パイロットびんびん物語

超時空要塞マクロス

1982年 ビックウエスト 全36話 毎日放送系放映
声の出演:長谷有洋、飯島真里、土井美加、神谷明、速水奨、他

簡単解説
1999年に太平洋の南アタリア島に異星人の宇宙船が落下。人類は来るべき異星人の来襲に備え、その宇宙船を修理、改修し「SDF1マクロス」と命名する。しかし進宙式当日、地球に接近してきたゼントラーディ軍の艦艇にマクロスの主砲が勝手に発射される。さらにフォールドシステムの暴走で南アタリア島ごと冥王星軌道外に移転してしまう。この「ブービートラップ」こそ人類とゼントラーディの闘いの幕開けであった。


この「マクロス」、80年代に多数発表されたリアル志向のロボットアニメであるが、後になって見ると社会現象にまでなった「機動戦士ガンダム」のあおりを食らったような格好であり、単発でのヒットはそこそこ見られたが長期シリーズすることは無く、ほとんどが今現在一部の(私のような)マニアの間で語られるのみである。
そんな中、現在も新作がリリースされている(される可能性がある、と言った方が適切だろう)のは「ガンダム」だけと言ってしまってもいいかも知れない。そういった「粗製濫造」の中で、今現在もTVゲーム等の各メディアで名前が見られる作品の一つがこの「マクロス」である。

しかしこの「マクロス」、設定だけ見ればロボットアニメではなく「SFドラマ」と言ったほうが正しいであろう。登場するメカ群も「今の技術がもう少し進歩したら…」と思わせるデザイン設定であり、主役(?)メカのバルキリーもアメリカ軍のF−14にソックリであったりする。そういったリアル感が、ロボットアニメ全盛期に生じたファンの中の「もっとハードなSFストーリーを」という欲求を刺激し、作品が放映される前から各アニメ誌に取り上げられ話題を呼んでいたのである。

そういった背景があるこの作品のメカに対する描き込みは半端なモノではない。特に前述した「バルキリー」は飛行形態からロボット形態の間に「ガウォークモード」という中間形態を持ち、他の作品では驚くほど考えられていない物語上で変形することの意義が丁寧に設定されている。そしてその設定を演出上にも「宇宙空間で急制動する為にファイターモードから脚部だけ展開して逆噴射をかける」等見事に昇華している。さらにマクロスから発進するシークエンスや戦闘シーンの描き込みの多さ、そして「板野サーカス」と呼ばれる画面狭しと縦横無尽に飛びまわるミサイルとそれを回避してのける戦闘兵器…この様にこの「マクロス」は当時のTVアニメとしては異常なまでに映像面の突出が激しく、そういった面はファンに熱く支持された。

しかし、この作品フタを開けるとビックリ仰天!!上記した細かいSF設定とは別次元で「スゴイ」のである。まず主人公「一条輝」とヒロイン(?)であり「世界を救うスーパーアイドル」(凄まじい肩書きである)「リン・ミンメイ」の演技がモノスゴい(下手な)のだ。そのモノスゴさで下手クソなラブコメを展開するのである!!何せミンメイ役に「本物のアイドル歌手」を起用しているのだから、このモノスゴさは強烈である。

もっとも、ミンメイが「アイドルとして歌を歌う」ので、ある意味正しい配役かも知れない。しかし「フォッカー先輩」を始め周囲の人間が真面目に戦争をやって次々と倒れていくのに、当の輝クンは好きだ嫌いだと戦争どころではない。さらに輝クンの上官でありケンカ友達(笑)の早瀬中尉もそんな輝クンに惹かれてしまい、ラブコメに拍車がかかってしまう。そしてミンメイは「ミス・マクロスコンテスト」に優勝し、一気に人気アイドルへと上り詰める…。挙句の果てに、前述したような派手で迫力のある戦闘シーンは5話に1回あるかないか、というレベルにまで重要度が落ちてしまっている。嗚呼…ハードSFは何処へ…。

