月¥5000をドブに捨てる事になるか?プロジェクト総集編

ガン×ソード

2005年 ガンソードパートナーズ制作 テレビ東京 全26話
声の出演:星野貴紀、桑島法子、井上喜久子、野田順子、櫻井孝宏、他

簡単解説
宇宙の底の惑星、「エンドレス・イリュージョン」は、荒野に夢が、街に暴力が溢れる星である。この惑星にいる流浪人・ヴァンと、少女・ウェンディは、カギ爪の男を追って旅に出る。1人は「絶望」を、1人は「希望」を見つめながら…。


さて、今回の「ガン×ソード」という作品であるが、ココ「天まで飛べ」に通って下さっている方はご存知とは思うが、いい加減この「大惨事!!スーパーロボット大全」というコンテンツを続けていく上で、最早私の海馬には在庫の視聴済ロボットアニメが殆ど無くなっており、新規開拓とネタ補充を兼ね、新作をDVDで追っかけてレビューしていこう、という「月¥5000をドブに捨てる事になるか?プロジェクト」として、たまたま白羽の矢を立てた作品だったりする。他にも「創世のアクエリオン」「ゾイドジェネシス」「トランスフォーマーギャラクシーフォース」「交響詩編エウレカセブン」といった候補があるにはあったのだが、個人的趣味と消去法にて選択したのがこの「ガン×ソード」なのだ。

ココで、コレを読んでくれている方の中には「どうせならテレビのライブ放映時にやればいいじゃん」と思う方も居られるだろうが、私の表の仕事…というより別に「天まで飛べ」は趣味でやってるだけなので仕事ではないのだが、ともかくかなり早起きを強要される仕事に就いているので、あまり深夜まで起きているのは健康上や安全上宜しくない。勿論ビデオ録画して、という手もあるのだが、ウチには現在ビデオデッキなんぞ一つも無い上に、別に機械オンチという訳ではないがこのビデオ録画という行為がかなり嫌いだったりするので、金はかかってしまうがメンドクサクナイ方法、としてDVD追っかけレビュー、という形を取ってみた訳だ。

さて、そんなこんなで1ヶ月に1巻リリースであるから、約1年間付き合ってきたこの「ガン×ソード」ではあるが、結局私がこの作品に対し「月¥5000をドブに捨てた」と思ったのか?というと、そうでもない。但し、手放しで喜んでもいなかったりする。

本作ではロボット(=ヨロイ)が主人公のヴァンが乗るダンを始めとする7体の通称”オリジナル7”が後半明かされた惑星エンドレスイリュージョンの設定を紐解くのに重要なカギとなる存在になってはいたものの、実際のロボットの使われ方は少々パッとしない印象がある。勿論3話でのエルドラV、15〜16話でのダンvsメッツェ、24話でのボルケイン、最終回のダンvsバースディといった見せ場は要所要所であるものの、やや煮え切らない感が最後まで付きまとった。派手なアクションで活躍するダンに拍手を送りたくなる一方で、ある嫌な言葉が私の心の中でジワジワと鎌首をもたげてくるのだ。

「この作風だったら、別にロボットを出さんでも良かったよな…。」

この「ガン×ソード」はその舞台、惑星エンドレスイリュージョンを冒頭で「ボンクラ達の理想郷」と紹介している通り、ギャグあり、シリアスあり、勇者あり、ロリヒロインあり、ボイン(死語)あり…とボンクラ(=オタク、であろう)の好みそうなネタが闇鍋の如く封入されている作品だからして、その中にロボットというキーワードがあったっていいじゃない、というのは分かる。分かるのだが、私はむしろこの作品は、もっとネタを絞ってやった方が完成度は上がったのではないか、とも思ってしまうのだ。現状でもあまた存在する新作アニメの中では完成度自体は高い方だろうし、「座標Xを追え」の様なギャグ重視のネタはあっても無駄な露出、無駄な媚は少ない割と硬派な作風ではある。だが、この手の作品にありがちな「アチコチ手を出しましたけど、収拾つかなくなりまして…」という匂いも残念ながら残ってしまっているのだ。その、何でも封入し過ぎ、の片棒を”ヨロイ”が担ってしまっている気がしてしまう。同じく谷口氏の作品「スクライド」と比較され易いネタなので、差別化の意味で、という部分もあったのだろうが、ココはもう少しやりようがあった気がする。決して満足していない訳ではないのだが、残念な所が少なくないという思いも私にはあるのだ。

