リアルとアニメリアルの違い

機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で(小説版)

1998年 ゲームノベライズ 全2巻 角川書店発刊

簡単解説
宇宙世紀0079。ジオン公国と地球連邦軍との戦い「一年戦争」のなか、ジオン公国は地球へのコロニー落としを敢行。その結果オーストラリア大陸は1/3が壊滅した。開戦後11ヶ月、この大陸でもジオン軍に対する連邦軍の大規模な反攻作戦が開始される。その中には、特殊遊撃部隊「ホワイトディンゴ」の姿もあった。


この作品は、元々はドリームキャスト用ゲームソフトとして発売されたものをノベライズしたものである。この「コロニーの落ちた地で」以前にもバンダイはセガサターン用として「機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY」を出しているが、本作はこの「戦慄のブルー」とは関連が薄い。
当然「外伝」と名乗っている通り、テレビアニメでアムロ達ホワイトベースの面々が活躍するいわゆる「一年戦争」を舞台としている。つまり、手法としてはOVA作品の「0080」や「08小隊」といった作品と同じと考えてしまって良いだろう。

しかしこのゲーム、上に記した通り前作に当る「戦慄のブルー」とはその関連性は殆ど無く、作り方も丸っきり別ベクトルを向いているものなのだ。

「戦慄のブルー」というゲームの主人公は最初こそジムに乗っていたものの、EXAMシステム試験機の「蒼き死神」ことブルーディスティニーと出会ってからはそのパイロットとなり、同じくジオン軍の開発したEXAM登載MS「イフリート改」を駆るニムバスと戦う。その対決が痛み分けに終わると、今度は舞台を宇宙に移し、互いの搭乗機もブルーディスティニー2号機&3号機となり対決するというものであった。

一応EXAMというシステムはクルスト・モーゼスなる人物が開発した対ニュータイプ用兵器としての位置付けがあり、戦場でニュータイプの精神波長をキャッチすると暴走して辺り構わず暴れまわるというキ○ガイ的なシステムらしい。一応、ニュータイプ兵器を研究していたクルスト博士がニュータイプの能力に恐れを抱き、ニュータイプ抹殺用に完成させたのがこのEXAMだなんて取ってつけたような開発秘話があるらしい。更に、クルストが研究用のサンプルとして研究していたニュータイプ少女・マリオンがEXAMの完成と同時に意識を失ったという設定もあり、実はEXAMはマリオンのニュータイプ能力だけでなく精神意識までをも移植してしまったんだそうだ。

こういった設定を踏まえた「ブルーディスティニー」というモビルスーツは宇宙世紀…しかも一年戦争時のホワイトベース非関連メカニックとは思えない程のキャラクター性を誇るメカニックとなっており、ニュータイプ抹殺兵器としての位置付けも機体に背徳的な魅力を付加している。この「戦慄のブルー」もノベライズされているのだが、私は未見なので物語自体には触れられないのだが、少なくともメカニカルな魅力という点ではソコソコ成功していたのではないだろうか?

もっとも、蒼いカラーリングと謎をはらんだブースト装置という主役機に、「レイズナーじゃん」というツッコミがあるのも確かなのだが…。

そんなゲームらしいヒーロー性を重視した「戦慄のブルー」に対し、本作「コロニーの落ちた地で」はコテコテのミリタリー的な味付けが成されたゲームだった。機動戦士「ガンダム」と銘打っている割に主人公レイヤーが搭乗するモビルスーツはジム…後半乗り換えるもジムスナイパーU…最後までガンダムには乗らないのだ。
肝心要の戦闘も「チーム戦」をアピールした作りになっており、EXAMだのといった特殊な設定も登場しない。飽くまで魅力はそのミリタリー然としたものだと言うことをアピールしている。

ま、それは良いとして、私がコレをゲームで見た時はビックリした。ビックリした原因はこのゲームのキャラクターデザインである。本作でキャラクターデザインをミリタリー漫画の大御所である小林源文氏が担当している為、ゲームに登場するキャラクターは全て派出所の掲示板に貼ってある「この顔見たら110番」の指名手配犯の似顔絵みたいなリアル調のモノになっているのだ。

