はぁ〜どすこい〜どすこい!!

超力ロボ ガラット

1984年 名古屋テレビ系放映 サンライズ制作 全25話
声の出演:中川勝彦、鷹森淑乃、龍田直樹、緒方賢一、原えりこ、他

簡単解説
全兵器廃止法案が施行出来てしまうほど平和な時代、突如、地球の分譲販売を狙ってエイリアン「宇宙シンジゲート」が来襲する。変わり者の科学者・キウイ博士は以前自分が作ったマイケルの通学ロボ・ジャンブーをガラットに改造。マイケルを乗せて敵と戦わせる。博士は全兵器廃止法案のせいで、正義の為とはいえロボットを製造、操縦したりすると罰せられるという理由でマイケルに正体を明かす事を禁じ、ガラットは宇宙人だということにするが、実はそれもこれも全て州知事から報酬金をせしめようとする博士の悪知恵からであった。


さて、今回は「ガラット」であるが、この作品は如何せん知名度が無い。「機動戦士ガンダム」のヒット以降の…言わばリアルロボットアニメブームに生を受けた…それも、リアルロボットの本家であるサンライズ制作で、尚且つ監督は前年「銀河漂流バイファム」を送り出して高い評価を得ている神田武幸氏…ホントならばもっと注目を集めても良さそうなこの「ガラット」ではあるが、実はこの作品、かなり時代に似つかわしくないというか、とにかく当時としてはかなりぶっ飛んだロボットアニメなのだ。

このガラットの本筋は、一応はヒーローモノというスジを持ってはいるものの、その作風はスジなど何処吹く風で、各自が好き勝手に大ハシャギするという…「ガンダム」よりむしろ「Drスランプアラレちゃん」に近い作り、と言ったら分かり易いだろうか。

妙に露出の激しいオジャマキャラクターや、シリアスな戦闘中にも関わらず、いきなり「お前、切干大根は好きか?」等と言わせてしまう脈絡の無さ…今でこそ…まぁ、それでも流行り廃りには流されているのだが、多種多様なアニメがファンに許容されているが、「ガラット」が放映された時代は一種異様なまでのリアルロボ全盛期。ハチャメチャさがウリであり、ひたすらに突っ走ってしまうこの「ガラット」の存在は、「ヤマト」から「ガンダム」の流れを受け、「アニメは我々の文化だ!!」と声高らかに叫んでいた当時のアニメファンにとって、この「ガラット」はあまりにも捉えどころが無く、少なからず違和感を覚えたであろう。

そして、必然的にこの捉えどころが無い、という部分こそがこの「ガラット」を放映期間短縮に追いやった原因でもあるのだが、今現在この作品を見直すと、当時への郷愁よりもむしろ新鮮さ、斬新さが感じられる。実際当時としても、一般にアニメファンと呼ばれる連中以外…それこそ「ゲバゲバ90分」とか「オレ達ひょうきん族」なんかを見ていた層にはそれなりに支持を受けていたとも聞く。ナゼ今更この「ガラット」を見直すと新鮮に見えるんだろうか?ナゼ「ガラット」はアニメファン以外に支持を受けたのだろうか?

その理由は、当時としてはこの「ガラット」は非常に先鋭的だったからなのではないだろうか。登場するキャラクターは皆アクが強く個性的…そのアクの強さが主人公を、更には物語のスジまで吹き飛ばしてしまう。このナンデモアリな世界観こそが、ギャグアニメとしても、ましてやロボットアニメとしても何処か型に納まりきらない…その破天荒な部分こそ「ガラット」の本分なんじゃないだろうか。

先程、「ガラット」を今見直すと郷愁より新鮮に感じる、と書いたが、コレと関係ある事例を挙げよう。
「戦闘メカ ザブングル」というアニメがあるが、この「ザブングル」…知名度的にはライブ世代ならまだしも、ライブで体験していない世代にとっては???というようなレベルの、要はフツーの「昔のアニメ」という認識だったと思う。しかし、それが最近外的な要員から変わっている。それは「スーパーロボット対戦α外伝」に「ザブングル」が初参戦した事にも大きく関係している。

この「α外伝」の店頭デモで、「ザブングル」の紹介として流されていたフル装備ザブングルとティンプのガバメントの戦闘アニメ…コレを見れば「α外伝」以降、「ザブングル」が若い世代にも興味を持たれるようになったかが分かる。この戦闘アニメでジロンのザブングルが使う「ザブングルフルパワー」は、ドタ足で敵の傍まで走り、殴り、蹴り、踏みつけ、ぶん投げる…という非常にらしいアニメを見せてくれる。

その動きは如何に動きがついてカッコ良くなったとしても、普段見慣れている「ガンダム」の戦闘アニメより遥かに印象的に映る筈だ。それは「ザブングル」に興味が薄い…ましてや知らない人ならば尚の事である。つまり、ガンダム寄りなリアルロボの形態をしておきながらやっている事はギャグタッチ、という「ザブングル」の異質さを外的な部分に新鮮味…それが例え20年以上のアニメであっても、当時の記憶を持たない世代は新しさを感じてしまうのだ。

