「偉大なるガンダム」の冒涜?そーかなぁ…。

機動新世紀ガンダムX

1996年 サンライズ全39話 テレビ朝日系放送
声の出演 高木渉、かないみか、堀内賢雄、森川智之、佐々木望、他

簡単解説
地球圏の情勢を壊滅に追い込んだ「第7次宇宙戦争」終戦。戦争で両親を失った戦災孤児ガロード・ランは、そんな弱肉強食の世界で逞しく生きていた。とある依頼でニュータイプ少女ティファ・アディールを誘拐するも逆に彼女に一目ぼれ。以降「彼女を守る為」、大人達の戦争に巻き込まれていく…。


宇宙世紀を描かない「アナザーガンダム」の第3弾である。

そして、本家の「ニュータイプ」を否定した作品として、「我こそがガンダムを純粋に愛す者」とでも言いたげな一部の原理主義的宇宙世紀作品のファン達から拒絶されてしまった作品でもある。その作品自体の末路も「放送時間変更」「途中打ち切り」という悲しい物だったのは皆さんもご存知の通りである。もっとも放映時間の変更に関しては、オーストラリアだか何処かでクレイジーモン…ではなく、メディア王と呼ばれているマードックとかいう人が、当時「ガンダムX」を放送していたテレビ朝日の運営方針にテコ入れを行い、アニメ番組等はそれこそ平均して高い視聴率を誇っていた同局の「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」といった作品まで途中打ち切りの話が出ていたのだと言う。視聴率的に言えば「X」は同局放送の他の平成ガンダムと大差ないらしいが、「ガンダム」のブランド名を持っていたにも関わらず、結局「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」とは違いさっさと放映時間が変更されてしまった事を鑑みると、結局はファンからの放映時間変更、途中打ち切りに対する抑止力が弱かったという事だろうし、局側の都合からしてみても「ガンダム」という大層な名前がついている割に大して数字が稼げない、と判断されたのかも知れない。それを裏付ける様に、とは言わないが、「ターンAガンダム」ではキー局がテレビ朝日からフジテレビに移行しているのだし。

ただ、個人的には結構好きな作品だったのだ。テレビ放映されていた頃は時間の都合もありあまり見ることが出来なかったのだが、その世界観や設定、キャラクター達はなかなか面白いと感じていたのである。そして放送終了後改めて見直してみても、世間で散々な酷評を受けている作品とは感じられなかったのである。ただ一つの設定以外は…。

そう、「ニュータイプ」の設定である。
俗に言う「正史」で描かれた「ニュータイプ」は「宇宙に適応し、認識力やコミュニケーション能力が拡大した人類」を示す。しかし「X」のニュータイプ少女「ティファ・アディール」は予知能力や動物とのコミュニケーションといった超能力を使える者として描かれている。そこに「純粋」に「ガンダム」を愛するあまり原理主義に陥った一部のファンが噛みついたのである。

「ガンダムとして、どうしようもなく失敗している」
「ガンダムの名を使って『正史』を否定した愚作」
「偉大なるガンダムに対する冒涜である」
「旧作ガンダムにオンブにダッコしているクセに旧作ファンを否定している」

…ちょっと待て?そもそもアニメの評価ってそういう風に付ける物なんだろうか?
確かに「機動戦士ガンダム」はアニメ史上に残る傑作だと言える。しかし、勝手に作品を祭り上げ神聖化する事の方が、逆に作品の幅を狭くしてしまうのではないだろうか?下手をすればこういった他人の下した酷評を間に受けて、作品を見ずに否定してしまってはいないだろうか?だとしたらその行為はそれこそ無意味でクダラナイ行為である。

前述した通り、私個人としては充分に楽しめた作品だと思っている。特に、その回の印象的なセリフをタイトルにするという小粋な演出や、作品の中に生きるキャラクター、特に、戦後世界に再び世界中に飛び火した騒乱を「ぼくらの求めた戦争」と嘯き、敵はおろか味方まで平然と闇に葬っていく(彼らに関わって生き残ったのは主人公一行位なんじゃないか?)敵役・フロスト兄弟のインパクトはその歪みっぷりが強烈であるし、彼らの乗るガンダムヴァサーゴ、ガンダムアシュタロンも「W」に登場したガンダムを更に発展させた様な正に「ゲテモノガンダム」の名に相応しい禍々しさも個人的には大好きだった。

他にも「女に恥をかかせた」というスゴイ理由で年下でチェリーボーイなガロードに攻撃的ストーキングをするワイルド&セクシーな美女エニル・エル。宇宙世紀の「強化人間」を「シナップスシンドローム」等といった独自の味付けで設定したカリス・ノーチラス等、ユニークで魅力的なキャラクターは多いし、正直地味なイメージがあるワキ役陣ではあるが、各キャラクターにメインのエピソードを当てて見せたりと決しておざなりにはしている訳ではない。例えば第15話「天国なんてあるのかな」ではフリーデンの雇われMS乗りのウイッツとロアビイにスポットを当てており、彼等が普段見せない別の顔を見せてくれる。他にもその陽気で開けっぴろげな性格で、敵であったエニルと意気投合してしまうトニヤや、ジャミルに思いを寄せるサラ、かつてはジャミルと同様ニュータイプ能力を持つ革命軍の士官で、戦後は密かにかつてのライバルだったジャミルの活動を援助しているランスロー、おいしい所で必ずおいしい台詞を吐いてくれるテクス等、それぞれに面白い設定や演出、ドラマもあったのだ。

