出来たのは山口百恵な「ボトムズ」

装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ

2007年 サンライズ制作OVA 全12話(全12話を纏めた劇場版もあり)
声の出演:郷田ほずみ、大塚周夫、石塚運昇、銀河万丈、他

簡単解説
レッドショルダーを除隊したキリコが送り込まれたのは惑星ロウムスのタイバス渡河作戦だった。60万人以上の大兵力による一大作戦であったが、キリコはその最激戦区に送り込まれる。一方、レッドショルダーの創始者にして総司令であったヨラン・ペールゼンは軍事法廷の被告席に座っていた。終始無言を貫いていたペールゼンだが、情報省のウォッカムにより新たな証拠が提示されるや否や、突如錯乱状態になる。一体、「ペールゼン・ファイル」とは何なのか。


さて、今回は2007年…実に13年ぶりに高橋良輔氏自らメガホンをとって制作された新作「装甲騎兵ボトムズ」であり、後に続く「孤影再び」や「幻影篇」、ココでも記事にした「ケースアービン」や「ボトムズファインダー」が制作される…言わばそのキッカケを作った作品である。但し、内容はテレビ本編の前日譚であり、OVA作品「レッドショルダードキュメント 野望のルーツ」とテレビ本編の間に当たるエピソードである。まぁ、分かり易く言ってしまえば富野氏が自分で「0083」を監督した様なモノ…と捉えて貰うのが手っ取り早いか。

ただ、「赫奕たる異端」の記事にも書いたと思うのだが、「赫奕たる異端」の制作時点で、当時…テレビシリーズ終了時点で高橋監督は「テレビシリーズ最終回以降の物語は作らない」と明言していたにも関わらず、ファンや関係者の声から引っ張り出されてしまった、という経緯があり、「赫奕たる異端」自体も、テレビシリーズのヒロインであったフィアナを殺してしまった為に非難轟々だった、というものがある訳だ。

勿論、「ペールゼン・ファイルズ」は「赫奕たる異端」とは違って続編ではなく本編に対しての補完的なポジションなので、今更高橋監督の言葉を蒸し返すつもりはないし、実際問題として約束を反故にされて制作された「赫奕たる異端」…実の所私はこの作品は結構好きだったりするし、この「ペールゼン・ファイルズ」に対しても、別に文句を言いたい訳ではない。ただどうしても、一個の「作品」として完成されていた筈の「装甲騎兵ボトムズ」が、商売人達の都合により「商品としてのブランド名」になり下がってしまう様は…もう見たくない。そういう訳で、「ペールゼン・ファイルズ」には中々食指が伸びなかったのは事実。少なくとも私は、能天気に手放しで「ボトムズ」の復活は喜べなかったのだ。

物語の中身はというと、「野望のルーツ」から続く異能生存体ネタであり、250億分の1の確率で生まれる、生存確率が異常なまでに高い人間の個体…つまりは"死なない兵士"の研究に関しての、ペールゼンが隠蔽しようとしたファイル…これを入手した情報省次官のウォッカムが、キリコを始めとする「異能生存体」であるかも知れない個体を集め、バーコフ分隊を結成。彼等を様々な形で危機に追い込み、彼等の能力を確かめようとする…というのが大まかな流れとなっており、「ラストレッドショルダー」や「野望のルーツ」でのグレゴルー、ムーザ、バイマン…はたまたテレビシリーズクメン篇でのキデーラ、シャッコ、ポタリアといった、キリコが仲間を持つ…というのも特徴的か。その仲間も異能生存体の可能性がある存在、という事でクセモノ揃いであり、

危機に瀕したら「逃げの一手」で生き延びてきた学者タイプのAT乗りで、士官にまで出世したが敵前逃亡により下士官に降格された過去を持つ分隊長バーコフ
他人になりすまして逃亡を繰り返し生き延びてきた為に「死神シラスコ」と呼ばれ、浄化委員会に命を狙われている非情かつ非道な男・ゴタン
技師あがりの臆病者だが実はキリコ達の監視として送り込まれたウォッカムのスパイ・コチャック
新兵ながら優れたAT操縦技術を持つが、何故かキリコに対して殺人衝動を抱える少年兵・ザキ

