「ガンダム全肯定」ではなく「ガンダム全否定」

∀ガンダム

1999年 サンライズ 全50話 フジテレビ系放送
声の出演:朴瑠美、高橋理恵子、村田秋乃、青葉剛、福山潤、他

簡単解説
宇宙世紀から遥かな歳月が流れた地球。かつてターンタイプと呼ばれるMSの散布したナノマシンによって、繁栄を極めた地球文明は埋没し、大地には旧世紀半ばのような人々の生活風景に溢れていた。地球を逃げ出した民「ムーンレイス」の少年ロラン・セアックは、先遣調査員として地球に送り込まれ、ハイム家の使用人として働いていた。しかしムーンレイスの降下作戦中にビシニティの神像の中に隠されていた謎のMSに乗り込み、以降月と地球の戦争の中心人物となっていく。


放送キー局が名古屋テレビ系列からフジテレビ系列になったガンダムであり、恐らく最後のガンダム作品となるであろう…と思っていたら、「ガンダム」というブランド名の継続と旧作ファンではなく若年層の開拓を目的としたのであろう、宇宙世紀や他のアナザーと世界観を別にする新シリーズ「seed」が始まってしまった。ちなみにキー局もフジ系ではなくTBS系列に移っている。富野氏自らがメガホンを…という点でも劇場版「Zガンダム」が公開され、最後の「富野ガンダム」という訳でも無くなってしまった。我ながら先見性が無いと言うか、勘が鈍いというか…。

それはともかく、本作「∀ガンダム」は「機動戦士ガンダム」の原作者である富野由悠季氏自らが久々にメガホンを取った「ガンダム」という事で話題を呼んだ。いや、呼んだのは話題だけではなく、放送する以前、アニメ誌等にストーリー概要や舞台、メカニカル設定が掲載された時点から様々な賛否両論を呼んでいる。そんな賛否両論を生んだ1番の原因は、工業デザイナーとして知られるシド・ミード氏がデザインしたMS群である。特に主役メカである∀ガンダムの威容には今までの「ガンダム」を知るファンは愕然とした。

氏の描くガンダムは直線と円のみで構成されたデザインで、従来のガンダムとは異なり人型として洗練されているとは言い難く、やたらとモールドが多い。後は嗜好の問題でもあるが、少なくともロボットアニメ用のデザインとは言い難い気がする。そして最もファンに忌み嫌われたのは口元に存在するチークガード…通称ヒゲである。このヒゲ、∀ガンダムのデザインがメディアに登場した途端ファンが様々な憶測を生んだ。例えば「ヒゲが額に移動する」とか「ブーメランとして使えるようになる」といった具合である。

そりゃそうなって当然だ。フィクションであるアニメに登場するロボットと、現実世界で生み出される工業製品ではデザインのやり方が根本的に異なるのだ。克つシド・ミード氏は外国人…確かに「Z」放映時にポスター用のイラストを描いているし、プロとして「ガンダム」という仕事を引き受けた以上、事前調査というか、勉強の為に知識を仕入れているとは思う。しかし「ガンダム」というアニメーションのみが持つ特異な経歴に関してまで知っているとは考え難い。そんな氏に、日本古来の伝統である(イヤミです)ガンダムをデザインしろという事が既に酷と言う物である。

聞く所によると、今までMSデザインでガンダムに携わったデザイナーにも∀ガンダムの評判は良くないらしい。しかし私個人の∀ガンダムのデザイン評としては、カッコ良くは無いけれどヘンテコで面白いといったような物で、「コレはコレで別にアリなんじゃないかなぁ」といった感覚である。別にMSデザインがガンダムの全てではないのだし、デザインなんてものは、基本的に受け取る側の感性次第なのだからココでコレ以上追求しても無駄であろう。

さて、そんな∀ガンダムではあるが、私にはこのデザインに富野氏の陰謀が隠されている気がする。∀ガンダムは一応古来からの基本兵装である「ビームライフル」「ビームサーベル」「シールド」の3種の神器を用いて戦い、オプション的に「ガンダムハンマー」等の特殊兵装を用いる。当然カラーリングも伝統のトリコロールカラーであり、更に劇中でこそ大して活躍してはいないがコアファイターの存在も設定されていた。もっとも、コレが富野氏からシド氏へそういったオファーがあった為かどうかは分からないし、聞く所によるとコアファイターは富野氏ではなくシド氏からのアイデアだという。この事から、

「ガンダムといえばコアファイター」等と言う位なんだったら、シド氏だって立派に今まで登場してきたカンダムのデザイン、ないし設定に対して思い入れとか拘りがあったのではないか?

