時代を超えたキャラクター

ZOIDSシリーズ
ZOIDS


1999年 XEBEC制作 全64話 TBS系放送
声の出演:岸尾大輔、大本眞基子、鈴木琢磨、藤原啓治、渡辺久美子、他

簡単解説
「ゾイド」と呼ばれるメカ生命体が人々と共に暮らす惑星Zi。共和国士官の亡き父に憧れる少年・バンは盗賊に追われて村人から立ち入ってはいけないと伝えられている遺跡に逃げ込む。そこで彼が出会ったのは、カプセルの中で眠りについていたオーガノイドのジークと謎の美少女・フィーネだった。この出会いが、彼の人生を大きく変えることとなる。


ZOIDS新世紀/ZERO

2001年 XEBEC制作 全26話 TBS系放送
声の出演:櫻井孝宏、川澄綾子、松風雅也、斎賀みつき、中村大樹、他

簡単解説
メカ生命体「ゾイド」を用いた戦争から既にかなりの年月が過ぎ去り、人々はゾイドを用いた戦闘競技「ゾイドバトル」に熱中していた。ゾイドバトルとは公正なルールの元、ゾイドを愛機とし荒涼たる大地をバトルフィールドとして行われ、ゾイドウォーリアー達が己の誇りを賭ける真剣勝負だ。
そんなゾイドチームの「チームブリッツ」はチームタイガースとの試合を思わぬ乱入のおかげで無効にされてしまう。その乱入者はパーツ集めをしていたジャンク屋のビット…この出会いが、ゾイドバトル世界に旋風を巻き起こす事を今は誰も知らない。


私は平成の世に、まさか「メカ生体ゾイド」が復活する等とは夢にも思わなかった。「ゾイド」というキャラクターは80年代半ばにトミーが送り出していたメーカーオリジナル商品である。下は500円程度のものから大物になると5000円近くするものまで幅広くプラモデルがリリースされており、どれもゼンマイ、または電動ユニットにより歩行するというギミックを持っていた。

また、パッケージの裏面にはカラーバリエーションの紹介や「ゾイド」のオリジナルストーリーがついていたりしてかなり遊べる要素は多かった。実際、私が小学生の頃は周囲に私と同様「ゾイド」に夢中になっていたクラスメートも結構な数がいたし、「ゾイドゴジュラス」や「ウルトラザウルス」といった高額の大物ゾイドを買った奴はクラスのヒーローになったりもした。近年のオモチャ事情ではアニメ等とのタイアップが売れる必須条件となっているが、そう考えるとこの「ゾイド」というオモチャは、メーカーオリジナルで通用した最後期のものと言えるのかも知れない。

この「ゾイド」というロボットは人型をしていない。それぞれが恐竜であったり、動物であったりとモチーフが異なっている。逆にそれがゾイド一体一体の個性にも繋がり、キャラクター性を高めたと言っていいのだろう。
例えば「ゾイドゴジュラス」はティラノサウルス型(今じゃ恐竜学が当時と大きく変わっているのでもはやゴジラ型になっているのだが)は性格が凶暴で乗り手を選ぶとか、サーベルタイガー(現セイバータイガー)とシールドライガーはモチーフが虎とライオンでライバル同士だとか、そんなウンチクを語る事が出来るというのも「ゾイド」の魅力だったのだろう。
そういったものの恩恵もあってか、コロコロコミックには黄金のシールドライガーが現代で活躍するマンガが連載されていたり、ゾイドのバトルストーリー的なジオラマブックも発売されていたのだ。

そして模型としての「ゾイド」はどうだったか?と言えばこれがかなりカッコヨイ。
そのメカメカしさを全面に打ち出したデザインは、そのモチーフが動物だったりするというギャップも相俟って堪らなく映えるのだ。複数の違うゾイドを机の上に並べるだけでなんとも見栄えがする。しかもそれぞれがゼンマイや電動ユニットにより歩くオマケつき…今のMGだのPGだのと違ってポーズをつけたりするのは歩行ギミックの為に無理なのだが、そのメカメカしい外観はかなり魅力的だったし、そうでなければ平成の世にわざわざ復活したりはしなかっただろう。

更に色を塗ったりプラセメントを使ったりするのが苦手な子供にも作り易いように接着剤不用のスナップキット方式を採用し、主用部はジョイントやゴムキャップにて止めるという形を取っている。もちろん色プラも用い、なおかつ極力設定色に近くなる様なランナー分けが成されている。この難しい事をしなくてもカッコ良く作れるというのも人気を支えた一因だったと思う。

