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THE ビッグオー(漫画版)
1999年 コミックマガジンZ連載 全6巻+番外編「LOST MEMORY」2巻 原作:矢立肇 作画:有賀ヒトシ

簡単解説
ここはパラダイムシティ、記憶喪失の街。原因は未だ分からないが…40年前、この街で何かが起きたらしい。それ以前の記憶を街の人間は誰ひとりもたない。…今でも記憶をなくす人間はいる。しかし人間は常にいろいろ忘れるものだ、それが大袈裟になっているだけにすぎない…。この世界では記憶(メモリー)が何よりも価値をもつ。失った「記憶(メモリー)」を、いつでも思い出せる「記録(メモリー)」を…。
私はロジャー・スミス、交渉人(ネゴシエーター)の仕事をしている。…まともな理屈を通すにも容易ならないこの理不尽な街に、無くてはならない仕事だ。しかし、いつの世でも暴力で物事を解決しようとする輩がいる。そんな奴らには…ビッグオーで立ち向かうまでだ!!


さて、私は所謂「ロボットマンガ」という奴をよく読む。コレはウチの「漫画100選」等を見て貰えば分ると思うのだが、ロボットマンガというジャンルに対して世間の評価という奴は、低い。私自身、良くメール等で人気ロボットアニメをちゃんと見て記事を書いてくれ。マンガ版でお茶を濁すのはやめろ、的な…私から言わせて頂けるのなら不当かつ理不尽極まりない意見を頂戴した事も一度や二度ならず…だったりして、些か閉口していたりもする。今回、今更…かつアニメ版(特に2ndシーズン)を酷評した「ビッグオー」の漫画版を題材に、ロボットマンガの魅力、という奴に触れて行こうと思う。

まぁ、ロボットマンガの傑作を挙げよ、と言われてもこの漫画版「ビッグオー」は次点扱いで、私なら「桜多版マジンガーシリーズ」や「ゲッターロボシリーズ」をいの一番に挙げてしまう訳だが、この作品の場合、比較対象であるアニメ作品の「ビッグオー」がある、という事が今回は重要なのだ。今回の場合、原作でもあるアニメ版「ビッグオー」の私の評価は、世間のアニメファン…とりわけ若い世代が絶賛した作品であるにも関わらず、コキおろしている。作品にちりばめた"謎"の13話での回収が無理なのは、まぁ分るが、その回収を求められて制作された2ndシーズンにも関わらず、むしろより訳が分らなくなった顛末と、これから伺えるメインスタッフの「頭でっかち」さ…。更に、主人公であるロジャーを筆頭とするキャラクター達の「ぶってるだけ」な中身の無さ…これに不満が…いや、不愉快だったのだ。

wikiによると、本作は「エヴァ」の様な「ディテール過多」や「ガンダム」の様な「設定偏重」にならないようデザインワーク等をシンプルな形にし、物語自体も自由度のあるものにする、というのがコンセプトの一つだった筈なのだが、結局の所、シンプルなのはキャラクターやメカのデザインライン程度で、物語はやったらめったら出てきては話を混乱させる"謎"のせいで決してシンプルで自由度が高い作品になっているとは言い難い。まだ「1stシーズン」はこのコンセプトに忠実であろうという節は見受けられたが、「2ndシーズン」となってからはアレックスやアランの様な、本来重要なキャラクターであるのに、むしろ邪魔だった様にも思えてしまうキャラクターによって、このコンセプトは崩壊してしまっている。

結局、総論としてはこの「ビッグオー」を称賛している人達には悪いが、別に騒がれる程の事をした訳でもなく、注目すべき点も薄い凡作…いや、少なくとも「2ndシーズン」に至っては駄作であり蛇足、と断言しても良い。勿論、ビッグオーを始めとする重厚感を感じさせるレトロながら新しい異形のロボットデザイン等、面白い部分が無かったわけではないものの、それを帳消しにする欠点も多かった、という所か。

