大人になったガンダム少年へ

機動戦士ガンダム0083
STARDUST MEMORY


1991年 サンライズ 全12話(劇場版「ジオンの残光」も存在する)
声の出演:堀川亮、大塚明夫、佐久間レイ、菅原正志、茶風林、他

簡単解説
宇宙世紀0083、オーストラリアのトリントン基地でテストパイロットを務めている新米MSパイロット「コウ・ウラキ」と「チャック・キース」は、基地を訪れた新造戦艦「アルビオン」にガンダムを見学する為侵入する。そこで1人の男が核攻撃を目的とした新型MS「ガンダム2号機」を奪取した。その男の名は「アナベル・ガトー」…かつて「ソロモンの悪夢」と呼ばれ恐れられたジオンのエースパイロットだ。彼は不敵に言い放つ
「この機体と核弾頭は頂いていく!!ジオン再興の為に!!」


「ポケットの中の戦争」に続くガンダムOVAの第二弾が本作「スターダストメモリー」である。「超時空要塞マクロス」が放映10年目に「マクロスプラス」を発表したように、本作は「機動戦士ガンダム」を支持したファンに対しての「次世代ガンダム」であると言えよう。

この「スターダストメモリー」はシリーズモノとしてはかなり保守的であり、多分に「ガンダム的」な展開を物語に取り込んでいる。しかし本作は従来のガンダム作品とは違い、主人公を「一般の少年」とはせず、その描き方も「普通の少年が戦場に出て成長していく」というスタイルを取っていない。本作の主人公「コウ・ウラキ」は新米ながらも一応は士官学校を卒業した青年士官である。しかしこのウラキ少尉、20代の青年にしては何とも子供っぽい。何せ作中至る所で苦手なニンジンと格闘する様が描かれているし、ヒロイン(?)的存在のニナに対しては照れが先行してしまいむしろ彼女の方が積極的である。更に言ってしまえば本作でのライバルキャラクター「ソロモンの悪夢」アナベル・ガトー少佐への対抗意識も少年が大人に対しするモノと変わらない。

そんなガトー曰く「大義を持たぬ者」であるウラキ少尉が「星の屑作戦」という大事件に巻き込まれ、「若さゆえの過ち」を数多く経験し、戦場にて「戦いの意味」を見出していく…その姿が、社会に出て1人立ちしていくかつてガンダム少年だった我々の現状とダブッて見えるのは私だけではないだろう。そんなウラキ少尉を見守り、影ながら助けていくバニング大尉やモンシア達先輩パイロットは職場における上司や先輩と言った所であろうか。ともかくこの主人公設定は「大人になったガンダムファン」のツボを刺激し、OVAという狭い枠であるにも関わらず多くのファンを獲得出来たのであろう。

そして本作の魅力はそれだけではない。物語の軸となるガンダムは、コウの乗る1号機がファーストガンダムの改良版でタイマン最強を目指した機体、対するガトーの奪取した2号機は戦術核による攻撃を前提に作られた物騒な機体、そしてラストでコウが乗る3号機は巨大なブースター付きの火薬庫にガンダムが埋もれているような凄まじい機体である。更にザクやドム、ゲルググといったお馴染みのMSが本作でメカニカルデザインを担当したカトキハジメ氏によりスタイリッシュにリファインされているのだ。
そうしたモンスターマシンやリファイン機が画面狭しと暴れ回るハイクオリティで作画された迫力たっぷりの戦場は、男子たるもの(いや、女性でも)誠に不謹慎ながら思わず手に汗握って見入ってしまうしかない。

こんな魅力的な部分を数多く持つ「0083」であるが、やはり物語の背景として「機動戦士ガンダム」を持つという業を背負っている為「ガンダム」としての面白さ、痛快さはあっても、それそのものを一つの「ロボットアニメ」として捉えると、その面白さは途端に激減してしまうように思える。いや、コレは何も「0083」だけに限ったことでは無い。「0080」や「08小隊」といった言わばアトヅケ的に作られたガンダムの外伝的物語が必ず陥る症状なのである。「ガンダム」として徹底すればするほど、作品自体としては狭く、自由度も極めて少ないものとなってしまうのだ。

更に、この「0083」の位置付けが「機動戦士ガンダム」と「機動戦士Zガンダム」の丁度狭間…つまり、サンライズ(バンダイ、というべきかも知れないが)の言う「正史」の異聞録という立場にある。その為、「0083」は作品の狭間を描いた作品という自らの立場上、その2作、「ガンダム」「Z」両方の世界を知らない人間からすれば、なんとも敷居の高い存在に見えてしまうのだ。

コアなガンダムファンが「G」といったアナザーガンダム作品を否定する時に、バカの一つ覚えみたいに発する「ガンダムである必要性を感じない」という言葉、これこそが本作の立場を逆説的に説明している。「G」「W」「X」「∀」は、「ガンダム」と名を冠しているもののそれはスポンサーと制作陣の都合によるものであって、「ガンダム」という名前を使わなくても成功したかも知れないという事の裏返しである。
それに対し本作のような外伝的にアトヅケされた作品群は、「ガンダム」という枠が無ければ存在そのものが危ういという非常に他の作品に依存したものになってしまっている。