さて、肝心のアニメの方はというとこれがまた中々のものだったりする。
始めに放映された「ゾイド」…つまりバン&シールドライガー(後にブレードライガーに)の活躍する物語は、昔パッケージの裏に書かれていた戦記の設定を比較的残して展開しており、少年期のバンが活躍する一部と、成長したバンと仲間達がガーディアンフォースとして活躍する二部という構成で物語は展開される。一部から二部に映る際にバンとフィーネのキャラクターデザインが大きく変更されているのだが、その際ロリコンチックな魅力を振り撒いていたヒロイン・フィーネが立派に成長してしまった為に「昔のフィーネちゃんが良かった」と嘆く御仁も結構いたとかいないとか…。

一方「スラッシュゼロ」の方は、主人公・ビットとその仲間「チームブリッツ」の活躍を1話完結方式で見せるもので、物語自体もシリアス寄りだった前作よりもコメディ色が強いものとなっている。ゾイドバトルという設定自体は「ボトムズ」のバトリングや「Gガンダム」のガンダムファイトといったものに近く別に目新しさはないのだが、ゾイドバトルを反則プレイで荒らす「バックドラフト団」の存在や、個性的なライバルウォーリアー達の魅力がそれを補っている。

ちなみに両作品の繋がりはかなり希薄なのであるが、「スラッシュゼロ」の最終回前話に登場する荷電粒子砲の元が前作でバン達を苦しめたデススティンガーのシッポであったり、ロイヤルカップのゴール地点である「古の勇者達が使っていたウルトラザウルス」にはグラビティカノンのようなものがついていたりしており、ビット達が戦う世界は、実はバン達の戦いから長い年月が経過した惑星Ziである事をそれとなく教えてくれる。
また、レオンが放浪の旅で訪れた「伝説のゾイド乗りが旅した谷」の「伝説のゾイド乗り」はバンで、レオンの相棒となる赤いブレードライガーはもしかしたらバンのブレードライガーの子孫なのかも知れない。

また本作では、ガイザックといった小型ゾイドとゴジュラス等の大型ゾイドの格の違いを「実力の無いパイロットが大物ゾイドに乗ってもゾイドは言う事を聞かない」という形で打ち出しており、主人公のバンも最初はジークの力を借りないとシールドライガーを満足に操れなかったりしていたし、オーガノイドシステムを持つ特殊ゾイド「アルティメットX」であるライガーゼロに至ってはビット以外のパイロットを拒絶して暴走したりもする。この部分がパイロットとゾイド双方が協力しあって戦うという魅力に繋がり、他の多くのロボットアニメのような一種の主従関係が無くなるのだ。

そして何よりの特徴がそのゾイド描写である。本作ではキャラクターや背景を2D、ゾイドを3Dで描いており、CGを用いたゾイドの動きっぷりが中々に気持ち良かった。この「ゾイド」の場合は同じく3DCGを用いた「ビーストウォーズ」や「ウェブダイバー」の様に完全に3Dとして見せず、敢えて3Dを2Dに近い形に変えて表現している。

コレは「マクロスプラス」や「甲殻機動隊」等に近い手法…つまりOVAや劇場作品的な見せ方である。ただ、時間的束縛がOVAや劇場版よりもかなりハードなテレビシリーズでこの手法を用いるのには結構苦労があったんじゃないだろうか?なんにせよ、見せる側、つまりクリエイター側が2Dと3Dではかなり違った見え方になる事を自覚し、視聴者に極力違和感を感じないように配慮している部分は高く評価したい。
もっとも、それでもこの2Dと3Dを併用する事から受ける違和感がゼロになったとは言い難いのだが、ただ新しい技術を考えなしに導入したりせず、一度自分達でその技術を整理して新しいものをやろうという気概は十二分に感じられる。

そして、この手の作品のお約束とも言うべき「パイロットと愛機の絆」についても強く描かれているのが印象的である。特に「ガーディアンフォース編」のアーバインが高速戦闘を得意とする新型ゾイド「ライトニングサイクス」に乗り変える際のエピソードはこの「愛機との絆」というものを全面に打ち出した好編である。
大破してもはや修復不能に陥った愛機・コマンドウルフとの思い出を切々と語り、新型機のサイクスに相棒のメモリーバンクを移植する事を頑なに拒む彼の姿は非常にカッコ良かった。

