コスモスに君と

伝説巨神イデオン

1980年 サンライズ全39話 東京12チャンネル系放送
声の出演 塩屋翼、田中秀幸、戸田恵子、井上遥、白石冬美、他

簡単解説
地球人の殖民が始まったばかりのソロ星で、第六文明人の遺跡として三体のメカと宇宙船が発掘された。時を同じくして「無限力イデ」を捜すバッフ・クランと遭遇。些細なことから戦闘に陥る。生き残ったベス達地球人は、発掘された宇宙船でバッフ・クランから逃亡を図るのだが…。

THE IDEON「接触編」「発動編」

1982年 サンライズ劇場公開作品
声の出演 塩屋翼、田中秀幸、戸田恵子、井上遥、白石冬美、他

簡単解説
途中打切りされた「伝説巨神イデオン」の真の結末を!!というファンの声から制作された劇場版作品。「接触編」は本編の物語導入部を編集したもので、「発動編」では真のエンディングが壮絶に描かれる。


まったく、この作品は「息が詰まる」作品である。

バッフ・クランに追われ、訳の解らない「イデの力」によって思うように動いてさえくれない謎のロボットを搭載した宇宙船に乗って、実戦経験の乏しい新米軍人と住む場所を追われた主人公を含む民間人が敵の攻撃から逃げ惑う、というスタイル自体は富野由悠季氏の前作「機動戦士ガンダム」におけるホワイトベースと近い設定ではあるのだが、ホワイトベース艦内の雰囲気よりも遥かにソロシップ艦内の雰囲気は暗い…。

それは、あまりにもストレートにエゴのぶつかり合いを描いたからであろう。ある意味で自分が戦いの原因を作ったにも関わらず、最後まで理想主義に終始する「敵の異星人」カララ。生き残った中で最も階級が高かった、それだけの理由でリーダー的な立場を得たベスはそんなカララの理想主義を信じバッフ・クランとの和平を模索する。しかし、生き延びる為の要であるイデオンのパイロットである主人公コスモやカーシャ等は、「家族や仲間を殺した」と、あくまで徹底抗戦すると主張し、子供達の世話役を務めていた気丈な少女ロッタも、「誰かがやらなきゃ」とカララに銃を向ける…。そして科学者として「イデ」を解析する役を担ったシェリルに至っては近しい存在を次々に失い、徐々に病んでいく…。

さらに求める「無限力」がソロシップにあると確信する「バッフ・クラン」もまた、ギジェに対するダミドの嫉妬に始まり、ダラムとハルルの愛憎、ハルルとカララ、2人の娘に対するドバの思い、そして物語半ばで登場し、イデの巨神奪回以外の部分…バッフ・クラン本国でのポジションが重要なものである事を匂わせるオーメ財団…と、軍内で権謀術数を繰り広げる…。

特にソロシップにおいては自分達の利益、主義を貫こうとする醜い主導権争いが描かれ続ける。コスモやカーシャ等イデオンのパイロットは基本的に「やられたからやりかえす」抗戦派。それに対し、異星の女、自分達の故郷を壊滅させた憎きバッフ・クランのカララとの愛から共存を模索しようとするソロシップの責任者・ベス。そして、艦内の主流派というべき存在が、シェリル等、とにかくイデから、ソロシップから逃げ出したいという、とにかく死ぬのは嫌、という一派…。主導権を争う、というのとは違うかもしれないが、特にシェリル等の主張は「朴念仁」と言われるだけあって決してソロシップで逃亡生活を送る人々を希望に導くどころかどん底に叩き落すようなものが多く、コスモやカーシャに至っては独断専行でチームワーク等考えてはいない。そうなると立場的にはまとめ役たるベスは、ホワイトベースのブライト館長以上に胃に穴を開ける思いをしていたに違いなかろう。