「0080」にてメカデザインを担当した出渕裕氏は、作品に登場するニュータイプ専用試作ガンダム「アレックス」の設定に随分と悩まされたという。「08小隊」ではオデッサ作戦以前にジムやガンダムが量産され、前線に配備されているという「ファーストガンダムとの矛盾」に、「先行量産型試作機」というかなり苦しい言い訳をするハメになっている。いや、「0080」や「08小隊」はまだ良い方である。バックボーンとなる作品が「機動戦士ガンダム」1作品だけであるし、ファーストガンダムは本編終了後に自ら「MSV」というサイド設定を展開している為比較的自由度は高いし、「0080」はアルという少年を視点として戦争の悲劇を描き、「08小隊」では「ロミオとジュリエット」的な大恋愛を主軸に据えている。その為まだ作品に遊びの要素を持ち込めたのだ。

しかし、この「0083」は前述したように、「機動戦士ガンダム」をプロローグ、「機動戦士Zガンダム」をエピローグとして抱えている。つまり、物語において大胆な設定を打つ事をはなっから許されていないのだ。だからこそ本作はガンダムファンの言う正史に大きく逸脱することは無いが、その分単品で見ると軍隊主義的なシリアスな部分と派手なメカニック群が先行してしまい、魅力が大幅に減ってしまっている。

つまり「ガンダム」のお約束を遵守し、徹底的に保守に回った為、作品自体が「ガンダム」という枠を更に凝り固めてしまったのだ。そして、その狭い枠においてしつこいまでに細かいSF設定や、シリアスぶった軍隊主義という部分に内容を包み隠し、特にビジュアル面のみに終始してしまっているのだ。
よく「W」に対し、「ビジュアル面ばかり先行している」なんて評する人もいる様だが、ハッキリ言ってこの「0083」も彼等の言う「ビジュアル先行型」の作品に他ならない。ただキャラクターで魅了するかメカで魅了するかの違いだけである。

更に言ってしまえば、本作のライバルキャラクターであるガトー少佐達ジオン軍人の「男臭さ」がファンに高い評価を得ているが、彼等は一年戦争における敗戦の将である。ぶっちゃけてしまえば、その設定さえ上手く活かせればカッコ良く演出することなんか簡単なのである。特に日本人は判官贔屓な性分を持っているので尚の事だ。悲しいことに、この辺りを念頭に置いて作品を見るだけで本作の面白さは大きく変わってしまうのである。

そんな狭い世界観のジレンマによって生じた歪みが大きく表に出たのは後半、「星の屑」の最終段階である。コウとガトー…追い続けた者、意地を通した者…物語の主役であり、今まで物語を引っ張り続けた2人の決着は遂に、「ガトーの連邦艦隊への特攻死」という結末を迎え、最後に「星の屑」を阻止したのは後の「Z」にてティターンズを指揮するバスク・オム…そして、2号機強奪以降は連邦からも厄介者扱いをされ続けたアルビオン艦長シナプスも、戦後処刑されてしまう。

確かに戦場にて一兵士、一指揮官の存在とはその程度のものなのかも知れないが、あまりにも救いのない、やるせない展開である。「Z」という結末が控えているが故に、作品の結びもこのような形にせざるを得なかった事は理解出来る。しかしこれだけロボットアクションとして完成された本作が、世間での評価を微妙なモノにしているのは間違いなくこのポイントであろう。やはり、コウはガトーを越えなくてはならなかったし、コロニーを止めるのはアルビオンでなくてはならなかったのではないだろうか。でなければ、今まで徹底してシリアスに、クソマジメに描いてきた本作の存在意義が台無しだ。

思えば、サンライズやバンダイが「正史」だの「オフィシャル」等と盛んに言い始めたのはこの「0083」の時期と少なからず被っているような気がする。そう考えるとこの「0083」は以降のガンダムの展開を予見させるものであったと言えるのかも知れない。
これは完全に自分自身の感性次第になってしまうのだが、少なくとも私は「ガンダム」という世界観を遵守するのではなく、逆にぶち壊してしまうようなパワーのある作品の方に高い評価をしたい。ファーストガンダムからシリーズが着実に築き上げた「宇宙世紀」という架空史の1ファンであっても、だ。

この「スターダストメモリー」は、OVAの人気を受けて劇場版「ジオンの残光」が制作されている。しかし後半の壮絶な戦いに比重を大きく取っているので、出来ることならばOVAの方で視聴することをオススメする。もちろん後半のモンスターマシンのバトルは大迫力ではあるが。

ちなみに、この作品ほどヒロインの行動に???が付いたロボットアニメは少ないのではないだろうか?本作のヒロインであるニナはクライマックスで「昔ガトーと恋仲だった」ということが突如発覚(伏線もあるにはあるのだが、あまりにも弱い)し、コロニーを止めようともせずにガトーの元に走るのだ。更に彼女、物語のラストでウラキ少尉の元へいけしゃあしゃあと帰って来る。思わず

「なんじゃこのクソアマ〜!!」

と罵声を浴びせた人も多いのではなかろうか?(劇場版ではその為かカットされている)しかし考えて見れば主人公のウラキ少尉も変である。あれだけツライ体験をしてコロニー落しを阻止する為に懸命に戦ったにも関わらず、危うく犯罪者にさせられそうになったのに軍を辞めない。そして帰って来たニナまで受け入れてしまう…。まぁ、その辺りも新人類(死語)的ならリアルであるのかも知れないが…。


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