パターン破りのザブングル

戦闘メカ ザブングル

1982年 サンライズ全50話 名古屋テレビ系放送
声の出演 小滝進、横尾まり、島津冴子、銀河万丈、ニ又一成、他

簡単解説
ここは惑星ゾラと呼ばれる地球。あらゆる犯罪が3日で無効になる「3日の掟」がまかり通る無法の地。流れ者「ジロン・アモス」は掟なんて何のその!!10日前に殺された両親の仇「ティンプ」を追いかけて、カーゴ一家やサンドラットと大騒動。青い疾風に流されて、ジロンアモスは何処へ行く…さて!!

ザブングルグラフィティ

1883年 サンライズ劇場公開作品
声の出演 小滝進、横尾まり、島津冴子、銀河万丈、TARAKO、他

簡単解説
「戦闘メカ・ザブングル」の劇場用再編集映画。他の劇場版作品と異なり「お約束」的な名シーンのダイジェストというスタイルを取っている。劇場作品の常で、本編とは微妙に設定が異なっている。


この作品の監督を務めたのは「機動戦士ガンダム」で有名な「巨匠」富野由悠季氏だが、実は元々吉川惣司、鈴木良武の両氏によって企画が進めていた数種の企画がもとになっており監督も吉川氏が努める予定であった作品なのである。ところが土壇場で監督降板。そこで当時「劇場版イデオン」で多忙を極めていた巨匠に白羽の矢が立ってしまったのだ。その心中はいかがなものだったのだろう?

しかし、どうだろう?確かにストーリーのバランスが悪く、設定や作画にアラが見られ、ストーリー構成も洗練されているとは言い難い。しかし、視聴者をグイグイと「ザブングルワールド」に引きずり込む凄まじいパワーを持っているのである。それは、荒唐無稽で破天荒な「ザブングルワールド」の住人達の魅力がそうさせるのであろう。

「主役は美形」の常識を打ち破った偉大な「ドマンジュウ」「ジロン・アモス」
文化を夢見る暴走ヒロイン「エルチ・カーゴ」
男女と言われつつも実は女らしいサンドラットのリーダー「ラグ・ウラロ」
といったメインキャラクターはもちろん
カッコつけるが決められない、イノセントの仕掛け人「ティンプ・シャローン」
エルチに惚れている懲りない男「キッド・ホーラ」
ホーラに付いたが運の尽き「ゲラバ・ゲラバ」
ヒステリーメカマン「コトセット・ムメマ」
エルチの為ならたとえ火の中水の中「ファットマン・ビック」
薔薇の背景と共に現われる「アーサー・ランク」
無抵抗主義の変人(ゾラでは)美少女「マリア・マリア」
レッグに乗って大活躍「ビリン・ナダ」
将来はいい女「チル」
ワキを固める「ダイク&ブルメ」
ソルトを率いるドンキホーテ「カタカム・ズシム」
マダムじゃない!!ミス「ギャブレット・ギャブレイ」
ワシャ、ワシしか信じねぇ!!楽園に住む「ホッター老人」
関西地区では幻の「トロン・ミラン」
熟年の魅力ムンムン?裸の後家こと「グレタ・カラス」
泣けるエピソードの「ハナワン族」
戦闘中でも練習は欠かさない「プロポピエフ一座」(…キリがないな。)

こんな具合に、脇を固めるメンバーもクセ者揃いなのである。そしてどのキャラクターもそれぞれ自立心を持っており、画面狭しと泣き、笑い、叫び、暴れ、走る…つまり、この作品はすべてのキャラクターが主人公なのである!!