加えてソロシップの逃げ行く星々…ブラジラー、キャラル、ドウモウスター、ステッキンスター等は次々とバッフ・クランとの戦闘に巻き込まれ壊滅していくという悲劇が彼等にのしかかる。更に、ソロシップは母星である地球からも厄介者扱いされ、帰ってくるなと攻撃まで受けてしまう。かくして、ソロシップは「たった一つの星に捨てられ」孤立無援の「宇宙の逃亡者」となっていくのである…。

よく「イデオン」に対し、「哲学するアニメ」等と言う事が多い気がする。確かに「イデオン」の基本はSF的な逃亡劇に、「イデ」なる非常に抽象的というか、不可解な因子が絡んで来るので非常に難解だし、描写が基本的に陰湿で根暗なので視聴する人を自分で制限してしまう作品だとは思う。劇場版に至っては、それにグロテスクな描写まで付加されるのだから、その根暗さ加減は凄い事になっている。そんな良く言えば難解、悪く言ってしまうと独り善がりなこの「イデオン」という作品、何故ファン達は「ストーリーがワケ判らん」等とコキ下ろしつつ見続けたのであろうか?

その大きな理由はやはりこの「イデオン」の作り上げたメカ&戦闘描写によるものなのではないだろうか?
このイデオン、発掘されたての物語冒頭では実にスローモーな動きしか見せず、何とも冴えない印象を受けてしまう。せっかく100m以上の巨体と設定されたにも関わらず、その巨大さを全くアピールしない。画面からは何とも頼り無さそうな印象しか受けないのだ。
しかし中盤以降、このイデオンは正に「化ける」のである。

100m以上の巨体から鉄拳や空手チョップを繰りだし、強烈なキックで敵を粉砕する。そして全身に装備したミサイルをそれこそキ○ガイの如く乱射しまくるのだ。物語中で人類が兵器として開発したと設定されているガンダムの持つ、ヒーロー的なアクションとは全く異質なその戦闘シーンは劇中「バッフ・クランの伝承にあるイデの巨人」で語られる通り、存在そのものが圧倒的な「破壊神」なのだ。

挙句の果てに後半で追加された新兵器・イデオン波動ガンとイデオンソードである。100m以上あるイデオンの身長程はありそうな巨砲イデオンガンは宇宙空間に強烈な嵐(ではないと思うのだが)を巻き起こし、圧倒的な物量でソロシップを包囲するバッフ・クランの艦隊を瞬時に壊滅させる。そして「イデオンソード」はステッキンスターにおけるイデの発現にて惑星一つを真っ二つに切り裂く。ギャグ路線のネタとしてならともかく、ここまで派手で強烈な技を駆使したロボットは私の記憶の中ではこのイデオンしか思い当たらない。それほどこの「イデオン」、特に中盤から後半にかけての戦闘はカタルシスに満ちたものなのだ。

そんなバケモノに対抗しようとするバッフ・クランのメカもまた凄まじい。イデオンと同様100mを越す巨体を誇るドグ・マッグやガンガ・ルブ等といった重機動メカを次々と量産して数で圧倒しようとするのだ。
更に、イデオンの放つ凄まじい機動性で執拗に追いすがるミサイル群をことごとく回避してのけるアディゴや、ゲル結界なる人間の脳ミソにダメージを与える危険極まりない兵器を内臓するガルボ・ジック、そしてワイヤーにてイデオンを引き摺り回すギド・マッグ等など…どれもこれも登場するメカがヒトクセもフタクセもあるのだ。

この重機動メカはデザイン的にも既存のメカニックとは違った試みが成されている。なんとも…「機動戦士ガンダム」の直後とは思えない腕のクローアームや、その3本足の威容と不思議な赤地に黒の水玉模様というデザインが、重機動メカの「地球とは別の文化を持つ宇宙人」という設定をダイレクトに視聴者に納得させてしまう。ロボットアニメに登場するメカニックというよりも、むしろSFドラマに登場する様なメカという印象が強い。ただ、主役機のイデオンに関して言えば、「機動戦士ガンダム」後(と、いっても別に「ガンダム」を賛辞している訳ではないが)の主役メカとは思えないというか、デザインだけ見たらとてもとても「バッフ・クランの古の伝承に登場する巨神」というイメージは無く、コン・バトラーV等の熱血ヒーローロボット的な印象を受ける。ファンタジックな印象に欠ける…というか、少なくとも作品のイメージとはかけ離れている印象は…残念ながら強いと思う。