ここで本題。だったらその駄作を原作としたコミカライズ作品はどうだったのよ?という事になる訳だが、この作品、「1stシーズン」の放送終了後もしばらく連載が継続されており、「2ndシーズン」の設定を取り入れていない為、独自の終わり方をしている。ココで重要なのは、「2ndシーズン」はこの漫画版においてはある意味「無かったこと」扱いな所。それ即ち「謎の解明から解放されている」という事でもある。それを裏付けるように、漫画版ではロジャーに過去に対して否定的ともとれる台詞を言わせているのだ。

「過去というのは過ぎ去った事実だ。大切なのは現在とこれからだ。」
「同じ夢を見るんだったら、過去より未来への夢のほうがずっといい。」

等がその代表例であろう。「2ndシーズン」は、"「1stシーズン」の謎の解明"という主題があった…筈なのだが、結局はうやむやのまま終わった感が否めない。そのせいで余計にすっきりしたイメージにならなかった感がある訳だが、漫画版サイドでは、アニメ版サイドから「独自に謎の解明をやるのはやめてくれ」的なオーダーがあったのかも知れないが、謎に関しては重要視していない。いや、謎を謎としてそのまま作品に封入…というのではなく、パラダイムシティーの住人達を、"謎を事実として受け入れて生きている人々"と設定して物語を展開していると言った方が正確かも知れない。アニメ版が謎の解明に泥濘し、次第に混乱し自由度が崩壊していったのに対し、漫画版では"それはそれ"として物語を構築したおかげで、本来の「ビッグオー」のコンセプトである「自由度の高い作品」となりえたのではなかろうか。有賀氏はコミカライズの際、原作であるアニメ版を尊重して大きな崩しはしていない…のだが、結果論ではあるが、ある意味原作…特に回答編であった筈の「2ndシーズン」を、「2ndシーズン」が始まる前に否定している風にも見えるのだ。

そもそも、邪推ではあるのだが、元々企画段階から参加したアニメスタッフ達は、自分達が提示した謎に対し明確な答えなど持っていなかったのではないだろうか。だからこそ、その謎を解明せよ、と言われて混乱したのではないだろうか。監督の片山氏の「2ndシーズン」に対し、最初から逃げ腰だった、とも聞くが、もし思いつき的に謎を封入しただけで、実は中身なんて考えてませんでした、というのなら、「2ndシーズン」の訳のワカランうすら寒さや氏の逃げ腰にも納得がいく気がする。それに対し、開き直り的にその"謎"の部分をカットしてしまった漫画版、というのはむしろ正しい「ビッグオー」とも言える気がする。

勿論、"謎"という厄介なモノを放棄しただけではなく、独自のウリが無くては原作ファンから反感を買ってしまう訳で、面白い作品ともなりえない訳だが、漫画版では結局のところ中途半端に終わっていたキャラクターの掘り下げに心血を注いでいる。特に、ロジャーに対するかませ犬的な印象しかなかったベック等はただのチンピラからパラダイムシティーでも名の通った大物犯罪者、と大幅に出世しており、アニメ版に見られたコミカルな部分は部下に受け持たせ、かなり強大なロジャーの"敵"として君臨している。このベックというキャラクターは、有賀氏がキャラクターデザインを見た時から惚れた、と語っている位なのでウマが合ったキャラクターなのだろうが、基本的にはアニメ(「1stシーズン」)に大きくは逸脱せずに進行してはいるが、このベックの扱いに関しては明らかに違っており、シュバルツバルトだのエンジェルとは別の…分り易い「悪」として彼を設定したのは成功だろう。

更に言えば主人公であるロジャーの印象も結構違う。アニメ版のロジャーは、紳士的なフェミニスト…なのは表面だけで、すぐにキレたりとややガキっぽい印象があり、基本的に性悪な印象すら受けるのだが、マンガ版のロジャーは割と物静かに見える。と、いうのも有賀氏自身、自分が書いたロジャーが、書いた後に実際に見たアニメのロジャーとかなり印象が異なる事に衝撃を受けた位だ。と、いうのもやはりアニメスタート前に台本やキャラクター設定画等を見て自分なりのロジャー・スミスをイメージして書いたのが初期の漫画版ロジャーなので、当然後から仕上がってきたアニメ版との相違は出てくる。これは偶然ではあるが、その結果漫画版ロジャーにはアニメ版の彼のような「ぶってるだけの薄っぺらな男」という印象は薄まっている。また、五巻と六巻の間に位置する「ロストメモリー」にて、アニメ版ではさしてなかった苦悩するロジャーが描かれており、この辺のフォローもアニメ版にはなかった親切さと言えよう。

