懐かしいなぁ…コレ

ZOIDSバトルストーリー

小学館スペシャル ゾイドバトルストーリー  1987年〜 小学館 全4巻
小学館スペシャル 新ゾイドバトルストーリー 1990年 小学館 全1巻
機獣新世紀ゾイド 公式ファンブック 2000年〜 小学館

簡単解説
TOMYの人気オリジナルトイ「メカ生命体ZOIDS」の舞台設定を元に構成されたジオラマブック。
「ゾイドバトルストーリー」は主としてゾイドゴジュラス無敵時代からウルトラザウルス、デスザウラーを経てマッドサンダー登場までを描き、「新バトルストーリー」では共和国軍の暗黒大陸上陸からオルディオス対ギルベイダーまでを描く。時を隔てて復活したゾイドに合わせ展開した「機獣新世紀ゾイド」では、ガイロス帝国摂政ギュンター・プロイツェンのデスザウラー復活計画からオーガノイド争奪戦、プロイツェンの帝国首都ヴァルハラでの反乱と、彼の息子・ヴォルフ・ムーロア率いるネオゼネバスの蜂起を描き、現在も続いている。(H16,7現在)


さて、私にとってはかなり懐かしく思い出深い「ゾイドバトルストーリー」である。今現在は、中々私の趣味に合致するゾイドがリリースされないので「セイスモサウルス」以降はゾイドを購入していないが、初期にリリースしていた「アクアドン」を皮切りに、数多くのゾイドで遊んだ思い出を持っている私にとっては、幼少の頃必死に読みふけったこの「ゾイドバトルストーリー」のジオラマブックは最早バイブルとでも呼ぶべき存在だった。

そんな私だからこそ、旧キットの再販やアニメ化の流れにも興味を持ったのだし、新作キットも結構な数を購入した。当然そこで描かれるバトルストーリーにも注目していた。ただ、一種のすり込みとでも言うのだろうか…新たに進行していく新しいバトルストーリーをそれなりに楽しみつつも、やはり1番強く思っていたのが、旧バトルストーリーをもう1度読んでみたい!!最早うっすらとモヤがかかってしまったあの懐かしき記憶をもう1度鮮明にしたい…というモノだった。旧ゾイドの復活ももちろん嬉しかったが、それ以上に子供の頃、それこそ穴が空くまで、ページのめくり過ぎで本がバラバラになるまで読みふけったバトルストーリー…それだけが、その復活だけが心残りだったのだ。

ところがである!!ある日私に嬉しいニュースが飛び込んで来る。そう、「ZOIDSCORE BOX」の発売である。そして、ゾイドマンモス限定復刻と並ぶ目玉こそ、「旧バトルストーリー」の復活だったのだ。私は誓った。

「コイツは女房を質に入れてでも買わねばなるまい!!コレを読みふけっていた思い出を持つ、かつてのゾイド少年としては…」

まぁ、私には女房なんて居らんのだが、ともかくそう思わせる程に、この復活の報は私の心を躍らせた訳ですわ、ええ。

さて、このゾイドバトルストーリーというのは、上でも述べている通りTOMMYのオリジナルトイ「メカ生体ZOIDS」の世界観を描いたものだ。この「ゾイド」というトイ、子供向け玩具にも関わらず、バックには詳細な設定があり「ガンダムシリーズ」のような年表まで存在する。構図としては、ゾイド星(後で言う惑星Zi)のヘリック共和国とゼネバス帝国(暗黒大陸編ではガイロス)帝国の長きに渡る戦争で、新発売のゾイド…それも大物ゾイドの登場により、その勢力比が変わって行くというモノ…つまりは戦記モノである。しかしココで重要なのが、「ゾイド」という玩具の持つ「主役不在」という部分だろう。

いや、もちろん「バトルストーリー」にも主役はいる。ウルトラザウルス強奪事件から、ゴジュラスMK−UとアイアンコングMK−Uによる大氷原の戦いを描いた一作目では、帝国コマンダー・エコーがメインを張っているし、もっと顕著なのは「バトルストーリー2」でのトビー・ダンカン帝国軍少尉とヨハン・エリクソン共和国軍大佐など、どれにしても主役…メインとして描かれるキャラクターは決まっている。しかし、メインの流れ…それは対決モノというよりも、戦争における群像劇…言わば戦記モノとしての面白さが強い。バトルストーリーそのものが、語り部たる退役軍人でジャーナリストのロイ・ジー・トーマスという架空の人物のが書いたモノ、という遊びを取り入れたりと、よりリアリティを打ち出す為の様々な工夫が凝らされている。

しかし、子供の頃の私はどうだったか?と聞かれると、むしろメインストリームから離れた部分に目を向けていたような気がするのだ。デスザウラーやマッドサンダーといった、戦局そのものを激変させる超強力ゾイドの活躍ももちろん楽しみにしていたが、むしろそれ以上に楽しみにしていたのはメインを張る訳でもない、只の戦況報告的な小さいジオラマ写真の方だったのだ。

