泥臭いビジュアル系

新機動戦記ガンダムW

1995年 サンライズ 全49話 テレビ朝日系放送
声の出演:緑川光、関俊彦、中原茂、折笠愛、石野竜三、他

簡単解説
AC192年。外務次官の娘、リリーナ・ドーリアンは空に流れた流星を見る為に訪れた海岸で、傷ついた1人の少年と出会う。心配する彼女を他所に、少年はリリーナに言い放つ。
「お前を殺す」
時を同じく、連合軍の秘密結社OZの基地を襲撃する4機のMSの姿があった。


「機動武闘伝Gガンダム」に続くアナザーガンダムの2作目である。「Gガンダム」に続き、「宇宙世紀」と呼ばれるファーストガンダム以来の世界観からは独立した世界を描き、特に女性から高い評価を得た本作は、「ガンダム」という作品の門を大きく広げた作品と言えるであろう。特にデュオを始めとする5人のガンダムパイロットの美少年ぶりはソノスジのメディアでも盛んに取り上げられ、一部では熱狂的な人気を誇っている。(その1番人気のデュオ君のパートナー・ヒルデはこういったファンに酷評を受けているらしい…)

確かに複数の、そしてそれぞれ違った魅力のある美少年を主人公に据え、彼等が戦う相手までも美青年ばかりで構築された世界は女性に人気が出るのは当然のことであろう。その演出に「鎧伝サムライトルーパー」や「天空戦記シュラト」を見た人も多いのではないだろうか?更に言えば、少年ジャンプ連載からアニメ化した「聖闘士星矢」辺りの印象とも多少なりとも被るだろう。そんな状況からか、コミケ等ではSFよりもいわゆる「やおい」と言われるようなものを扱った同人誌に5人のガンダムパイロット達はネタにされることになる。中には同人誌を書く為に参考として「W」のプラモを買いに走った女性も結構いるのではないだろうか?

この部分…クチの悪い男性ファンから「ヤオイガンダム」等と非難を浴びてしまう部分になってしまっている訳だが、よくよく考えてみれば我々男も、複数の個性が細分化された女の子から一人に萌え萌えしてしまっている人もいるのだから、やおい趣味の女性ばかりを非難するのはお門違いだろう。「腐女子はオトコ同士を…」という部分に関してだって、我々男だってアニメやらゲームのヒロインをひん剥いて、縛ったり回転させたりシバいたりしているのだから五十歩百歩だ。むしろ、頭から非難しないで、逆に女性にも男の趣味に関心を持ってくれる窓口を作ってくれた作品、と考えた方が建設的じゃなかろうか。取り敢えず、目糞が耳糞を非難しても始まらないのだ。

それにこの作品、そういった女性ウケするネタばかりに走っているか?と言えばそうではない。実にロボットアニメ、しいてはガンダムらしい設定も持っているのである。その中でもやはり特筆すべきは主役機である「5機のガンダム」のカッコ良さである。

宇宙世紀以来の主役ガンダムの伝統を守りつつ、圧倒的な破壊力を見せつけるウイングガンダム
大鎌を振り回す死神デスサイズ
全身最終兵器状態のヘビーアームズ
豪快に蛮刀を振り回すサンドロック
龍を模した手で敵に食らい付くシェンロン

この5機のガンダムの圧倒的な強さは、ロボットアニメの醍醐味を見事見せつけてくれる。思えばファーストガンダムも第1話から大暴れしたものだ。そういった点から考えると、この「ガンダムW」も前作「Gガンダム」や「Vガンダム」と同様、原点への帰化を目指したものだったのではないかと考えられる。

「人の死」というものだけがロボットアニメで語られるべきではないという事を逆説的に訴え、「ガンダム」の危険性を暴いた「V」、「アニメーションとは何か?それはエンターティメントではないのか?」という問いを「ガンダム」という媒体で強烈に訴え、「ガンダム」を敢えてスーパーロボットとして描き「ガンダム」の中のエポックを目指した「G」…この2作に対し、今までのガンダムで言われて来た「リアル」という虚像を排し、純粋にヒーロー物として、ロボットアニメとしてのカッコ良さを追及しようとしたのが本作「W」なのではないだろうか?