ちなみにアニメ放映に合わせ発売された「コマンドウルフアーバイン仕様」の解説には「戦場で傷ついて見捨てられた機体をアーバインが修理した」とされ、規格外のパーツを流用している為彼以外にはちゃんと扱えない」等という設定がありアーバインの相棒というイメージをより高めている。

思えば、ロボットアニメがリアル志向にシフトしてからはこういった「愛機との絆」といったものをちゃんと描かない作品が多いような気がする。戦争という過酷な現実を共に歩んできた相棒として思い入れがあって叱るべきなのに、リアルリアルと深みにはまるほど、現用兵器的な味付けを施せば施すほど、こういった要素が蔑ろにされている気がするのだ。

戦い終えて「お前はやっぱり強いや」とマジンガーZに話しかける甲児君はカッコ良かった。
自分と生死を共にして来たD−1がドラグーンの開発により解体される事を知ったケーンが、嫌いだった軍に戻ってまで自分の相棒を守ろうとする姿には心打たれた。
偽りの解放の象徴とされかける愛機ダグラムを奪い、砂漠で自らの手で火をかけ別れを告げたクリンには涙がこぼれた。
新しいATへの乗り換えも可能なのに、大破した愛機であり、友の形見でもあるベルゼルガの改修を選び「コイツが動くまでは他のATに乗るつもりは無い」と語るケインは熱かった。

ロボット使い捨て野郎の代表と言われる「ボトムズ」のキリコ・キュービーだって、機体そのものではなく生き残る為の手段としての「スコープドッグ」に対する信頼の深さはヒマさえあればスパナ片手にATを整備する後姿にも表れていたし、クメンでもより湿地戦向きで高性能なダイビングビートルを蹴って、使いなれたスコープドッグの改造をゴウトに頼んでいる。形は違えどキリコもスコープドッグには愛着があり、それをちゃんと作品中で描かれているのだ。

でも、その一方で「愛機との絆」といった要素を描かない作品も多い。「ガンダムW」のヒイロなど、宇宙に出た際は愛機ウイングガンダムを「捨ててきた」と言い捨てるし、「エヴァ」のように乗り手に嫌われている場合もある。なんともこういう描き方にはドライな感じを受けてしまうのだ。

でも、アーバイン、いや作中登場するゾイド乗り達はドライではない熱い心を持っていたのだ。
なぜロボットアニメが生まれたか?それはロボットに乗るという行為が少ないリスクで圧倒的な力を手に入れられる空想に浸れるからなのではないだろうか。つまり愛機の頭脳として、心としてパイロットが位置付けられているのだ。だから、私などは自らの分身たるロボットを蔑ろにするような主人公はあんまり好きではない。だからこそ、この「ゾイド」の様にパイロットと愛機の絆を強く描いている作品にどうしても惹かれてしまうのだ。

そういった要素を再認識させてくれるこの「ゾイド」という作品、実は大切にされれば化けた作品なんじゃないか?と私は思う。キャラクター的に言っても番組終了後も「ダークスパイナー」「ケーニッヒウルフ」「ライガーゼロイクス」「ゴジュラスギガ」といった新製品が出ているのだし、「ゾイドブロックス」という新たな展開も生まれている。私のような昔を思い出してゾイドを手にする人も結構いたのではないだろうか?

そう考えると実に惜しい作品だったような気がする。
思えばトミーというメーカーはキャラクターを大切にする会社なのだなぁ〜と関心させられる。この「ゾイド」にしたってそうだし、今密かに人気の「ヒカリアン」だって元々世に出たのは結構前であったと思う。そんなキャラクターを今アニメ化したり新たな商品展開をしてみたり出来るってのは何気に凄い事なんじゃないだろうか。

…一時の流行りで人気が一人歩きするキャラクターにばかり頼って見たり、珍しく脇にそれたネタをやったと思ったら単発で終わらせてしまうような所には正直真似できない事だろうなぁ。
ま、それで稼げるかは別問題になってしまうんだが…。

最後に個人的な趣味になってしまうんだが、個人的には「スラッシュゼロ」の方が好きだったりする。物語的な面白さなら断然「ゾイド」なのだが、「スラッシュゼロ」に登場する面白い面々のパワーに私はより惹かれてしまうのだ。サブレギュラー状態のハリー達やチームにゃんにゃん、ちょっとした行き違いからトロスへの復讐を企むラオン博士。荒鷲状態のジェミーにお嬢ちゃん呼ばわりされるピアス等キャラクターの濃さを生かしたギャグが堪らなく好きだったりするのだ。

…やっぱり、バカキャラ好きなんだなぁ。(笑)


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