と主張する人もいると思う。確かにその通りだが、ならばナゼ採用されたのは今まで見たことも無いような姿…既存のガンダムとは似ても似つかないヒゲガンダムだったのだろうか。私などはココにこそ「∀ガンダム」に封入された富野氏の陰謀を感じてしまうのだ。ビームサーベルやビームライフル、トリコロールカラー等とキーワードでは確かにガンダムだが、その姿自体はガンダムという名前から我々がイメージする姿とは程遠い…むしろ「モビルフォースガンガル」的な違和感のある∀ガンダムだった訳で、更に富野氏に至っては

「シド氏のガンダムを見たら昔のモビルスーツがゼロ戦に見えてきた」

等とのたまう始末…。インダストリアルデザインが云々…と言いつつも、デザインそのものからは何処が機能的なのかは良く分からないし、バランスの云々という部分は置いておき、最大の特徴たる頭部を隠して見てみると、少なくとも前方からの姿はシンプル極まりないデザインでそれをモールドで誤魔化しているように見えなくも無い。中途半端な機能美みたいなものは、結局はムチャクチャな動きに終始させる類のロボットアニメには不向きな気がしてしまうんだが…。

もっと言えば、実際にアニメで動いている∀ガンダムはシド氏の設定画から大幅にアレンジされたものだったし、出来が良いと評判のプラモデルに至っては、アニメ版とも設定画とも違う形になっているという。そう考えると、私にはますますシド氏を起用した事を疑問に感じる。いや、もちろん実際にアニメで動いている∀ガンダムは面白いし、作品の魅力の一端にはなっていたと思うのだが…。

しかしその一方で、∀ガンダムの設定にはワザとファーストガンダムでアムロが乗ったRX−78に似せて設定してある様にも見える。更にはマウンテンサイクル…つまりは過去からザク(ボルジャーノン)やらカプール(カプル)が発掘され、ターンタイプやムーンレイスの機体と肩を並べて画面に登場する…。旧作のファンへのアピール、と言ってしまえば簡単だが、私にはどうしてもカッコ良いとは思えない∀ガンダム(個人的に、だが)やボルジャーノン等旧作メカの登場には、もっと作為的なモノを感じるのだ。

分かり易く言ってしまえば、富野氏がワザと外国人の畑違いのデザイナーたるシド・ミード氏を起用し、氏が割と好き勝手にデザインした異質な∀ガンダムを主役とした理由こそ、今回の批評のタイトル「ガンダム全否定」…そしてそれは今までシリーズ…富野氏の世界観をベースとした宇宙世紀のみならず、アナザーまで含めた「ガンダム」にてよく言われる「ガンダム”らしさ”」に対する挑戦であるのだと私は思うのだ。

富野氏は「Z」以降、商業主義によって自らが本当に描きたいものを作れなくなったとインタビュー等で語っている。その為自ら「ガンダム嫌い」を公言しているのはファンには結構知られている事である。おそらく氏は「逆襲のシャア」までは自分が「Z」という作品を受けた事が大元の原因だという自負があった為、ある程度「ガンダム」を容認(自分で監督しているにも関わらず、である)しているような態度であったのだろう。しかし「逆襲のシャア」以降の「ガンダムセンチネル」の登場と、それすらも商業的に利用したスポンサー、そして「富野は甘い」と言わんばかりに「センチネル」を支持したファンにより富野氏はある意味「ブチ切れ状態」に陥っていたのではないだろうか?そう考えればこの時期の監督の無軌道ぶりも理解出来るような気がしてしまう。

そんなスポンサー、そしてそのスポンサーに踊らされるファンに対してフラストレーションがピークに達した状態で作ったのが「F91}「Vガンダム」といった作品なのではないか。この2作品はコアな宇宙世紀マニアに言わせると「ガンダムである必要性が感じられない」そうなのだが、実際そういった御仁の言う「ガンダム」ではなくても通用してしまう作品を作ることこそ、このブチ切れ状態の富野氏がやりたかったことなのだ。

つまり、今まで散々スポンサーの策略にハマり、「ジオン」だの「スペースノイド、アースノイド」だの「ニュータイプ」だのと言ったものを妙に神聖化したファンが最も嫌う形の「ガンダム」を作ったのだ。言ってしまえば、同じく仕切り直しとして制作された筈の「F91」と「Vガンダム」で、「V」に関しては単なる富野氏のウサばらしに過ぎなかったのではないだろうか。

だからと言っては何であるが、「Vガンダム」が数字的にコケてしまって一番喜んでいたのは実は富野氏本人だったのではないだろうか?その為「V」以降はスポンサーも富野氏を引き続き起用する事は止め、他のアニメ作家に「ガンダム」という厄介な仕事を押し付ける形をとるハメになる。そんなアナザー「ガンダム」を見て…自分の描いた世界観とは異なる「ガンダム」達を見て、富野氏は何を感じ、考えたのか。そして当の富野氏本人はBSという新しい放送枠にて「ブレンパワード」を制作し、アニメ作家としてのリハビリを行ったのだ。そしてキー局の変更に伴い再び「富野氏にガンダムを」という事で本作「∀ガンダム」を受ける事になる。ここで富野氏は初めて正攻法でガンダムにトドメを刺す決意をしたのではなかろうか。

