「ナデシコ」とは「放り投げ」と見つけたり…

機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-

1998年 劇場公開作品 
声の出演:南央美、上田祐司、桑島法子、日高のり子、他

簡単解説
1996年に放送されたTVアニメシリーズのその後を描く、1998年公開の劇場用長編作品。スペースコロニーが何者かに襲われ、ホシノ・ルリを艦長に迎えたナデシコBが調査に乗り出す。「火星の後継者」を名乗り、新たなる秩序を標榜する相手にルリたちナデシコ一行はいかにして立ち向かうのか。


さて、今回は私にとって非常に厄介なタイトル「機動戦艦ナデシコ」である。
とかくこの作品は私が「天まで飛べ」を設立した当初から、ある種の因縁のある作品だったりする。つい最近ココ「天まで飛べ」を訪れた人にはビックリしてしまう事実かも知れないが、当初「大惨事!!スーパーロボット大全」は悪評禁止のコンテンツであったのだ。基本的に私自身がとあるガンダムファンサイトからの流れでこのHPを設立する事となり、大学にも行けない程学が無く、勤労意欲とか社会福祉的な観点からでも大いに問題を持っている私にも簡単に、比較的楽しんで出来るネタ…という事で、常々良く見ていたロボットアニメの批評というか、感想集みたいな事をやろうと決めた訳だが、最初は

「『ガンダム』とか有名どころ以外にも面白いロボットアニメはありまっせ!!」

というのがメインテーマだったので、比較的メジャー所(アニメファン層ではなく一般に)を避けて書いていたのだ。ただ、当然そんな形ではアクセス数は伸び悩み、メジャーどころの批評やらを始めた訳だがそこで結構な数のリクエストを知人やらメールにて貰っていたのが「新世紀エヴァンゲリオン」と「機動戦艦ナデシコ」という作品だったのだ。
ただ、リクエストは多かったものの私は中々やる気にならなかった。やったら絶対に因縁めいた悪評になると分かっていたからである。「エヴァ」「ナデシコ」を批評する事は、当初の「悪評はしない」という前提を崩す結果となるのがもう分かりきっていたのだ。

しかし、遂に行き詰って「大惨事」での悪評は解禁され、「エヴァ」と「ナデシコ」の批評を公開に踏み切った訳だが、実は「エヴァ」にしろ「ナデシコ」にしろ、最初書いた批評をベースにはしているものの、もう既に4回ほど書き直しをしているという、HP運営上非常に厄介な批評となってしまった。もはやココまで来ると、妙な因縁めいたものまで感じてしまう…ふぅ、ヤレヤレ…。

と、言うことで今回の「劇場版ナデシコ」の批評も、はっきり言えばそのあまりの因縁めいた文面にファンの方は怒り心頭になってしまうモノになる事は…まぁ、まず間違い無いだろうから、「『ナデシコ』は古今東西稀に見る傑作だ!!」と信じているファンの人はどうぞ、こんなクチ汚い文章は読まないで頂きたく候…。(笑)

さて、ようやく本題に入ろう。
本作は、テレビシリーズ最終回から3年後、という設定なのだが、この手の作品の常でテレビシリーズを知っている事が前提で話が進行する。一応冒頭部分にテレビシリーズをあんまり知らない人に対する説明的なものもある事はあるが、割と…というよりかなり不親切だ。テレビシリーズからの劇場版、というのは何も「ナデシコ」に限らず大概テレビシリーズを見ていたファンに対するサービス、という感覚で制作されているフシの作品が多い訳で、そういう意味では別段言及すべき事ではないのかも知れない。ただ、この「ナデシコ」の場合は3年という、テレビシリーズから敢えて設けられたブランクがあり、このブランクのおかげでテレビシリーズとは随分趣が異なっている。

キャラクターの方にも変化が見られ、声のおかげで分かったがビジュアル的に変わっているリョーコなど、設定画だけ見たら新キャラかと思ってしまった。主人公自体もテレビシリーズではアキトとユリカだったのがルリに取って代わられており、物語冒頭ではアキトとユリカは死んでいる事になってしまっている。

テレビシリーズの初期において、制作スタッフがこの「ナデシコ」に関して「学園ラブコメの舞台を宇宙戦争にしたネタ」と話していたらしいが、この学園ラブコメのメインイベンターを張るのがアキトとユリカの関係であり、劇中この2人に割って入ろうとするキャラクターによりヤキモキする…というモノがあった訳だ。

しかし、テレビシリーズが進行するに当たってファンの人気を集めたのはユリカでも、ましてやヤロウのアキトでもなく、感情表現が乏しい、所謂アヤナミ系の美少女ホシノ・ルリだった…。それを鑑みると、劇場版の企画がテレビシリーズのどの辺りから進行していたのかは知らないし、企画段階ではこうなっていた…なんて話も知らないし別に知りたくもないが、コレはもう、人気者で客を呼べるであろうルリの活躍頻度を増やす為に敢えてアキトとユリカをある意味蔑ろにするようなスタイルを取ったのでは?とも考えられる。