そして特筆すべきは彼等が「自分達がアニメキャラクター」ということを認識していること…ある意味メタフィクション的な部分である。だから必要以上に「暗く」なる必要がなく、各々が好き勝手に自己主張をすることを許されたのであろう。何事も「勢いで行動」する直情さ、気に入らない事があればすぐに「船出」する潔さ、そして彼等の生き方の力強さが細かい設定やウンチク、アニメであることを忘れて必要以上に難しくなってしまう物語を否定したのである。だからこそ

「このぉ!!タレ目のクセにぃ!!」
「タレ目じゃない!!黙れ!!ドマンジュウ!!」
「なにおぅ!!怒ったってタレ目じゃないか!!」

というようなジロンとライバルキャラクター達の口ゲンカ(ちなみにこれはキッド・ホーラとの会話)が物語中で非常に生きてくるのである。また、主人公であるジロンにライバルはいても敵はいないというキャラクター配置も絶妙である。このおかげで物語上に、ティンプやカシムなど「ワルい奴」はいても「根っからの悪」は存在せず、キャラクターが「みんなで走る」ことが出来たのであろう。

また、劇中登場したメカ「ウォーカーマシン」も非常に個性的な魅力溢れるメカである。何せ「ガソリンエンジン」で「ハンドルやレバーで操作」という我々にも非常に馴染み深いメカで、ジロン達シビリアンの「ただの生活必需品」に過ぎないのである。その設定が、「いきなり主役メカが2機登場」「主人公側の同型艦の登場」「主役機の交代」といった良い意味での「掟破り」を物語に受け入れさせたのであろう。そのため当時発売されたプラモデルにも塗装に関しての設定は載っておらず、ただ「ウォーカーマシンは個人の所有物なので決められた色はありません。お好きな色で塗装してください」と書かれているのみで、こういった「道具は道具」という潔さが、キャラクターの魅力を引き立てたと言えるのではなかろうか。

もっとも主要メカのうち、前半の主人公機であるザブングルとカーゴ一家のランドシップであるアイアンギアに関しては、他の…トラッド11やダッカータイプといったウォーカーマシンと完全にデザインラインが異なっている為、作中でやや浮いた存在になってしまっている気はする。複雑な合体、変形機能を有したコレらの存在は惑星ゾラでは非常に異質な存在に見えてしまう。そういえばカーゴ一家を裏切る前、一家の若頭的存在だったホーラもザブングルに対し「私の趣味じゃありませんな」的な発言をしていた。もっとも、サンライズのこの頃の作品ではオモチャを作る都合もあったのだろうか、主役メカだけが妙に他のメカの構築する世界観から外れている場合も少なくなかった。その例としてはイデオン、ガリアン、ビルバイン等が挙げられる。実際、ガリアンの場合などは主役メカ=大河原氏、脇メカ=出渕氏とデザイナー配置も「ザブングル」と一緒だ。

そういう意味では「ザブングル」においても前半主役機たるザブングルより後期主役機にして建設機械風というか、デザインラインを他のウォーカーマシンにより近づけたウォーカーギャリアの方が支持されている気もするが、私自身としては初代主人公機のザブングルの方が好きだったりする。舞台に似つかわしくない…それこそ「ガンダム」的な宇宙戦争モノに出ている方がしっくりきそうなスマートなメカなのに、走る時はドタ足で、ジャンプすれば着地は大股開き…という演出が好きだったのだ。そういう意味では逆にギャリアの方がカッコ良く見えて過ぎてしまっていたのかも知れない。おかげで「まさか!!」と思った「α外伝」でのスパロボ参入の際でも、ギャリア登場以降も私はジロンをザブングル(フル装備)に乗せ続けた。拘りプレイ、と言えば聞こえはいいが、実はギャリアに乗せてしまう事でジロンの優秀な格闘値を無駄にしてしまうのが勿体無かったのだ。そういう事で、強制出撃でない限りジロン&チルをザブングル、ラグ(もしくはビリン)とマリアをギャリアに乗せていた。

そしてラストシーン。描かれるのはこれまでストーリーを引っ張ってきた「イノセントからの開放」ではない。あくまで彼等の恋愛の結末と、爽やかな疾走なのである。画面の外から「部外者」として彼らの活躍を見ていた筈の我々ですら思わず一緒に走りたくなってしまう、そんな前向きで素晴らしいフィナーレと言えるのではないだろうか。