さて、中身の方をちょっと考察していこう。
この「ガン×ソード」の対立軸…ヴァンと愉快な仲間達vsカギ爪の男一派であるが、コレは「捨てずにいた(捨てられずにいた)者」と「捨て去った者」の対立ではないかと思う。先ず分かり易いのはヴァンだろう。彼は婚約者をカギ爪の男に殺され、復讐の旅に出る訳だ。そんな彼は窮地に陥る度、婚約者であるエレナの死を思い出し、復活する。ウーに敗北し、全てを捨てて逃げ様とした彼を覚醒させたのも、バースディの攻撃で絶体絶命に陥った際の復活も、全てはエレナの死を受け入れた…即ち亡きエレナへの思いを捨てずに持ち続けた事がキッカケとなっている。ミハエルとは話が噛み合わず、カギ爪には「バカ代表」呼ばわりされた彼は、それでもエレナへの思いを捨てなかった、通し続けたからこそ窮地を跳ね除け、自ら屈する事が無かったのだ。

対する…先ずはミハエルであるが、彼は同志の理想を実現する為に故郷を、そして最愛の妹を捨てた。ついでに同志への疑いを晴らす為…かどうかは知らないが、エレナに殉ずるつもりなのか自らを「童貞」とカミングアウトしてはばからないヴァンとは対照的に、年上で経験豊富なお姉さん相手に童貞まで捨てている。もっともコレはファサリナから誘われた様なものであり、かつ自主的に捨てた訳でもなさそうだが、とにかくこの筆おろし以降、ミハエルは迷う事無くカギ爪の夢の為に行動する。しかし、結局彼の駆るサウダーデは能力的にはダンより遥かに上の筈なのに、呆気なくヴァンに斬り伏せられ、最終的には最愛の筈の妹まで手にかけようとする醜態を見せる。

そもそもミハエルの場合、彼が正義と信じるカギ爪の夢に対し、自分自身の言葉で語っていない。全てがカギ爪の受け売りで、それを絶対的に信じきってしまっている。妹のウェンディを保護してきたからなのか、歳の割には理知的で大人びた印象のある彼だが、若さゆえなのか、同志の言葉をさも自分の言葉、自分が経験、体験した様な口ぶりで語る、という未熟さがある。バリヨに言わせれば、「若いな、若造」といったところか。そんな彼だからこそ、ヴァンと対峙した際の口喧嘩…といっても噛み合ってはいなかったのだが、ミハエルより知能指数は圧倒的に低いと思われるヴァンにすらその口喧嘩に負け、「バカ、バカ、バァ〜カ!!」と罵られてしまう始末…。ただ、コレはまだ彼が実は「捨て切れていなかった」事の証明でもあり、だからこそ同志を侮辱した妹の首に手をかけながらも、自らの矛盾に気が付き、結局、最後は最愛の妹と最愛の兄として別れを告げたのだろう。

更にファサリナ。彼女の劇中のセリフ「春をひさいでいた」というモノから察するに、彼女は元売春婦で、境遇も酷いものだったのだろう。そんな地獄から救い出してくれたカギ爪に対し狂信的なまでの…見ていて気色悪い程の依存がある。つまりは彼女にとって、カギ爪とその「夢」以外はどうでも良い物であり、既にそれ以外の物等捨ててしまっているのだろう。だからこそ、カルメンは彼女が許せない。カルメン自身、ファサリナとの対決の際に「アンタは素直で可愛い。だからアンタが許せない。」と言い放っている。第三者として2人の会話を聞いているだけなら、無垢な女に嫉妬する嫌らしい女、という風に見えてしまいそうだが、我々視聴者はカルメンの故郷、そして親友のハエッタを「捨てた」といいつつ捨て切れていない、嫌で逃げ出した筈の故郷と、半ばケンカ別れになってしまった親友のハエッタ…それらが実は好きで好きで仕方なく、それを傷つけた、穢したファサリナが許せない、という彼女の心情を理解している。しかし一方のファサリナの方は「ナゼアナタが私をそんなに憎むか分からない」「私の方こそアナタを憎むべきかも知れません」等と言えてしまう…。つまり、カギ爪とその夢以外…自らの感情すらある意味捨ててしまっている彼女には、カルメンの様な「捨て切れていない」心情というものを理解できなかったのだろう。