いや、コレが悪いとは言わない。テーマ自体も恐らくお馴染みのメンバーが活躍する外伝的なものではなく、それぞれが歳を重ね代わっていることが前提の「同窓会」…言わばルリの視点から、月日によってそれぞれの形で変わって行く人々、というモノを描きたかったのだろう。こういう主旨で入れたかは知らないが、劇中にもこういうセリフをプロスペクターに言わせてもいるのだし、コレはナデシコCのクルーとしてスカウトする為ルリ達が旧ナデシコメンバーを尋ねるシーン(去っていった仲間が再集結、というネタとしては「劇場版パトレイバー2」に似ている気がする)や、新機軸として打ち出されたルリとハーリーの関係などに賢著に見られる。ただ、それをアキトとユリカの事と一直線に繋げて良いものなのだろうか。

ラストシーンでも、ユリカがルリ達によって解放されてもアキトは1人仲間の元から去るという選択をする。コレは、メグミやホウメイが再結集には応じず今の自分の立場からかつての戦友に協力するというようなモノとは明かに違う。他のルリを代表に、アキト以外のキャラクターは割とポジティブに未来を見据え前に進んでいるが、復讐鬼と成り下がったアキトだけは只1人、最後まで後ろを見っぱなしだった訳だ。別段私はテレビシリーズのアキトに思い入れがある訳ではないが、正直コレは違うんじゃない?コレが正しいならテレビシリーズの意味はなんだったのよ…と思わずにはいられなかった。

ともあれ、そういう意味ではテレビシリーズの「続編」ではなく「後日談」という、一見ファンサービスの為の劇場版というスタイルに見える本作は、実はテレビシリーズとは大幅にベクトルが異なるような印象を受ける。後日談という割に蔑ろにされる元主人公達、そしてその顛末にもなんだか報われない…テレビシリーズのハッピーエンドを帳消しにするような違和感アリまくりの片付け方…。コレ、キツい言い方をすれば実は「ナデシコ」のファンではなく、ルリという人気キャラクターのファンに対するファンサービスなのではないのだろうか?取り敢えずルリという人気キャラクターを媒介として制作者側の主張を伝えられれば良い、と言うようなあからさまな事を言うつもりなのだろうか。だとすれば、後日談というスタイルを取っておきながらあまりにも放り投げ過ぎではなかろうか。

さて、少し閑話休題。
このコラムを読んでいるような人なら大体理解して頂いている事だが、私は正直上で挙げている「エヴァ」「ナデシコ」という作品を嫌っている。「エヴァ」に関しては、後半のグロテスク&ヒステリック描写に逃げて作者の心情ばかりに走った部分という、嫌いな部分が割とハッキリしている。だが「ナデシコ」に関しては自分自身が「ナデシコ」を嫌っている根本的な理由がイマイチ自分自身の中でハッキリしていなかった気がする。

しかし、この劇場版をちゃんと見直した事によりそれが少し掴めたような気がする。結局、私が「ナデシコ」を嫌っている理由と言うのはその「放り投げっぷり」だったのだ。この劇場版で、ある意味アキトとユリカの存在はともかく、関係を放り投げている(ユリカ拉致後にエリナがアキトと不適切な関係にあった、なんてウラ設定が1部で語られているのはその最たる例だろう)部分がある訳で、一部のファンに期待されていた「火星の遺跡」に関する謎は完全に放置状態である。

「火星の遺跡」に関しては、後に最終回直後のifをネタにしたゲームによってこの部分に補完が成されているが、聞く所によるとこのゲーム中での「火星の遺跡」についても実はテレビ本編にて設定されていたものとは異なるらしい…。つまりはゲームのifは飽くまでifでしかなく、もう本編の方で解明させる気は毛頭ないのだろう。もっと言えばラピスの存在意義。この新キャラクターたるラピスのキャラクター自体に大した説明がない上に、劇中でも大した活躍しない。ラピスというキャラクターの設定や物語による位置付け、コレはもう作品を見る前に予習しておけよ、等というのなら、これもまた一種の放り投げであろう。

ではテレビシリーズでは何に関して「放り投げた」のかといえば、それはこのテレビ版「ナデシコ」という作品が、分かっている人間以外は完全に切り捨てた、ある意味で「完全無欠のイロモノアニメ」…つまりは放り投げられたのは俗にアニメファンなんて呼ばれる事がないタイプの、然程アニメに興味を持っていないタイプの視聴者だろう。

「ゲキ・ガンガー3」の存在はもちろん、主人公がプラモやガレキを作り、NHK風子供番組、水着コンテストが戦艦内で開かれたと思えば、妙に凝ったSF設定を持ち込んだり…一部の人達にはたまらないが、ついていけない人は完全に放り投げてしまっているような演出が満載なのだ。