ただ、実際に「イデオン」をみていくと、次第にそんな事が気にならなくなる。「スーパーロボット大戦」をやっていて思い出した事なのだが、先ずパイロット同士の罵声の浴びせ合いが実に「イデオン」という作品の雰囲気にあっている。言わばこういうのを「富野節」とでも言うのだろうか。独特なセリフ回しが実に戦闘の緊張感を高めてくれるし、終盤にいけば行くほど発言するイデオンの圧倒的パワーも、イデオンソードで惑星を真っ二つに切り裂く様や、バッフ・クランの超物量をイデオンガンの一撃で粉砕する様などから存分に見せ付けてくれる。いや、上記した通りイデオンのデザイン自体は作品内容にそぐわない…それこそ「赤くて肩が出っ張ったジム」等と言われてしまうのも仕方ないとは思うが、「イデオン」という作品に付き合い、その演出に触れるにつれ…「イデオンはコレでなくっちゃ!!」と思えてしまうのだ。コレは演出の冴えという奴であろう。「哲学」等と揶揄される通りイデオンはその複雑かつグロテスクな、人間の内面をそのままフィルムに投影したような脚本にもあるとは思うが、この「イデオン」の脚本…いや、文芸といった方が良いだろうか、それに難しさ、嫌悪感を抱いてしまうファンがナゼ文句言いつつも「イデオン」を見続けたのか、という答えは、間違いなくこの演出部分に依るのだろう。

ちなみにイデオンや重機動メカのプラモデルは「青島文化教材社」から発売されていたのだが、完成品の写真を見るとどれも劇中の雰囲気を良く表していたが、プラスチックの厚みが無かったりと本格的に組むのはツライキットなんだそうな。「ガンダムショック」の影響で、「ダグラム」でも輸送用トレーラー等までキット化された時代であるからして、「イデオン」も中々積極的にキットがリリース…それこそジョングとかまでされていたが、「ガンダム」や「ダグラム」とは違い、重機動メカの場合「異星人のメカ」という部分が仇となったのか、セールスは芳しくは無かった様だ。ただ、今現在…それこそ「ガンダム」といったビッグネームならいざ知らず、「その他大勢」クラスの作品の場合はキット化などされ難い現在では、うらやましいというか、何と言うか…。

ともあれ、このメカニック群とその独特の戦闘演出がかもち出す魅力こそ、「イデオン」を支えた重要なファクターなのは間違いないだろう。

そんなこんなで未完のまま途中打ち切りとなった本作は、放送終了後ファンの「是非真の結末を!!」という動きに押され(その動きは本編の暗いイメージにかけて「明るいイデオン」と銘打たれていた)劇場版作品「THE IDEON接触編、発動編」という2作が発表され、ようやく完結するのである。

「発動編」はテレビシリーズ前半の総集編なので、あえてここで説明する必要はないであろう。(詳しくは「伝説巨神イデオン」を参照)しかし、劇場版ならではの高い作画力により非常に見ごたえがある作品に仕上がっている。テレビシリーズを見られない人も、この「接触編」を見れば「発動編」のストーリーにある程度は繋がるようになっているので、劇場版の2作だけでも安心して鑑賞出来ると思う。「発動編」の方はテレビシリーズの最終話に直結しており、バッフ・クランとソロシップの壮絶な最終決戦が大迫力の映像で繰り広げられる、正にファン必見の作品であろう。

