャル」や、山賊達がスクラップやジャンクパーツを寄せ集めて作ったと思われる「ゴールデンハーフスペシャル」「カブリオレドッグ」「コサックドッグ」といった個性的なAT、更に、軍警用のカスタム機として「ライアットドッグ」なるATも登場する。

そして最後、「青の騎士」ではケインの駆る「ブルーナイト」を始め、「デスメッセンジャー」「ダークオックス」「ファニーデビル」「アイアンマン1&2」といったバトリング用のカスタム機や、シャ・バックの仇、そして最後のボスとしての貫禄充分な謎のAT「シャドウフレア」…更にメルキア軍の開発した新型ATの試作機「ライジングトータス」を始め、「カラミティドッグ」「フィアダンベル」等のFXシリーズ。更にはメルキア騎士団計画の核となる「Wー1」や、すべてのATの祖となる最終兵器「レグジオネーター」とそれに対抗する為に作られた「テスタロッサ」等など…作品ごとに「らしいAT」が存在するのだ。

ATというメカニックは、「機動戦士ガンダム」におけるモビルスーツに匹敵する程の細やかな設定が成されている。例えば機体サイズや重量によって「ライト級」「ミッド級」「ヘビー級」というランク分けがされていたり、人間における骨格を司る「マッスルシリンダー」や、血液を司る「ポリマーリンゲル液」…その他可動時間や各種のオプション兵器、更にはバリエーション等非常に細部まで突っ込んだ設定が存在する。
しかし、その細部まで決められ尽くした設定が、決して物語を構築する上での障害にはなっていないのだ。逆に「アニメではあんなATがあったんだから、こんなATもあるに違いない」という想像力を刺激してくれる。

ATにおける突っ込んだメカニカル設定の多くは、作品にて描かれなかったものを補完する形ではなく、テレビ画面に映ったものを補完する形で作られているのだ。つまり作品内で明確にしなかった点については、「ないとは言っていないでしょ?」という敢えて突き放した形を取っているのだ。そういった設定が明確に成されていない部分、要するに「想像できる余地」があったからこそ、テレビ本編での「徹底してぞんざいに扱われる何処にでもある道具」としてのAT以外に、小説「青の騎士」のような「激戦を共に戦う愛機であり、相棒」としてのATも描くことが出来たのだ。この視聴者、いや作り手までもが節操なく勝手に想像できる余地こそ、ATの最たる特徴なのだと思う。

この節操の無さこそが、私はATの一番の魅力であるような気がする。それこそが一番最初に記述、引用した「ボトムズに公式設定なし」…つまり、「ボトムズ」という作品に惚れた者それぞれが自分の中の「ボトムズ」を持てる自由さに繋がっていると感じるのだ。この節操の無いAT展開があったればこそ、それぞれの中で、それぞれの「アストラギウス銀河」を空想することが可能となる訳だ。
「ガンダム」において「Gガンダム」だけは世界観がかけ離れている…これは逆説的に言えば、それまでの「ガンダム」が完全に自由度を無くし、閉鎖された世界になっていたからそうなってしまったのだ。だからこそ、「アナザーガンダム」というなんでもありの割に、妙に束縛された別次元が生まれ、そのせいで余計に作品の幅は狭くなったのだろう。

しかし、「ボトムズ」において「Gガンダム」的な存在である「青の騎士」は、決してボトムズの世界全体を縮めるような事にはならなかった。その原因こそ、「アストラギウス銀河」という正史の存在しない空想世界であり、その世界にあまりにマッチした節操の無いAT達なのである。リアル系の最右翼等と称されるATであるが、実はATというメカニックはかなり「なんでもあり」に展開し、それぞれの作品で、それぞれの「アストラギウス銀河」で存在感を見せつけているのだ。

ATは大河原邦男氏によってデザインされたものであるが、「ガンダム」を差し置いて「スコープドッグ」を氏のデザインワークスのベストと評価するファンも多い。それは逆に「遊べる素体」としての魅力がそう言わしめているのかも知れない。スポンサーのタカラが模型部門から完全撤退しているにも関わらず、今尚ガレージキットなどで立体モノの新作が発表され、ホビージャパンでもATを題材とした「オラタコ選手権」が開催されているのには、ATの「遊べる素体」という魅力と、「ボトムズ」という作品の自由度があってこそであろう。


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