更に登場するキャラクターもあからさまなタイプが多く、最初から好意全開で迫ってくる幼馴染みのヒロイン、時代を反映したかのような無機的美少女を始めとして、ボーイッシュ、メガネっ娘、声優、社長秘書(以下略)と、ありとあらゆるタイプが数多く取り揃えられており、そんな彼女等の多くがテレビの前のアニメファンの欲望を満たそうと主人公に対して熱視線を送る…。「ナデシコ」の放映時間帯は夕方6時台…つまりは家族で食卓を囲んでいてもおかしくない時間だが、お世辞にもこの「ナデシコ」は、本人がオタクとしてよほど開き直っているか、そういったモノに家族が理解を示している場合ならともかく、家族で仲良く見られるというシロモノとは言い難いだろう。

そういう意味で言えば、おそらく私はギリギリのラインで「ナデシコ」に放り投げられたタイプに属すのだろう。私はこう見えてもアニメファンと言える程アニメを見ていないし、アニメ誌等は読まないどころか「読むだけ無駄」位にしか考えていない。よって新作だのに関する情報には非常に疎く、ファンというか、オタクとしてはかなり無知な方に属すると思っている。つまり、私は総括的なアニメファンではないのだ。見る作品は殆どロボット、ないしメカが出て来るモノであり、多種多様なアニメを色々と見てみようと思えるタイプでもない。かなり限定されたファンなのだ。

だからこそ、「ナデシコ」の対象からは除外されたのだろう。私が「ナデシコ」に対して感じる中途半端感や、この投げっぱなしジャーマンのような印象、ついていけない感というのは、実は私自身が「ナデシコ」という作品に選ばれなかったファンであるが故に強く感じ、引っ掛かってしまう部分なのだろう。私が「ナデシコ」を毛嫌いする理由と言うのは、大体がコレで説明が出来るような気がする。

さて、総論であるが、結局「劇場版ナデシコ」とは何だったのか?といえば…やはり放り投げた存在、という事になってしまう気がする。一般にこの劇場版ナデシコは

テレビシリーズを見ていないと良く分からない部分が多い。

という意見と共に、

テレビシリーズはノリが嫌いだったので見ていなかったが劇場版は好き。

という意見もあるのだが、実はコレ、テレビシリーズをなまじ知っていると、アキトとユリカのぞんざいな扱いやルリの主役抜擢に違和感を持ってしまうが、最初から劇場版限定で見ると、ルリという主役の軸が存在する為その分物語がブレずに見ていられるし、設定自体も最低限のライン…要は「ナデシコ」というアニメがあってこういうキャラクターがいて…という、物語自体ではなく作品内容に対して少しばかりの知識を持ってさえいれば、テレビシリーズとのギャップもあまり感じないで済む為かえってすんなり入れるからなんじゃないだろうか。そう考えるとこの劇場版、テレビシリーズの後日談というスタイルを取っていながらテレビシリーズのファンの期待をある意味放り出してしまっているような印象を受けてしまう感は否めない。

そしてメカアクションについてだが、前半でのブラックサレナと統合軍の戦闘などは結構見せてくれているのだが、いざクライマックスでは北辰の機体とブラックサレナが戦う(コレがまた地味)シーンの背景で、3人娘&サブロウタが北辰配下の連中を撃墜していく…のだが、コレがホントに背景に過ぎず、視聴者に見えるのはバーニアの航跡と爆破エフェクト、そしてキャラクターのおちゃらけたセリフのみ…肝心のロボットアクションをあまり視聴者に見せてくれていないのだ。

この部分、ワザとやっているんじゃないのか?と勘ぐりたくなってしまう。コレにより、前半のアクションシーンが帳消しになって不満ばかりが残ってしまった印象が強い。ある意味コレは私にとっては1番嫌いなやり方をされた、と言える。ロボットアクションなんか描きたくないなら、ロボットアニメになんかしなきゃいいじゃねぇか!!

と、いう事で、結局私にとって「ナデシコ」…テレビアニメ、劇場版双方合わせて結局どんな作品なのか?と言われれば、この「ナデシコ」を愛してやまない支持者の皆様には申し訳ありませんが、ただひたすらに厄介で積極的には関わりたくない作品、というモノのような気がする。

最後に余談だが、本作には上記した様に新キャラクターとしてラピス・ラズリという、ルリやハーリーと同様遺伝子操作をされた少女が登場するが、このキャラクターは現在女優として活躍中の仲間由紀恵さんが声を当てている。しかし結局たった一言しか喋らない為、キャラクターの説明不足と相俟って何の為に出てきたんだか良く分からなくなってしまった気がする。そういう事で、いくら仲間さんのファンでも本作をその為だけに見ることは、対費用効果の点からオススメ出来ない。時間も金も余りまくっている、というなら止めないが。(笑)

あ〜そうそう、この劇場版、第30回星雲賞のメディア部門に選ばれている。作品内容そのものには関係無いが、一応記しておこう。


戻る