ロミオとジュリエットというより、一矢とエリカだったりする(笑)

機動戦士ガンダム第08小隊

1996年  全11話 サンライズ制作
声の出演 檜山修之、、井上喜久子、結城比呂、玄田哲章、小山茉美、他

簡単解説
宇宙世紀0079年、地球連邦軍アジア方面軍のコジマ大隊に配属が決まった新米士官「シロー・アマダ」は、地球に向かう途中、ジオン軍に攻撃を受け撃墜寸前のジムを救出するためボールで出撃する。辛くも敵のザクと相打ちに持ち込んだものの、輸送艇に帰る手段を失う。シローは敵のパイロット「アイナ」と生き延びる為に、「2人だけの戦争」を始める。


この「08小隊」は「ポケットの中の戦争」「スターダストメモリー」に続く機動戦士ガンダムのOVA第3弾である。しかし当初監督を務めていた神田武幸氏はこの作品の途中で亡くなられている。「銀河漂流バイファム」「機甲猟兵メロウリンク」等、数々の傑作を手掛けた方だけに非常に惜しい。この場を借りてご冥福をお祈り致します。(ちなみに6話からは飯田馬之介氏が中心に作られている)

さて本編であるが、この作品は宇宙世紀版「ロミオとジュリエット」等と言われているが、当初はアメリカのテレビドラマ「コンバット」のような物語を予定しており、本編でもその名残は「サンダース軍曹」等、設定に色濃く生き残っている。さらに言えば「ロミオとジュリエット」よりも、故・長浜忠夫氏の「闘将ダイモス」の設定に近いと言えるだろう。

特に主人公の「愛しの君」であり、「敵指揮官の妹」というヒロイン「アイナ・サハリン」のポジションはダイモスにおける「エリカ」そのものである。つまりこう言ってはなんであるが、この「08小隊」という作品の物語自体はシローやアイナの「自立」(シローはノリスとの決闘後に、アイナはノリスの死を知った後に初めて「自立」したのではなかろうか?作中シローやアイナが甘ちゃんに見えるのも、「自立」していなかった故であろう。)といったものも描かれているものの、基本的には至極標準的なもので斬新さには欠ける。

そして、この「08小隊」をファンが語るにおいて避けて通れないのが監督降板における路線変更についての賛否であろう。少しばかりロボットアニメに精通していると自負する御仁の中にはこんなことを言う人がいる。

「後半でのシローの行動に納得がいかない。『仲間の為に命を賭ける』という部分が『敵も味方も殺したくない』と曲解されてしまっている。挙句の果てに軍法会議で『敵にも良い人はいて分かり合える』等と発言しバカに貶められてしまった。前半、故・神田監督の描いたシローの方がリアルだし、『バイファム』等で民間人の盾になって戦う軍人を描いた神田監督なら全く別の結末を与えた筈だ。」

…えー、私、何と言って良いものやら…。(苦笑)
確かに「機動戦士ガンダム」という作品は人間同士の戦争をシリーズを通して描いている。そしてその辺の描写が他の作品には無いリアリティを物語に与えているのは事実である。しかし「ガンダム」とて所詮一つのロボットアニメにしか過ぎないのだ。この「ロボットアニメ」という観点から見れば、前半の「08小隊」はロボットアニメとしての面白みが全く無い。せっかく「ジャングル」という特殊な環境を物語の舞台としたのに、それに対して何ら工夫もしないでひたすら木々に隠れてコソコソとマシンガンを撃つMS戦を展開するのだ。

つまり、巨大ロボット達のバトルがかもち出す迫力、スピード感が全く無いのである。これが活字で戦いまでをも構築せねばならない小説なら戦場の緊迫感などの描写で迫力をかもち出せるが、映像、それも動きを見せなくてはならないアニメーションでコレをやってもハッキリ言ってつまらないのである。