また主人公ガロードも「戦災孤児」、言わば1人で生きてきたタイプの少年であり、彼の初めての恋によって孤独だった自分にも友人が、仲間が出来、次第に「ティファ」の心をも開いていく。1人で生きて来た為に集団と馴染むことが出来ないガロードが、徐々に仲間と打ち解けていく様は、空想世界に逃げ込み他人との関わりを拒絶し、1人では生きられないクセに1人で生きていると勘違いしている…そんな「引きこもり」等と呼ばれる現代病を煩う現代の少年少女に対するメッセージとも受け取れる。まぁ、確かに全体の中での孤独、という部分には共通点は多いが持ち前のバイタリティが返って足かせとなり、この部分をキチッと描けたかは微妙ではあるのだが。

そして、全てが崩壊してしまった「戦後」という設定や、世界を崩壊に追いやったことでニュータイプ能力を失った物語のキーマン「ジャミル・ニート」と、彼に関連するLシステムを巡る物語など、斬新とまではいかないが独自の面白い演出も成されているのだ。

さて、問題にされた「ニュータイプ」についてだが、別にこだわりを持たなければさして気にならないのではないだろうか?そもそも「機動戦士」ではなく「機動新世紀」と名乗り、別世界を舞台としているのだから違った解釈や設定が生まれても問題は無い筈である。むしろ、「ガンダムX」における「ニュータイプ」という設定の採用に関して言えば、コレは所謂「富野超え」を狙っての事なのではないだろうか。「ガンダム種」論争の時にも言われていた事だが、所謂「アナザーガンダム」の3作品には、それぞれが「ガンダム」という名を借りて本家本元の宇宙世紀とは異なる世界を打ち出したと同時に、何らかの形で「脱富野」であったり「富野超え」であったりという、原作者…というか「ガンダム」の生みの親への挑戦があった訳だ。

「G」では敢えて宇宙世紀とはかけ離れた世界観でロボットプロレスという「ガンダム」を描き、「W」ではモビルドールやゲーム化してしまう戦争への警鐘があった。そしてそういった「アナザーガンダム」を宇宙世紀信奉者に「こんなの『ガンダム』じゃない」と言わしめる原因であり、逆説的に「『ガンダム』ではなくても通用する」部分が、「X」では「ニュータイプの否定」といったモノにあったのではないか。但し、テーマとして「ニュータイプの否定」というモノを持ちこんでしまったが為に、「G」や「W」の様に「こんなの『ガンダム』じゃない」=「『ガンダム』の名に頼らずとも成立しえた作品」という構図が成り立たない…つまりは逆に「ガンダム」という名前により一層束縛されてしまう結果となったのだろう。

「宇宙に出た人の革新」「誤解無く分かり合える人々」とされるニュータイプ…しかし過去の「ガンダム」において、ニュータイプはずっと戦争に縛り付けられ決して人を導くような存在にはならなかった。唯一そういった部分があったのがシャアな訳だが、彼の場合も結局は「人を導く」というのは詭弁に過ぎず、結局は過去の清算という劇中の言葉を借りればオールドタイプ的な感覚からのモノであった。

そもそも、「ニュータイプ」という言葉自体がアヤフヤ過ぎるのだ。戦争はダメだ。なら戦争なんてやらなくて済むニュータイプになれば…って、ちょっと待て、ニュータイプってどうやればなれるのよ…となってしまう。この矛盾というか、ちぐはぐな部分と言うのは本来、「機動戦士ガンダム」で描いた「戦争」というモノの回答が決して「ニュータイプ」という安直なモノではなかった、と言うことなのではないだろうか。人間、明日から超人になれと言われたって無理なのだ。あるモノで無い知恵絞って必死になってやりくりするしかない。そういった「安直なニュータイプ論」への反論が、この「ガンダムX」の主人公・ガロードのポジションなのだ。名前からもそれは察する事が出来よう。「我 ROAD RUN」…即ち「我が道を行く」なのだから。

だから彼は惚れた女の子や、彼女の持つ能力を擬似的に植え付けられたカリスといった「超能力者」との力の差に打ちのめされ、自らの力の無さに打ちひしがれ…それでも必死に敵に食らい付き、たった一人の女の子を守ろうとするのだ。勿論そこには幾多の誤解、すれ違い、葛藤…様々な苦労を内包しているが、それでも彼は前へ進むのだ。偶像崇拝的な「ニュータイプ」を自らの手で乗り越える…それが無力な主人公ガロードにスタッフ達が与えた命題だろう。そんなガロードは皆が幸せになれる未来を掴むため必死にもがき、前向きに生きており、そしてガロードと同じ様にこの「ガンダムX」のスタッフ陣もまた、「ガンダム」という重い十字架を背負い、反発覚悟で独自のテーマを据え、必死で面白い作品を作ろうと、物語を盛り上げようと模索していたのではないだろうか?

そう、「みんな、頑張ってる」のである。

この作品「ガンダムX」もようやく「スーパーロボット大戦α外伝」にて初参戦を果たし、その効果か作品に興味を持った人も増えたと聞く。そこで興味を持った人の多くはきっと「あれ?結構面白いよ」と感じてくれる筈だ。確かに「ガンダムX」という作品には物議を呼んだ投げっぱなしな最終回を始めアレな部分も多々ある訳だが、「偉大なる富野を汚した」等と言うつまらない世間の評価を鵜呑みにし、せっかくの面白く見られたかも知れない作品を見逃してしまうのは不幸である。


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