そう、そこで描かれていたのは特性をフルに生かした小型ゾイドの奮闘であったり、様々な条件が折り重なった事から来るまさかの大金星…そういった何気ないヒトコマだったのだ。そう、私は当時小学生で、ゾイドは少ない小遣いをやりくりして小型のモノを買うのが精一杯…そんな少年だったからこそ、こういった何気ないヒトコマに夢を描いたのだ。例えば、雪原での戦いで大型のアイアンコングをぶっ飛ばすベアファイター、やはり雪原で無敵のデスザウラーを食う改造マンモス、単機でウルトラザウルスの甲板に飛び降り、奇襲をかけるハンマーロック…もっと細部を挙げれば、シンカーの大部隊が絨毯爆撃をしたり、敵基地から人質の救出の為、ネプチューン等の24ゾイドが地下水道を侵攻したり…そういったワキの魅力があったのだ。

そもそも「ゾイド」はアニメなんかなかった訳で、それは即ち主役不在…言い換えれば自分の持っているゾイドでも主役にする事が出来る、という事に繋がった。かくいう私もこの「ゾイドバトルストーリー」からインスパイアして、自分の持っていたゾイド部隊の活躍を思い描いたりして大いに楽しんだ訳で、そんな風に友人達とゾイドで遊ぶ際も、そういうどんなに弱小ゾイドであろうと自分が主役と決めれば主役に出来る…そういう魅力があったのだ。

しかし、改めて今読み返すと結構ディープというか、戦争の持つ悲劇性をクローズアップした深みのあるエピソードが多い、というのが私の「バトルストーリー」の印象であった。今になってそんな事で驚いた、という事は、子供だった当時はそんな物語を全部が全部ではないにしろ、あまり理解はしていなかったのかもしれない。そうなると、コレはもう読み物、というより一種の「遊ぶ為の教材」としてこの「バトルストーリー」活用していたのではないだろうか。

思えば、「ゾイド」というのは知的玩具なのかも知れない。主役不在を逆手に取って、自由に想像を膨らませて遊ぶ事が出来たし、皆でゾイドを持ち寄れば、子供なりのルールを設定したちょっとしたシミュレーションゲームみたいな事も出来た。もっと言えば歩行ギミックにしたって、機械的な機構…ココが回るとこのパーツがこう動いて、ココを支えにこのパーツが引っ掛かって足が動く…という、そういうモノまで何となく分かるようになる。アニメ等のタイアップが必須になり、そういったモノの玩具でなければそうそう売れ難くなっているであろう昨今を鑑みると、つくづく貴重な存在のような気がしてしまう。

そう考えると、現在のゾイドにはいささか自由度が欠落しつつある気がする。「ブロックス」という新しいスタイルのゾイドを確立してはいるものの、慢性的にモチーフの動物の偏重があるし、「強さのインフレ」等とも指摘されるが新発売のゾイド可愛さにかつてのゾイド…ついこの前発売したモノですら蔑ろにしてしまう所もある。アニメ化やカードゲーム等によりゾイドのパイロットも「バトルストーリー」には絡むものの、本来は遊び手が想像して良い部分にまでオフィシャルの手が伸びている…。

「バトルストーリー」にしても、ファンブック等では一見かつてと同じスタイルを取っているように見えるが、実はかなり1対1の構図が強調されており、空飛ぶイグアンのフロスト少佐のように、脇役パイロットがちょっとした1エピソードを使って脇役としての見せ場にする、というのも少なくなっている気がする。改造ゾイドにしても、今現在のバトルストーリーに掲載されているモノはスマートになり過ぎていて、昔で言う「デスファイター」のようなトンデモゾイドはあんまりお目にかかれない…そう考えると、正直な所「ゾイド」が衰退している理由と言うのも分かる気がする。もっと気楽に、はっちゃけた形でゾイドは楽しめるモノなんじゃないだろうか。

もっとも、何も「ゾイド」に関わらず何かと固定概念に囚われてしまう私などより、イベント会場のブロックス組替え体験コーナーで、あっという間にオレ設定の謎の物体を作り上げてしまえる子供達の方が、今となってはより「ゾイド」を楽しんでいるし、楽しむ術を理解しているのだろう。

それはともかく、この「バトルストーリー」を今読んで見てビックリしたのは、子供の頃の記憶にある、言わばゾイドプロレス的なバトルシーンよりも、むしろ物哀しさを湛えた戦記モノとしての魅力の方が印象的に感じる。当時は小難しさが先に立ってしまい、理解する前に面白そうな方へ逃げてしまった部分も何となく分かるし、当時は理解しきれなかったキャラクターの心根というか、想いなどもある程度年齢を重ねた今となって、何となく理解できるようになっていた。コレは、出会った世代により印象が変わって来る…即ち懐の広い作品、という証なのではないだろうか。

ともあれ、幼少の頃、そして現在と、2度に渡って「バトルストーリー」を楽しめた私はゾイドファンとしては果報者と言えるだろうな、うん。


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