そして「ガラット」の場合、この作品は型にはまらないおおらかさというか、自由さがウリのアニメである。そしてそのハチャメチャギャグのバカ騒ぎなドラマの根底にあるのは、リアルロボット路線で完全に業界が納まってしまい、それに反発するアマチュアリズムっぽい…型に納まる事への反発、つまりはアンチテーゼな訳だ。決められた脚本通り、決められた方針で、決められた演出で物語が進み、1歩間違えれば面白さよりつじつま合わせを優先させてしまう…そんなリアル路線に対しする

「どうせアニメなんだからさ、もっと何でもやってみようよ」

という反発こそが、スタッフがこの「ガラット」という作品に掲げたテーマだったのではないだろうか。だからこその自由であり、何でも、どんなネタでも取り込めてしまうおおらかさが生まれたのだ。

但し、確かにムチャクチャ過ぎる嫌いはあるし、半ば暴走気味にやったと思えてしまうネタがあるのも事実である。何しろ打ち切られたという事を差し引いても、何でもかんでも強引に取り込み過ぎて収拾がつかなくなっている部分はやっぱり目立っている。そう考えると、最終回にてドリアル星人大将の「私はちっぽけな夢を叶えたかっただけだ…」というセリフに、「もっと小さな夢を踏みにじったからだ」と答えるマイケル…このシーンは、もしかしたらリアルロボットのワンパターンに染まったアニメ界に一発花火を上げてやろうと意気込んだものの、夢半ばで破れた自分達に対する遺憾の意を込めた、自虐的なパロディなのかも知れない。

この「ガラット」に対しては、参加したスタッフやファンが異口同音に「10年早かった作品」とコメントしているが、このスタッフ側の「10年早かった」には、もう少し経験を積んだ今なら、もっと「ガラット」を面白く、上手くまとめられたんじゃないか?という思いも含まれているのであろう。

そして、なぜ今尚「ガラット」に斬新さ、新鮮さを感じるのかと言えば、価値観の多様性を受け入れる社会体制になっている事から一見幅が広くなったかのように見えがちなアニメ界ではあるものの、実はその逆で非常に閉塞的な世界になりつつあるからなんじゃないだろうか。

若手が育たないアニメクリエイターの体制、そして「売れる事が全て」という商業主義…タマに破壊的なモノが生まれ出ても、結局それすらも商業主義にとり込まれ、最終的にはグロテスクな形で破壊的から破滅的なモノへと変貌してしまう。有名な作品の続編ばかり持てはやされ、受け手にしても自分自身の眼や心より、他人の書いた記事ばかり鵜呑みにする…オタクと非オタクの境界があやふやになり、もっと幅広い層をターゲットにした作品が出て来ても良さそうなのに、結局殆どの作品は安寧にオタク受けに逃げ込んだり、もっと醜い送り手側の身勝手なエゴを振りかざすようなものばかり…。

そんな現状だからこそ、20年も前の作品である筈の「ガラット」を見た時に新鮮さ、斬新さを感じてしまうんじゃないだろうか?コレこそ、当時のファンが本作の打ち切りを嘆き、「10年早かった」と称した理由なんじゃないだろうか。昨今、今までのアニメの常識を覆す「破壊的なアニメ」的な売り文句で世に出た作品も、結局は破壊的というより破滅的なグロテスクなものばかり…そんな中、受け手はおろか、送り手にまで「もっと色々やってみようよ」と呼びかける本作は、今の世だからこそもうちょっと評価されても良いんじゃないかな、と思わずにはいられない。

…まぁ、最終局面でオジャマキャラだった筈のどすこい姉妹が表舞台に参入し、しかも主人公達の逆転のキッカケになったりする当りは、思わず打ち切りが決まってヤケクソになったのか?等と邪推してしまったりするのだが。ちなみにこのどすこい姉妹、後に「Z」のハマーン等を演じる事になる榊原良子さんが当てているのだが、このどすこい姉妹はコメディに対する苦手意識を払拭するいい契機になったんだとか。この「ガラット」と同じ年に「風の谷のナウシカ」が公開されているのだが、そこで榊原さんが演じたクシャナ姫と、「ガラット」のどすこい姉妹のギャップは凄いものがある。

さて、余談だが本作の主役・マイケルの声を当てた中川勝彦氏は、オタク系趣味で人気のタレント、しょこたんこと中川翔子さんの親父さん。元々はミュージシャンとしてデビューし、その後俳優などもこなしていた方ですが、1992年に急性骨髄性白血病で亡くなっている。特撮やマンガ好きとして知られ、絵心があり絵本なども執筆していたそうで、これは娘さんにも受け継がれているようだ。ともあれ、ご冥福をお祈りします。

最後にどうでもよいネタだが、この「ガラット」のサブタイトルは、「必殺仕置人」と同じパターンで、1話から順に頭文字が「あ」「い」「う」「え」「お」「か」「き」…の順番になっている。「仕置人」は「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」「と」…だが。


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