そして、「Z」以降の宇宙世紀ガンダムでは完全におざなりになっていた「ロボットアニメらしさ」にもかなり力を入れている。
例えば地球では圧倒的な力を誇っていた各ガンダムが立場的に孤立した状態で乗り込んだ宇宙戦にて次々と破壊されていく様は、「マジンガーZ」で言う「ジェットスクランダー」への伏線と同様中々効果的に働いている。その演出があったからこそデスサイズがデスサイズヘルへ、シェンロンがアルトロンへとパワーアップする際のケレン味を打ち出せたのである。

更に、故郷であるコロニーに裏切られた絶望感で「ウイングゼロ」という禁断兵器を持ち出し大暴れするカトル(ツインバスターライフルでコロニーを壊滅させる様など、「ザクのヒートホーク」で育った私にはたまらなく衝撃的だった)と、新型MSのテストパイロットとしてOZに潜入していたヒイロ&トロワの主人公同士の対決など非常に意欲的であると言えるだろう。

また、軍隊に属する「宇宙世紀ガンダム」では稀な愛機への執着を、例えば自分の相棒が公開処刑される様に悔し涙を流すデュオや、最後の手段である自爆を用いた際にカトルが愛機に告げた別れの言葉「さよなら、僕のサンドロック」といった演出で見事構築している。

但し、主人公であるヒイロだけは宇宙に上がった際、自分のガンダムを「捨ててきた」とまるでキリコがスコープドックを乗り捨てるようなセリフを吐いており、ウイングガンダムに対する愛着とか、執着といったものが感じられない。彼は後にメリクリウス、エピオン、そしてウイングゼロと乗機を変えることになる。北極でトロワにヘビーアームズを借りた事も考えれば、やたら節操無くモビルスーツを乗り換えているような気がしないでもない。それを踏まえると、主人公にも関わらずヒイロは自分の愛機には愛着が殆ど無いような気もする。

うーん…個人的にヒイロが嫌いな理由が分かった気がするぞ。(苦笑)

そしてガンダムらしからぬ「自爆」というネタも、「力を持った者の責任」という「ロボットアニメ」の基本テーマ「絶対的な力への憧れ」への逆説としての意味合いで作中効果的に用いているのだ。コレだけの演出を盛り込んだ事こそ、この「W」が「美少年アニメ」という評価に留まらなかった1番の理由であろう。

更にそういった既存ガンダムへの意思表示だけに終わっていないのも本作の特徴である。特にMSの無人操縦システム「モビルドール」は湾岸戦争で盛んに放送されていた爆撃シーン等をまるでゲームでも見ているように見てしまっていた我々への密かなアンチテーゼである。作中で「モビルドール」という非人間的な存在を描くことにより、より一層戦争の残酷さ、血の重さを訴えているのだ。

そして自爆した後トロワと共に誤って殺してしまったノベンタの親類に自らを裁かせようとするヒイロ、といった展開は、それまでの宇宙世紀ガンダムのアマチュア軍人主人公の方が案外「やらなきゃコッチがやられてた」「これは戦争なんだ」とドライに片付けてしまっていた傾向があるのに、プロとして育てられた…割に失敗ばかりな気もするが、とにかく本来はこういった部分にドライであるべき彼の方が、自らが人を殺めてしまった事に対する責任を強く感じている、というのも面白い描写だろう。殺人マシーン的に育てられた、生と死が日常にある彼らより、むしろ戦争を他人事としか考えられないまま平和を謳歌している我々の方がむしろ「人の死」というものに実は無頓着…というのは、ある意味言い得て妙なのかも知れない。

彼等5人のガンダムパイロットは、戦争という因果に対し必死に抵抗しているのだ。それは作中では難解な言葉遊び的発言ばかり繰り返しているように見えるトレーズや、突飛な行動ばかりする目立ちたがり屋のゼクスも同じである。目立ってしまうが故に、ビジュアル的な部分ばかりが評されるこの「ガンダムW」ではあるが、その本質はれっきとした人間ドラマだったのである。

そういった点では、実はこの「ガンダムW」という作品で描いた戦争というものは「宇宙世紀」と呼ばれる世界で描かれる戦争よりも遥か人間的で、泥臭いと言えるのではないだろうか?
宇宙世紀モノには必ずと言って良いほどついて回る「ニュータイプ論」。しかしコレ、よくよく考えれば誰も答えを出せていないのではないだろうか?中には「戦争論」が「ニュータイプ論」にすり替わって語られるケースも決して少なくない。

しかしこの「ガンダムW」ではそういった「ニュータイプ論」を「ゼロシステム」という設定のみに押しやって決して前面には出さなかった。描いたのは答えの出ない問いかけではなく、戦争という波に翻弄される5人の少年であり、戦争とは何かを人類全体に訴えようとした2人の青年なのである。作中のキャラクター全員に「戦争とは?」という問い掛けをし、全員に作品の中で明確に答えを出させた。(五飛は出なかったが…)この問いかけが最後にリリーナの「完全平和主義」に結びついたのではないだろうか?

この作品もまた、ビジュアル系なイメージの中に多くの含みを持つ「ガンダム」なのである。


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