その高い人気から「ザブングル」もこの頃の他の人気アニメと同様劇場版「ザブングルグラフィティ」が制作される。当時のプレスシートによると、この作品は「人気に便乗して、興行成績の安定のみを図るような企画者達の体質に対しての反逆」で、「映画は重く、もっともらしい物であるという過去のタテ思考の人々への反逆」であり、「過去、TVまみれになったスタッフとファンの歯軋りの集大成」なのだと言う。確かにこの作品、各キャラクター達の「お約束」的ネタを編集したダイジェストなのだが、その中にも楽屋オチでは片付けられない含みを持っているネタが幾つか見つけられる。その例が「これが動撮だ!!」や、「幻の(関西地区で)トロン・ミラン」等、ある意味業界の内部告発のようなネタがそうであろう。

上でも少し触れたが、富野氏はこの「ザブングル」という作品を急に押し付けられる格好で受けており、かつ多忙だったこともあり設定もイビツな所がある。例えば主役メカであるザブングルの胸部の意匠が一部異なっていたり、重要なファクターになる筈の「ブルーストーン」も途中から単なるイノセントのお宝程度の扱いになってしまっている事などである。こんなことから富野氏は、「ザブングル」をなんとなく不本意に感じていたのではないだろうか。

しかし私には、「劇場版イデオン」で忙しかった時にこの「ザブングル」の監督を務めたからこそ、両作品とも素晴らしい出来になったと思えてならない。極端なまでに陰湿な展開を見せるイデオンに対し、あくまでザブングルは明るくポジティブに展開していく。これが富野氏のウサ晴らしになっていたのではないだろうか?イデオンで暗くなった気分をザブングルで明るくし、ザブングルで崩れ過ぎたのをイデオンで修正する…。いわばこの2作品は、表裏一体の双子のような作品なのでは無いだろうか?

つまり、どちらが欠けても成り立たなかった作品だと思えるのである。さて、「グラフィティ」の見所であるが、やはり数々の「お約束」であろう。「成せばなる!!」や「ティンプのヤケド」、「エルチのウルウル瞳」、「アーサー様〜!!」等、「あの」名場面が目白押しなのである!!

さらに特筆すべきはやはりラストシーン。壮絶な最後を遂げた筈の「彼」が、薔薇の背景とともに颯爽と「オイシイ所」を全部持っていくのである!!是非、本編を見終わったらこちらもチェックしてほしい。しかしくれぐれも本編を見ていないなら、間違えても先にこちらを見てしまわない方が良いだろう。

良くも悪くも「富野巨匠」らしからぬ作品。これが「ザブングル」の最も適切な評価ではないだろうか?富野氏は作品を作る際、「仮想敵作品」を置くというのはマニアでは結構有名な話なのだが、実は「ザブングル」の仮想敵作品は「ガンダム」だったのではないだろうか?(一般的には「未来少年コナン」などと言われているのだが…。)富野氏の「ジロンもラグもエルチも走ったが、僕も走り、結局それにつられて2スタ(ザブングルを制作したスタジオ)も走り回って、終わった。」という言葉がそれを物語っている気がするのは、私だけの邪推だろうか?

ただ今までは褒めてきたが「ザブングル」にも色々と問題はあった。例えば「ダグラム」の記事で書いたアニメックの「ダクラム悪口特集」…コレとは直接的な因果関係はないのだが、アニメックというアニメ誌は「ダグラム」に対しての評が「ザブングル」の放映開始以降かなり侮蔑的に変貌したと聞くし、「ダグラム悪口特集」に対して「ザブングルに評論は無用」なるコーナーまであったんだとか。まぁ、冷静に考えれば評論が無用なら記事として成り立たないんじゃないか?とも思ってしまうのだが、こういったエコヒイキ…それも正当な評からのものとは言い難い、出版社サイドの都合に開き直った記事というモノは例えエコヒイキされる側の作品のファンであっても不快に思う。

私はオタクでありながらアニメ誌などは読まないのだが、こういった話を聞く度にむしろアニメ誌というか、業界側への不信感というか、嫌悪感を感じてしまう。アニメ誌を読まない私が言うのもなんなのだが、こういった出版社サイドの都合関係無しに記事を書いているアニメ誌、ホビー誌って数多いソレ系の本の中、どれくらい存在しているんだろうか疑問に思ってしまう。まぁ、論評より情報誌としての位置付けの方が強いのだとは思うが。