テレビ本編以上に踏み込んだ人間描写、特に異星人の子を宿し、あくまで女として生きるカララ、愛した男の遺言すら手に入れられず、女として生きられなかったハルル、そして体面や野心を何よりも優先する父ドバ、そしてイデを抑えるカギであるベスとカララの子メシアを守るという意識から、ようやく協和が生まれかけたソロシップ内で、只1人悲しみに暮れ病んで行く女シェリル…。特にこの4人の心理的描写は凄まじい。

そして、バッフ・クランの超物量作戦や最終兵器「ガンドロワ」と壮絶な闘いを繰り広げるイデオン…。その中で仲間は1人…また1人と倒れていき、コスモは叫び続ける…。後にも先にも「皆殺しの富野」の匂いを一番漂わせているのはこの「発動編」であろう。それほど強烈な描写で人が死んでいくのである!!

ちょっと話は変わるが、「イデオン」の主人公はアフロヘアーが印象的なユウキ・コスモであるのだが、物語における牽引役はソロシップ責任者のベスではないだろうか。バッフ・クランの女であるカララを最初に信じ、やがては愛を育みメシアを儲ける事になる彼は、「ダイモス」の一矢とエリカの様な両勢力の和平への架け橋とはならなかったが、ギジェとの決闘を皮切りに、リーダーというか、主人公的な活躍が多い気がする。対するコスモはブラジラーでのカミューラ・ランバンとの一件や、キャラルでのキッチ・キッチンとの淡い恋等があるものの、ベスとは違い、ソロシップ全体を導くような事は少なかった。あくまでイデオンの責任者であり、戦闘指揮官的な立場に過ぎず、バッフ・クランとの絡みというのは戦闘以外に無かった。

そういう意味ではベスの方が「イデオン」の主役として相応しい気はしてしまうが、同じく物語的には主人公を食う程の重要なポジションにいる、「マクロス」のマックス&ミリアの様に、決して主人公とはならなかったのだ。「マクロス」の主軸には輝&美沙&リン・ミンメイという三角関係があり、だからこそ2人の女性の間で揺れる輝が主人公として立っていた…では、「イデオン」のコスモにも、物語上で彼が主人公でならなければならない理由があったのだろうか。

その答えは、コスモが主人公という事は劇場版「発動編」のラスト…伝説とも言える因果地平へ飛んでいくシーンにある。ソロシップのクルーはおろか、バッフ・クランまでがメシアに導かれるのだが、唯一コスモだけが目を覚まさない。彼はキッチ・キッチンとカーシャに起されるのだが、ココでの彼女らのセリフの中に「コスモは戦い過ぎて疲れてしまった」的なものがあった。そう、コスモは唯一最後までイデに対し抵抗し続けた人物なのだ。ベスはイデに対し、共存、もしくは模索といった印象が強いが、コスモはイデの干渉に対し悉く抵抗する。それはクライマックスに多く見られる彼の名セリフ…例えば

「こんな甲斐のない生き方、俺は認めない!!例えそれが…イデの力によろうともなぁ!!」
「何故だ!!何故殺す!!何故そっとしておけないんだ!!」

こういったものの中に顕著に見られる。何かの本で、「イデオン」のテーマに対し「バカは死ななきゃ直らない」等というのがあったのだが、そういう意味では最後までイデの導きに対し抵抗して見せた、自らの意思で生き続けようとしたコスモこそが、やっぱり「イデオン」の主人公でなくてはならなかったのではないだろうか。

そして伝説になったラストシーン…。「メシア」に導かれ、皆が宇宙の彼方へ飛んでいくのである。今まで憎しみ合い、殺し合っていたのが嘘のように手に手をとり合って…。もはや私には「とにかく見てみろ!!」としか語る言葉がない作品である。これは、「ZZ」の主題歌ではないが「アニメではない。」(いや、アニメではあるのだが…。)

最後に、この批評のタイトルである「コスモスに君と」は、カララ役を演じた戸田恵子氏の歌う本編のエンディングテーマで、作中の名場面にうまく用いられていた。歌詞、メロディ共に非常に作品にマッチした名曲なので、本編に興味を引かれない人にも是非一度聞いて見て欲しい曲である。


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