大人と子供

機動警察パトレイバー(マンガ版)

1988年 ゆうきまさみ 小学館文庫版なら全11巻

簡単解説
1998年の日本では、ハイパーテクノロジーの進化で人々は相変わらず豊かな生活を送っていたが、そのテクノロジーの進歩は新しい脅威を生むことになる。多足歩行型マニピュレーター…通称「レイバー」を使った犯罪がそれである。警視庁は機械化部隊、通称「パトレイバー」を創設し、泉野明ら隊員に新型レイバー「98式AVイングラム」に搭乗させこれらの犯罪に対抗させるが…。


いきなりぶっちゃけた話をさせてもらうが、私はこの「パトレイバー」には正直関心が薄かった。10年後という近未来を舞台に、しかも今現在とさして変わっていない街並みに何気なくロボットがある…「パトレイバー」が描いたこの世界観は好きだったし、幼少の頃から「太陽にほえろ」や「西部警察」なんかを好んで見ていたので、警察モノというドラマの作り方も嫌いではないのだが…。
もちろん肝心のロボット自体も出渕裕氏が仕上げたスタイリッシュなデザインを持つ「趣味的」なイングラム、そしてそのライバルとなるグリフォン等のデザインは素直にカッコヨイと思ったし、ワキ役として登場する作業用レイバーも、「戦闘メカ ザブングル」のウォーカーマシン達程ではないにせよ、独特の存在感があって好きだったのだ。

ではなんで私は「パトレイバー」という作品に関心が薄かったのか?それは、「メディアミックス」という戦略が嫌いだったからなのだ。

「メディアミックス」というものは、簡単に言えばある程度の設定が固まっているキャラクターや世界観で、その媒体によって物語の展開を変えるというものである。つまり、ファンはマンガ、テレビアニメ、OVA、小説、映画、ドラマCD等と別な形で展開していく物語から自分に合った物をチョイスして楽しめばいい…というものなのだが、コレは作り手…いやむしろ作品を提供しているスポンサーの都合のいい解釈であるような気がしてしまう。

私も含むオタクと呼ばれる人間の心理とは厄介なもので、一つの作品に興味を持つととことんまで突き詰めなくては気が済まなくなってしまう傾向が強い。ただそれでも全ての媒体でほぼ同じ展開をする作品ならまだしも、「メディアミックス」のように、同じ作品名で媒体毎に違う物語を提供されると、オタク的心理から「全て見尽くしてやる!!」と大量の出費をする事になりかねないのだ。
まあ、この辺がオタクがオタクである所以なのかも知れないが、こんな「メディアミックス」というもので一番喜んでいるのはファンではなくそれで商売している連中だ。「メディアミックス展開」という奴は、少なくとも私にとってはあんまりありがたくないシロモノなのだ。
第一、最初に見た媒体が駄作だったら他の媒体に手を出さないのが普通である。そう考えれば「メディアミックス」は都合良く金を払ってくれるファンを選別して、そんな連中から徹底的に搾り取る厄介なもののような気がしてしまうのだが…。

その他にも映像作品で監督を務めた押井守氏が「甲殻機動隊」だの「人狼」だのといった作品をヒットさせた影響か、まるで富○氏のようなイヤーンな発言を繰り返していた事が更に私を「パトレイバー」という作品から遠ざけた。しかしようやくここへ来て、私も「パトレイバー」に手を出したのだ。もっとも、出張先で宿の回りに何も無かったので暇つぶしにマンガ版を中古で購入しただけなのだが…。

さて、肝心の本編であるが、この作品で注目しなくてはいけない部分は野明達「特車二課」の面々と、内海率いる「シャフト企画7課」なのではないだろうか?
この作品、主人公たる野明よりもハラグロな後藤隊長、射撃狂で壊し屋な太田、パーフェクトウーマンなお武さん、何を考えているか分からない内海課長等などのキャラが濃いワキ役が目立つ。得てして人気もそういったキャラクターの個性からの影響が大きそうなこの「パトレイバー」ではあるが、彼等の織り成すドタバタ喜劇の裏に、実は練りに練られた重要なメッセージが隠されている。そのメッセージを紐解くキーワードはやはり「特車二課」と「企画7課」である。

物語の前半、野明達特車二課の面々はシロウト然として描かれている。実際に特車二課の若手メンバーは正規の警察としての教育を受けたのは太田くらいなものであり、シロウトっぽいのは当たり前ではあるのだが、打ち合わせ中にケンカを始める等シロウトクロウト以前にどうも子供っぽい部分がある。
それはイングラムに乗っての捕り物でも同じで、「現場の臨機応変な判断」と称してすぐにリボルバーキャノンを撃ってしまう(しかも当らない)太田や、格闘戦用に作られたイングラムのボディにキズがつくのを嫌がる野明…その行動や言動がどーも子供っぽいのだ。