そんなファサリナは最後、同じく希望が残されたミハエルと共に…となるかとおもいきや、呆気なく…。

最後に、カギ爪の男であるが、彼に関して「カギ爪は自身の『夢』を捨てていない」と指摘する方も居られようが、実は違う。彼はその異常性からか自らが手にかけた者も、「自分の心で生きているから死んでいない」等と言ってしまえる人物だ。彼の夢とは「自らの意思を原子分解して人類全体に刷り込むことによって世から争いをなくす」事。良い事ずくめの計画にも見えるが、そこに個人個人、一人一人の感情は考慮されていないし、その方法論に至ってはムチャクチャも良いところだ。そう、彼は確かに「夢」を捨てていない。ただ、「夢」以外の全てを…自らの命すらも捨てているのだ。だからこそ躊躇しない。最終局面においてもバカ代表としてヴァンを「夢」を叶える為のお友達として迎えようとしたり、バースディとプリズンプラネットデストロイヤーとのリンクが切れればすぐに「今回は失敗、また最初からやり直しましょう」と躊躇無く言えてしまう。それも、カギ爪が自らの「夢」以外を全て捨て去っているからだろう。同志、仲間、お友達といいつつも、彼はそれをいつでも躊躇無く捨てられるのだ。

では、カギ爪の「夢」とは結局何なのか?それを紐解くにはもう一人の男の存在が重要になる。それがレイ・ラングランその人である。レイの境遇はヴァンと非常に近い。カギ爪の男によって妻を殺され、その復讐に生きている男ではあるが、そのスタイルはヴァンとは大きく異なる。レイはヴァンとの初顔合わせの際、ヴァンに対し「お前の復讐は随分優しいな…」と言い放つ。自分を追ってきたジョシュアに対しても「復讐の為に全てを捨てた」と言い放つ彼だが、最後の最後で心の奥底に隠し続けた真実をカミングアウトした。そう、彼は最愛の妻・シノの死を受け入れられず、「復讐」という言葉に逃げていただけなのだ。

そんな彼は、最後の最後、カギ爪の命を奪うのではなくカギ爪の「夢」を奪う。何故そうしたのか?…決して世界を救おう等とは考えていない。彼の夢…それはシノとの穏やかな生活であったのだろうが、それを奪ったカギ爪に対しても、「夢を奪う」という形で報復…復讐を果たしたのだ。では、カギ爪の「夢」とは一体何なのか…実は、カギ爪の「夢」もレイの「復讐」と同じく、逃げ場だったのではないだろうか。彼はクライマックスにてヴァンに対し、「この世界をリセットすれば私はいなくなる。そしてエレナさんも生き返るのです。(大意)」という様なセリフを吐く。カギ爪は囚人惑星であったエンドレスイリュージョン出身ではなく、母星たるマザーの囚人惑星の監視者だったが、母星が何らかの原因で崩壊し、自らの仲間を殺めてしまう。つまり、カギ爪の男もヴァンやレイと同様、過去に苛まれているのだ。カギ爪はこの苦しみから逃れる為に、自分の存在を元に世界をリセットする、という「夢」を持つに至った…いや、逃げた、といった方が正解だろう。何せ、その「夢」には自分の存在をなかった事にする、という意味合い(人々に同化、としているが)もあったのだろう。だからこそ、後一歩の所で「夢」の実現を阻まれた彼は、作中で唯一…一瞬ではあるが、顔を歪ませる。以降も再起動可能と分かるまでは落ち着かない…イライラした感情を僅かではあるが発露していたのではないだろうか。

一応、本作にはキャッチコピーとして「痛快娯楽復讐劇」なんてのが謳われていた。元々が深く考えて見るような作風でもないし、何も考えないエンターティメントに属する作品だとは思う。つまりは私が上で長々と書いてきた考察と言うのはハッキリ言ってヤボなのかも知れない。ただ、私は「痛快娯楽復讐劇」というコピーの様に、復讐という言葉が真っ先に立つこの「ガン×ソード」という作品は、実は復讐の無意味さだの悲しみの連鎖だのは断ち切るべき、なんてありふれたネタでもなければ逆にそれに対し分かったような口を聞くな!!と反発するようなものでもなく、真のヒーローの姿勢を問うたものなのではないだろうかと思うのだ。邪悪に立ち向かう、人々の窮地を救う、正義を貫く…そういうのがヒーローなのではない。辛い過去、悲しい記憶に潰されず、逃げず、立ち向かい乗り越えていく姿こそがヒーロー…最終回における、ウェンディの

「だって、世界を救ったヒーローなんですから…」

という言葉には、そういうメッセージが内包されていた…そんな気がするのは、果たして考えすぎなんだろうか。



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