更にいえば、「ザブングル」にて行われたパターン破りが結局は後に「パターン」となってしまった事だろう。当時は珍しかった主役機の交代にしても、以降のサンライズリアルロボットアニメではパターン化されてしまうし、そういう意味では「ザブングル」とは「パターン破り」ではなく「新たなパターンの確立」だったのかも知れない。そういう意味では保守的ではないにしろ別に革新的という訳ではなく、むしろ罪作りな作品と言えるのかもしれない。

マジンガーZのピンチに颯爽と現れたグレートの強さに心酔する人もいるが、逆にマジンガーZへの強い思い入れによりグレートの存在を素直に喜べなかった当時のファンは少なからずいると思う。確かに「Zガンダム」にしろ「ダンバイン」にせよ、主人公が新型機に乗り換える類の作品においては、主役交番…都落ち的な前半主人公機の後半での扱いに不満を持つ人は必ずいると思う。

勿論コレには玩具を売りたいスポンサー側の都合とかもあるだろうし、新型機がバンッ!!と登場させる事は結構弊害もある訳だ。もっとも当の「ザブングル」の場合はジロンのザブングルからギャリアへの乗り換え自体はあんまり気にならなかったりするのだが、コレはウォーカーマシン自体が劇中においてワキ役(メインは飽くまで元気なキャラクター達)であった事、そして作風がコメディタッチだった為だろうし、逆にシリアスなドラマでこの主役機交代劇をやるとしても、上手くやればカタルシス溢れるカッコ良い演出となりえるので、一概に「オモチャ屋の都合」と片付ける訳にもいかないのだが。

そして、ジロンが「3日の掟」を破り両親の仇であるティンプを追う、という序盤での引きが、後半全く無視されてしまっているのも問題であろう。後半に行けば行くほど物語の比重はジロンの復讐劇ではなく、シビリアンのイノセントからの独立というものに移行してしまう為、後半ではジロン本人にもティンプに対する猛烈な怒りが描かれなくなった。ジロンが「3日の掟」に疑問を持つ、という事自体がシビリアンの成長の一端として描かれていたのに、そのキッカケが後半では完全に放置されてしまっている。

コメディタッチも良いが、ティンプにホーラと同じ事をやらせる必要はなかったんじゃなかろうか。ジロンはティンプを殺して親の仇を…とは言わないし、しぶとく最後まで生き残っていた方がより抜け目無い(マヌケだが)ティンプというキャラクターらしい気はするが、何がしかの方法で決着はつけて欲しかった気もする。第一、ティンプまでエルチに惚れていた、なんてどこから出て来たんだかワカランぞ。

最後に余談になるが、しばらく前に大都社が「ブルーゲイル 伊藤明弘版権物作品集」なるコミックが出ている。勘の良い人なら分かると思うが、この表題作「ブルーゲイル」は「ザブングル」の後日談を描いた作品だ。物語としては、ポイントXでの決戦の5年後で、ジロンは死んでしまっておりエルチも(掲載されたエピソードには)出てこない。出てくるのはアイアンギアを離れてから酒浸りになっていたラグとランドシップで運び屋を続けていたコトセット位なものなのだが、ザブングルの最後を描いたりもしていて中々に面白い。特に生身でのガンアクションや、全体的にアニメ本編以上に色濃く出ている西部劇臭が非常にカッコ良い。残念ながら完結とは至っていないのだが、完結へのプロット等が紹介されており、それによるとアイアンギアやティンプまで登場させるアイデアがあったんだとか。同人誌的な存在でイメージもアニメとは違うし、何より5年後という割に主人公のラグのビジュアルがちっとも大人びてない、という部分もあったりはするが、「ザブングル」ファン、ないし西部劇ファンでロボットアニメ好きだったりするなら読んでみるといい。

ともあれ、個人的には、この「ザブングル」は私が初めて熱中したロボットアニメなので思い入れが強い作品の一つである。


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