その為、ファンの形作る「ガンダム」という枠を超越したという意味で本作「∀ガンダム」の完成度は高い。「F91」や「Vガンダム」にて陰湿な演出でファンに身を引かせるやり方ではなく、設定的にファーストガンダムに重なる部分を踏まえつつ、ファンの思い描く「ガンダム」の概念の正反対を描ききったのだ。だから本作はファーストガンダムと同じく「宇宙に住む人々と地球に残り続ける人々」を描きつつ「ニュータイプ」なんて概念は出てこないし、妙にリアルぶった軍隊主義的なものも捨て去ることが出来たのである。上記した∀ガンダムのデザインと設定や「∀ガンダム」という作品そのものの世界観を見ると、今までファンが口にしていた「ガンダム”らしさ”」…いや、「ガンダムっぽさ
」という言葉を悉く覆したのが「∀ガンダム」であるとも思えてくるではないか。そう考えると物語冒頭で主人公ロランが発したセリフ

「僕は月から来たムーンレイスです。僕は月の人と戦います。だけど、地球の人とも戦います。人の命を大事にしない人とは…僕は誰とでも戦います!!」

というセリフは、富野氏が「ガンダム」という呪縛を断ち切る決心の現われだったのではないだろうか?つまり、「∀ガンダム」は「ガンダム」から逃げ回ってきた富野氏がもう一度ガンダムと向き合い、自ら幕を下ろそうとした決意表明なのだ。だからこそファンの求める「ガンダム」の正反対を貫き、逆説的に「ガンダムはもう終わらせるべきだ」と言うことをファンに訴えかけたのだ。もっとも、残念ながらサンライズもバンダイも「∀ガンダム」をもって「ガンダム」を終わらせてはくれなかったのだが…。

ともあれ、少なくとも全ガンダムシリーズの中で、唯一完全に「宇宙世紀」から独立した世界観を作り上げることが出来たのは「Gガンダム」と本作だけである。アナザーである「W」や「X」は、一応別次元の話という事にされてはいるものの、その雰囲気というモノは宇宙世紀にて描かれたそれと大差が無い。いや、大差ない様に敢えてしているのだろう。それは世界観を別、というより一新した「seed」でも同じ事だ。少なくとも「∀」や「G」を見た時の様な違和感は受けない様になっている。

それでいて「∀」にはそれぞれカプル、ボルジャーノンと名前を変えたカプール、ザクを登場させ伏線を貼り、最後の最後で宇宙世紀、そしてアナザーガンダムすべてを統括して一括りにまとめてしまったのだ。世界観を既存のものからは大きく逸脱させてはいるが、その根底にあったのが今までの「ガンダム」と同じ、宇宙移民者と地球に住み続ける者という構図は変わっていない。コレ、「ガンダム"らしい"」キーワードは散りばめておいて全く異質なモノを作るという…言ってみれば富野氏がガンダムファンへケンカを売った、という事なのではなかろうか。私には「∀ガンダム」を見るとこんな富野氏の声が聞こえてくる気がする。

「お前さん方はココまでされてもまだ『ガンダム、ガンダム』と言い続けるのか?」

つまり、「宇宙世紀」だろうと「アナザーガンダム」であろうと、「ガンダム」も所詮は只のロボットアニメに過ぎないという本質を遂に富野氏は自らの口でファンに伝えたのである。そう考えると、この「∀ガンダム」に対し、「アナザーガンダムまで宇宙世紀と一緒にして全肯定をしたから俺は絶対に認められない」等と発言するファンがいるが、そんな事にこだわっている凝り固まったガンダムファンこそ認めなくてはならない作品なのではないだろうか。

そもそも考えても見て欲しい。この「∀」の結末に対しては、原作者が半ば投げ出した作品を無理やり押し付けられ、もがき苦しみつつも独自の路線で新たなファンから支持を受けた作品を作り上げたアナザーガンダムのスタッフの方が、そう言ったつまらないこだわりで世界を縮めてきただけのファンより余程悔しい思いをしている筈なのだ。そりゃあそうだろう、無理やり押しつけられたような作品に対し逃げず、懸命に良いものを作ろうと努力した。その結果独自の路線を築くことに成功したのに後になって出てきた原作者に全部良いところを持っていかれてしまったのだ。この事実の方がワガママ放題のファンよりよっぽど可哀想だ。

この「∀ガンダム」が世に出た以上、少なくとも私にはこれから生まれて来る「ガンダム」達に付き合っていく義理は無くなった。私にとっての「ガンダム」は、ようやくこの「∀ガンダム」によって決着をつけて貰えたのだ。だからこそ高らかに叫びたい。

「ガンダムよ、今まで夢をありがとう!!」


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