しかしこのリン・ミンメイは作中だけでなく、マニアの間でもかなり人気があったのも確かである。このアイドル歌手を声優に起用したリン・ミンメイこそ、アイドル兼業声優や、作品中では個性的だが他作品と比べると完全にステレオタイプな美少女キャラクターの人気に依存し、彼女達のパンチラ等といったサービスカットにより視聴率と人気を稼ぐ「オタクハーレム」的な作品の乱立と、それを両手を上げて喜んでしまうファンという現在のアニメーション界を瞬時しているようでなんとも恐ろしい。

私としては、「多才だから」声優だけでなく歌も歌うというならまだしも、声優としての実力が伴わないのにとりあえずちょっとカワイイから歌を出すというのは何ともどーしょうもない気分になってしまう。つまり「餅は餅屋」という考えなのだがココでコレ以上言及するべきではないだろう。

もっとも「アイドル」には重要な伏線が隠されており、後にハードSFとしての設定にうまく組み込まれていく。ゼントラーディは純粋な戦闘種族で、文化に触れると文字通り「カルチャーショック」を受けてしまうのだ。異星人とのファーストコンタクトを描いた作品は数多いが、こういった人類と異星人のメンタリティの違いを具体的に打ち出したのは画期的である。

その特性を生かす為にマクロスは戦闘シーンのバックに「ミンメイの歌」、背景に「キスシーンの上映」をするのである!!そんな「ジャイアン・リサイタル」的パワー(確かに歌唱力もジャイアン並だった)を恐れたゼントラーディは味方艦艇ごとマクロスを消し飛ばす作戦に出る。そうして興奮が少しずつ高まって、最終話「愛は流れる」を迎えるのである。

その最終話、ミンメイの歌で文化に目覚めたゼントラーディ軍がマクロスに協力して敵旗艦の大艦隊と戦うという壮絶なプロットで展開する。そして、動くものと言えばミンメイがフリフリの衣装でヘタクソな歌を歌う様しか描くことが出来ず、メカ戦など数話に1回という状況のフラストレーションを一気に晴らすかのように劇場作品と見間違える程の凄まじい作画の描き込みはハンパではない。ディティールが分からなくなるまでつけられた影、画面狭しと大暴走するミサイル群、今まで線が多すぎて動かなかったメカまでバキバキと動きまくる…挙句の果てにマクロスは敵旗艦内に突入するわ、バックでは相変わらずミンメイがフリフリの衣装で新曲を歌うわ…もう大忙しの展開である。実際にこの回はカット割りが軽快で絶妙であり、BGMと演出の冴えもあり壮烈な爽快感を感じる事が出来るだろう。

正に、「なんでもあり」のマクロスらしい、なんでもありで今までの作品とは全く異質な最終話は、今後のアニメーション業界がどうなっていくかを瞬時させるものであったのだ。

しかし「愛は流れる」は27話である。上のデーターでも全36話なので27話は最終話ではなく以降も物語は進むのであるが、ひたすらダラダラとラブコメを続けるだけであり強引に放映を引き伸ばしたのが見え見えなのである。その為か本作はさまざまなSF的要素をゴッタ煮的にとり込んだ割に、「ハードSF」より「ラブストーリー」として語られるケースが多くなってしまっているのだ。「異星人」の問題より「異性人」の問題の方が難しいということか…。ともあれ、終わるべき時に終われない事は決して作品にプラスに作用することは無い。これだけは確かだ。

さて、何故ここの批評タイトルが「パイロットびんびん物語」なのかと言うと、本作の「フォッカー先輩」と主人公「一条輝」の立場や設定が「教師びんびん物語」の「徳川先生」と「榎本クン」になんとなく似ていると感じるからである。

「榎本、教育とは何だ?」
「なんですかぁ?先輩?」

「コォラァ!!輝ぅ!!女ってのはだなぁ…。」
「先輩、酔ってますね?」

…似てないかなぁ…。


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