確かにアニメっぽくない現実味溢れるデザインではあるのだが、所詮アニメ(アニメのゲーム、なのだが)なのだ。ミリタリーミリタリーした物語のリアリティを演出する為だとは理解出来るのだが、コレに違和感を感じてしまったのは私だけでは無い筈だ。如何にリアリティを追及した物語であっても、モビルスーツという兵器が登場する以上それは空想世界のお話でしかない。特撮やSF映画ならまだしも、アニメーションをベースとするゲームでキャラクターデザインにリアリティを出してもあんまり意味が無いのではないだろうか?このノリは後年のオールCGにて制作された「イグルー」にも通じるものがあると思うのだが、どちらも些かやり過ぎなきらいがある様に思う。

そんな心配をしていたら、「ギレンの野望」といった以降のゲームに登場する「コロニーの落ちた地で」のキャラクターは、他のキャラクターに合わせてアニメ絵になっていた。あのリアル過ぎるキャラクター達は完全になかったことになっているらしい。ま、他のアニメアニメしたキャラクターと比較してしまうとどうしたって浮いてしまうし、コレは正しい選択なんじゃないだろうか?

さて、肝心の小説であるが…はっきりいって面白くないのである。
そのミリタリーテイスト溢れる描写や、モビルスーツにおけるジオンと連邦の運用思想の違いなどが描かれていて、その戦闘の戦略等が面白いという方もおられるとは思うのだが、私にはその面白みを理解することは出来なかった。

特に戦闘シーンの緊張感の無さは…確かにチーム戦を前提とした戦略等、面白そうに思える部分もあるのだが、如何せんのっぺりとした印象で、活字を読んで一種の高揚感を得られるような事は一度も無かった。

これは私個人の考え方で、別段他人に押し付けるつもりもないのだが、やっぱりアニメなりゲームなりという「フィクション」で「リアル」という魅力だけで面白い作品を作るのは不可能なんじゃなかろうか。「フィクション」における「リアル」という言葉はただの虚像に過ぎない。肝心なのは「リアリティ=らしさ」なのだ。この辺の履き違いをしてしまった作品は、少なくともロボットアニメでは絶対に面白いものとはなり得ない。ココ「大惨事」の「センチネル」の項でも書いているのだが、本当に「リアル」を追及するならば、立ち上がる事も出来ないロボットの横を戦車が走り抜けるような作品にするべきだ。しかしコレではパロディにしかならない。

ではどうすればいいか?「リアル」なんて虚像を捨て去り、「らしさ」を構築すればいいのだ。
ロボットアニメとしての「らしさ」とは、やっぱり戦闘シーンに凝縮されると思う。最近良く「ただのロボットアニメに終わらせたくないから」という理由でロボット同士の戦いをちゃんと描かない作品を見受けるが、コレでは本末転倒である。ロボットアニメというジャンルのアニメーションを作る以上、バトルシーンを魅力的に描くのは必然である。もちろん「ロボコン」みたいに戦闘が目的ではないロボットならまだしも、戦争や抗争を描くロボットアニメでアクションシーンをおざなりにして良い筈が無い。

ロボットアニメというジャンルを選択したのなら、先ずはロボットアニメとしての責務を果たし、それ以外の要素としてテーマや魅力を封入すれば良いだけのことであって、ロボットアニメというジャンルを選んだにも関わらずにロボットアニメとして描かないというのは一種のサギでしかないと私は思うのだが…。

本作は「小説」という活字媒体を使った作品にも関わらず、戦闘シーンに高揚感が感じられないのは致命的と言ってもいいだろう。上記したようなガンダム世界における作戦、戦略といったミリタリー的なエッセンスを好むファンには受け入れられる要素があるのかも知れないが、ロボットアクションモノとしてこの小説を読んだ人間にはいささか不満の残る内容である。

プレイステーションの初期に発売されていた「機動戦士ガンダム」というゲームを思い出して欲しい。あのゲームは操作性がお世辞にも良好とは言えず、説明書を一度読んだ程度ではアムロのようにガンダムを操る事なんかできないというシロモノだった。その為ジーンやデニム辺りが乗るザクにコテンパンにのされた経験がある人も多いのではないだろうか?

しかし、ファンが求めていたゲームはモビルスーツシミュレーターではなく、カッコ良くガンダムを思うがままに操れる「ゲーム」だったのではないだろうか?誰もガンダムに乗ってザクごときにボコボコにされたくはないのだ。この意識のギャップのようなものを、私はこの「コロニーに落ちた地で」という小説に強く感じた。


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