「08小隊」という作品がなんとも地味な印象を受けるのも、徹底して戦場のリアリティを構築したからではなく、この前半の「動かないガンダム」にこそ原因があるのだ。その点から見れば、かなり後半では「動かないガンダム」という悪いイメージを拭い去ろうと戦闘シーンの演出面にかなり力を入れているのだ。

特に本編クライマックスの「震える山(前編)」における「Ez−8」と「グフカスタム」の決闘は非常に凄まじい迫力で彩られている。

「必殺仕事人」の如くガンタンクにサーベルを付き立て返り血を浴び、(実際はオイルか何かであるが)高速道路の高架を豪快にひっくり返し、放り投げたサーベルをヒートロッドで回収するグフカスタム、窮地に追いやられたEz−8は自分で引き抜いた腕でグフに殴りかかる…そして最後は「アムロVSランバ・ラル」を彷彿させる演出と結末…なんとも心憎い演出ではないか!!

更にこのバトルで「ランバ・ラル」のMSという印象が強かった「グフ」に新たな存在意義を与えたのを筆頭に、今までは日陰者扱いを受けていた魅力的なダメメカ「ドップ」「ルッグン」「アッガイ」「マゼラアタック」「ガンタンク」等を再びフィルムに復活させ、劇中でも明確な役割を与え、「Z」以降、モビルスーツ、モビルアーマーばかり描かれていつのまにか忘れ去られていた「ガンダム」のメカニックとしての魅力を再びファンに認識させた功績は大きい。これも前半の「動かないガンダム」では絶対に無し得なかった事である。

アニメーションは動いてナンボなのだ。特にそれが必然的にアクションシーンが多くなるロボットアニメでは絶対に忘れてはいけないキーワードだ。

そしてもう一つ、前半を褒め称えるファン達の常套句は「シローの歪められた性格」だ。「敵にも良い人間はいます。分かり合えるんです!!」…確かに甘っちょろいセリフだ。軍人失格と文句を言われるのも良く分かる。

しかし、それだったらファーストガンダム以降から言われている「ニュータイプ」とは何なのか?「宇宙に適応し、認識力が高まった人類」云々と色々と定義されているが、このニュータイプと呼ばれる連中が戦場でシローと同じように「敵と分かり合った」ではないか!!

後半のシローについて良く思っていないファンの言う彼の軍人としての罪、「敵との密通」「命令無視」「敵前逃亡」というモノの殆どをニュータイプ主人公達はやらかしているのだ。「でも、アムロもカミーユも軍人じゃないじゃん」という人もいるだろうが、それは「オレは走り屋であって暴走族じゃない」と同じである。軍艦に乗ってMSで敵対勢力と戦っているのだから、本人にその気が無くとも客観的に見れば彼等の置かれている状況は「現地徴用兵」としてのそれである。

そう考えれば「軍人として失格」という後半におけるシローの評価は、実は比較的現実世界に近いリアリティを持った演出が成された「08小隊」という作品そのものの影響に振り回されているに過ぎないのだ。
それでも一部のファンは「シローは士官学校を卒業している筈なのに軍人としての自覚がない」と思うかもしれない。しかしそれも作品で明確に描かれている訳ではないのだからシローが士官学校で「何をやってきたか」なんて我々が想像する以外無い。つまり考えようによっては「連邦軍は士官学校まで腐敗していて軍人の心構えなんて教えないのだ」と解釈することも出来る訳だ。

つまりそういった意見はアニメならではの自由な空想を逆手にとって、フィクションを現実世界に無理やり押し込め、自分勝手に解釈した単なる一つの意見に過ぎないのだ。だとすればファンとして自分とは正反対の解釈があることも理解しておかなくてはならないのではないだろうか?

そういった解釈を当然で正当だと言わんばかりに語るというマニアとしての珍妙なこだわりこそが、この「ガンダム」と言う作品ををよりいっそうつまらなくしているのではないだろうか?空想世界の軍隊と現実世界の組織を混同した連中が行く所まで行ったら何をするか、それは一連の「オウム心理教事件」において明かである。


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