…と、それぞれに踏まえたエピソード等も盛り込まれており、そんな彼等が生死の境を何度も共に潜り抜けていくうちに徐々に連帯感が生まれていく様…そしてそれが最後の最後で崩れ、結局キリコだけが生き残る…という構図も、テレビシリーズに繋げるという意味では上手く機能している。

但し、この「ペールゼン・ファイルズ」においてキリコが完全に「異能生存体」として自覚してしまっているという点に関しては、少々テレビシリーズとの矛盾、いや違和感が生じてしまっている気がする。また、今回寡黙な男…というテレビシリーズ序盤のキリコを強く意識し過ぎているのか、キリコがあまりにも喋らないのも違和感がある。テレビシリーズでも普段あまり喋らない代わりに、独白の様な語りがあった訳だが、今回はあまりに無口過ぎて逆に主人公として機能していない様にも見える。何と言うか、別にキリコ引っ張り出さなくても良かったのでは?とすら思える程だ。特に今回はペールゼンやウォッカムの駆け引き等がキリコ達の苦闘の裏にあった訳で、余計にキリコの存在に靄がかかってしまっている印象がある。

更に問題なのが、ATを全てCGで描いた事であろう。この弊害は本作においてかなり大きい。確かに、CGならば冒頭での渡河作戦等の大規模戦闘などはやりやすいのかも知れないが、どうもこのCGには違和感がある。なんというか、アニメを見ているというよりゲームのムービーを見ている様な気分にさせられるのだ。これは古参のボトムズファンならばほぼ全員感じた違和感ではなかろうか。

その原因の一つに、わざとやっているのかと思えるほどATと人間が並んで動いていない事があるだろう。ATというメカニックは、多くのロボットアニメが存在する中でも一際小さい4mそこそこという大きさ…そんな小さなメカニックでも、大きく、重く…蠢く鉄の塊として視聴者が認識出来たその理由は、メカニックを人間と並べて対比させていた点にあると思う。例えば、ウドにてスパナ片手に黙々とスコープドッグの整備をするキリコの姿や、降着機構を使っての乗り降り…ゴーグルを外してバイザーを開けて目視にて操縦…なんてのもそうだ。こういったメカと人とを同じ場面で写し、対比させていくという部分があまり「ペールゼン・ファイルズ」には見受けられない。CGで描かれたATと、手書きのキャラクターが一緒の画面に映って違和感が出る事に考慮したのかも知れないが、もっとうまいやり方があった筈だ。少なくとも、本作のATには重さも大きさも感じられない。

そして付随した部分ではあるが、自主規制なのかも知れないが、「野望のルーツ」や「赫奕たる異端」で多用されていた表現…撃たれれば銃弾がコックピットに貫通してパイロットに当たり血を流す、殴られればコックピットがひしゃげてパイロットがダメージを負う…といった部分。そしてバララント側の描写がATのみで、しかもやたら突っ込んでくるだけで何とも無機質な印象になっていて血が感じられない、という点であろうか。別にグロテスクな描写をしろとは言わないが、メカのサイズ、設定からあって然るべき描写まで削られる…描かない、というのは違和感がある。

こんな感じで、「ペールゼン・ファイルズ」という作品…山口百恵さんの名曲、「イミテーションゴールド」を思わせる欠陥…というか手落ちを感じざるを得ない部分が終始散見してしまっている。出来自体はともかく、ファンにとっては出来そのものよりももしかしたら大切かも知れない…正に待ち望んでいたものの多くを、何故かすっかり忘れてきてしまっている…だから感じてしまう印象は

♪声が違う〜年が違う〜夢が違う〜ほくろが違〜う〜
  ご〜めんね〜昔の人〜と〜また比べている〜

…といった具合になってしまう。これを時代のせい、歳のせいにはして欲しくないし、そんな言い訳が通る様な作品ならば、時代を超える事なんて出来無かろう…そんな事を思ってしまう。


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