それに対する「シャフト企画7課」…というより内海は逆に「子供のままの大人」として描かれる。利益を度外視してグリフォンを作り、自分が楽しむ為にグリフォンを戦わせる…。そのワガママぶりで周囲を混乱させる所や、自分の目的の為なら手段を選ばない社会性の無さ、そしてミーハーでイタズラ好きな性格…はっきり言って内海という男の行動パターンは子供のソレに近く、大人としてのものではないのだ。
一応彼のグリフォンには彼が人身売買で買った少年・バドが乗っているが、恐らく本音は自分自身で乗りたいと思っているのではないだろうか?

作中は部下の黒崎と共にトリックスター的な行動が多い内海であるが、彼の存在意義はやはり特車二課の面々との対比にある。野明が本編で

「あたしたちはちゃんとお役に立ってんのかな?ほんとはその手応え欲しいんだよ。」

と語っているように、特車二課の若手メンバーは「大人になろうとしている子供」である。野明のみならず、イングラムを開発した篠原重工の社長を父に持つものの、親に反発して警官になった遊馬、暴走しがちだが、実は特車二課中でもっとも警察の責務に責任を感じている太田、彼等は必死になって「立派な大人」を目指している。
彼等に対し、唯一特車二課で「大人」であった後藤隊長は飽くまで大人として彼等を見守り、時に的確な助言を与える。彼の部下に対する考え方は作中に印象的な形で登場することが多い。

「助言はしてやれ。手助けはするな!」
「若者は自分の力で立ち直らなくちゃあ。」

等、何気に格言じみた含みが感じられるような気がする。

それに対し、内海は後に後藤隊長に看破された通り行動パターンが完全に子供なのだ。大人である筈なのに、大人にはならない…それが内海という男の正体である。よくパトレイバー評で「内海が何を考えているか分からない」等という事を聞くが、それは内海に社会性とか、倫理感といったものが欠如しているからなのだ。子供は大抵親といった保護者の庇護のもとにおかれている為、社会における自分のポジションを把握していない。だから子供には社会性は存在しない。子供は善悪の基準を自分1人で持つことが出来ない。だから子供には叱ってやれる人間がいなければ倫理観なんて育たない。
思えば彼の暴走に対し色々とフォローする黒崎も、内海の部下としてでも、同じ目的を持つ仲間としてでもなく、内海という名の大きな子供の保護者としての意識だったのではないだろうか?
ワガママで好き勝手に行動するから子供であり、ワガママで好き勝手に行動するから内海は大人の体を持った子供なのだ。

つまり、「パトレイバー」とは「大人になろうとする子供」と、「大人をやろうとしない大人」の戦いと読み取る事も出来る訳だ。だからこそ、子供のまんま大きくなった内海と、必死に大人になろうとしている特車二課の面々とのぶつかりあいに高いドラマ性と、読み手それぞれに含みを与えるテーマ性を与えたのだろう。

特車二課の面々は内海達シャフト企画七課の陰謀や、様々な事件、さまざまな出会い、色々な紆余曲折を経て徐々に成長していく。彼等は成長出来たのであろうか?その答えは、最終話にてきっちりと描かれている。この辺は作品に直に触れて感じとって欲しい部分だ。

さて、私としては充分「パトレイバー」を楽しめたのだが、それでも映像作品に手を出すのには少し気が引けてしまう。上で述べたような理屈以前に、この手の展開をしている作品にのめり込んだら金がいくらあったって足りやしないのだ。
ちなみに、近年ヒットした刑事ドラマ「踊る大捜査線」はスタッフが「パトレイバー」を意識して作ったらしい。そう言えば設定にもかなり似ている部分があるが、少なくともマンガ版の「パトレイバー」よりはコメディ色を強めた作風になっているように感じる。

最後に余談として記しておくが、最近劇場版パート3に便乗してMGのイングラムやグリフォンが発売されたが、テレビアニメ放映当時に売られていたパトレイバーのプラモデルはレイバーの特徴に合わせて関節部にカバーをつけるという画期的なアイデアが盛り込まれたが、肝心の関節カバーのラバーパーツがポリキャップを溶かすという失態をやらかした事でも有名になっている。
ちなみに、HGABのダンバインでも同じ事をやっており、初回のダンバインと後期ダンバインではラバーパーツの材質が異なるらしい。
目先の利益ばっかり考えてるから、そんな失態をやらかすんだよな…。


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