地に墜ちた赤い彗星

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

1988年 サンライズ 劇場公開作品
声の出演:古谷徹、池田秀一、鈴置洋孝、佐々木望、川村万梨阿、他

簡単解説
宇宙世紀0092年、グリプス紛争以来姿を消していた「シャア・アズナブル」は「ネオ・ジオン軍」を組織し、難民収容コロニー「スウィートウォーター」を占拠。スウィートウォーターを拠点にしたシャアは地球連邦政府に宣戦布告、彼は小惑星アクシズを落下させることで地球人類の抹殺し、地球を休息させる為の作戦を計画した。「行け!!アクシズ…忌まわしき記憶と共に…。」


本作、「逆襲のシャア」は「機動戦士Zガンダム」では共闘を果たしたライバル同士「シャア・アズナブル」と「アムロ・レイ」の決着を描いた劇場作品である。その為「Zガンダム」から続くTVシリーズで離れてしまった「ファーストガンダムファン」を呼び戻す結果となった。しかしこの「逆襲のシャア」、つまりは「Char`s counter attack」という副題は元々「Zガンダム」の初期原案に見られたものであり、富野監督は本来ならばZにてこれに近い物語を描きたかったのかも知れない。

この作品の原作は小説「機動戦士ガンダム逆襲のシャア〜ベルトーチカチルドレン〜」になるのであるが、アムロをヒーローとして描くため小説版で描かれたアムロの子供については描かれず、富野監督作品の多くに見られる「母性」というテーマは敢えて希薄にしている。それは劇場公開作品という極めて短い時間で描くことは出来ないという判断と、スポンサーサイドの要望の為であるという。この「時間の短さ」というものは物語の脚本にも見え隠れしており、

「なんでこんなものを地球に落とす!!これでは寒くなって人が住めなくなる。核の冬が来るぞ!!」
「地球に住む者は自分達のことしか考えていない!!だから抹殺すると宣言した!!」

という完全な説明口調の台詞がそこかしこに見え、これを物語っていると言えよう。

さて本編であるが、アムロやブライトが徹底してヒーロー的に描かれているのに対し、シャアはなんだかカッコ悪く描かれている。腐った連邦軍に所属しながらも人類の未来を信じ全力で戦っているアムロやブライトに比べ、自分自身のこだわりに決着を着けたい、突き詰めてしまえばそれだけの為に大義名分をかざし、理論武装しているシャアはファーストガンダムで鮮烈であった「颯爽たるシャア」の印象とは程遠い。アムロとの決闘でも彼が叫ぶ度に、どんどんカッコ悪さが引き立ってしまうのである。理想論的ながら懸命に「人類の未来」を訴えるアムロに対し、シャアは最初から最後まで詭弁に終始している。挙句の果てに

「ララア・スンは、私の母になってくれたかも知れなかった女性だ!!そのララアを殺した貴様に言えたことか!!」

という情けなさここに極まれる台詞を吐いてしまう。確かにララアを実際に手をかけたのはアムロだが、そもそもシャアをかばって死んだのである。それ以前に30歳を過ぎた男の台詞ではない。その他にもクェスの父親を演じマシーンに仕立てたり、ギュネイに対しジゴロを気取ったり、なんだか虚しいことばかりやっているのである。私はそんなシャアを見ていると、つい「赤い彗星も地に墜ちたな…。」等とつぶやいてしまうのである。もっとも、そのおかげでアムロやブライト達をヒーロー的に描くことが出来たのだろうが…。

しかし、このシャアの言動は、富野監督が「ニュータイプ」という絵空事にトドメを刺す為に敢えて言わせたものなのではないだろうか?以降の富野氏監督のガンダム作品「F91」でも「V」でも「ニュータイプ的要素を持った主人公」でしかなかったし、「ターンエー」ではニュータイプについて説明すらしていない。それを踏まえると「Z」から続くスポンサーの商業主義や、ニュータイプ設定に対して意固地になりすぎた一部のファンの暴走の為に本当に作りたいものが作れなかったジレンマへの決着、決別する意志を感じられるのである。それを裏付けるように富野監督はあるインタビューで「シャアに思い入れはないが、彼の口を借りてずいぶん言いたいことを言わせてもらった。」とコメントしているのだし。

「行け!!アクシズ…忌まわしき記憶とともに…。」

この台詞は、シャアの口を借りた富野監督の発した我々全てのガンダムファンへの言葉だったのではないだろうか。(元々富野氏は業界を批判する発言の多い人なのだし…。)

さて、悪い面ばかり先に述べてしまったが本作は劇場公開作品だけあって高い水準の作画と演出が際立っており、特にMS戦の描写は非常にスピード感が溢れるものに仕上っている。また「ガンダム」のMS演出における最も重要なファクターである「ケレン味」も充分感じられる。特に「νガンダム」や「サザビー」が量産機をバッタバッタとなぎ倒していくシーンや、Z以降のMS戦ではほとんど見られない「MS同士の殴り合い」、画面を縦横無尽に駆け巡る「ファンネル対ファンネル」、さらにクライマックスの「νガンダム対サザビー」の頂上決戦は、そのスピード感もあいまって非常に迫力がある。

また、いわゆる「ガンダムファン」へのサービスも忘れてはいない。かつて同士だったブライトの手腕を「やるな、ブライト」と素直に賞賛するシャアや、かつてホワイトベースで操舵主を務めたブライトの奥さん「ミライ」の元婚約者「カムラン・ブルーム」の活躍など、思わずニンマリしてしまうネタも効果的に使われているのである。

そしてこの作品では「ビーム」が特徴的に描かれており、いかにも「粒子ビーム」的な描き方がされている。このビーム描写はシリーズ中でも「08小隊」の敵の装甲を溶解、切断するレーザー的な描写と並んで特徴のあるものと言えよう。

最後に、私個人のこだわりであるが、この「逆襲のシャア」は「ファースト」の直後、「Z」の前という歴史的位置付けの方がスッキリすると思えてならない。「サイコフレームの光によって人類に希望を見出したシャアが、宿敵アムロや新たなニュータイプと共に真の人の革新を目指す」という流れの方が、シャアの不可思議な心変わりや「ZZ」の凄まじいMSにも説明がつけられて良いと思うのだ。もっとも、公式な設定が細かく決められてしまっている「ガンダム」では異常な考え方なのかもしれないが…。


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