そんなコミカライズ版「ビッグオー」は、原作とは違う形で物語を結んでいるのだが、その結び方もアニメ版の「質問を質問で返す」ようなものではなく、非常に奇麗にまとめている。昨今のアニメ作品のコミカライズという奴は、原作者に当たるアニメスタッフサイドから「自由にやってくれ」とされるケースが多いようだが、だからこそ出来たキャラクターの掘り下げであろう。もっとも、アニメから漫画であろうと漫画からアニメであろうと、原作原理主義的なファンからそういった類は否定されてしまうケースも多く、その"許された独自の展開"とはいえ、「ガンソード」のコミカライズの様な…なんじゃこりゃ、というものも少なくない。ただ、上手く活かせば本作の様に原作より原作らしい作品ともなりうるのだ。

但し、やはりロボットモノ漫画最大の弱点であるメカアクションに関しては、迫力の面で劣ってしまっている感は否めない。こういう部分は動きそのものを見せられるアニメの方に最初から絶対的なアドバンテージがあるのだが、漫画や小説にも「受け手の想像力に委ねる」という形で戦いようはあるのだが、ややその辺に関しては残念だった印象はある。時にコミカルな動きを見せたり、と随所に工夫は見られるものの、ハンデを帳消しにするほどではなかった。もっともこの漫画版「ビッグオー」に関して言えば、メカのウリはその重量感…スピード感、躍動感とかであれば、荒々しいタッチを使う、派手なポーズをとらせる、といった形でカバー出来るが、ビッグオーの求められるアクション自体が漫画向けのモノではない。コレはハナッから厳しいのは分りきっている部分ではある。

とはいえ、マンガ独自の"見せ方"で頑張っている部分もある。例えばこのコミカライズはアメコミ風なモノトーンの描写でシンプルながら奥行きのある描き方がされていて、マンガを読み慣れない人には読み難い絵ではあるものの、パラダイムシティーの薄暗い閉塞感の様なイメージを出しているし、ビッグオーの見せるアクションシーンにしても、構図等でその巨大さ、重さを表現しようという苦労は垣間見える。直接的に動かない分、味のあるものにはなっていると言えるのではなかろうか。

ロボットマンガ、というモノは確かに媒体の違いから来る欠点は少なくない。人間やモンスターのバトルと同様アクションシーンに迫力を生むには、絵としての勢いや構図だけではなく、メカ描写の正確さといったモノも要求される。その上、メカが動いている、という説得力を生む為に質感等も必要になる。要求されるものが多い割に、直接的に動きを読者に見せる事は出来ない。コマ割りを細かくしてパラパラアニメ的にしてみた所で、それは動きではなく連続した絵に過ぎない。これなら、半端に絵を見せられる漫画より活字オンリーの小説の方がまだマシ、とすら言えるかも知れない。特にアニメ作品のコミカライズ、となるといやがおうにも動かせる強みを持つアニメ版と比較されるのでその不利は決定的だ。

ただ、そんなロボットアニメのコミカライズの中にも、アニメに匹敵する面白さを持つ作品も存在する。むしろ目線を変える事によって、アニメにはなかった物語の深みを打ち出せていたり、逆に動きは見せられずとも一枚絵の絵としての説得力で、迫力ある戦闘アクションを見せる…というより感じさせてくれる作品だってある。アニメ版を見ていたならそのフォローになっていたりする場合もあるが、メディアミックス的にアニメ作品とは別の展開を見せ、それがたまらなく面白い、というケースも少なからず存在するのだ。

アニメは動きを見せられる…それは長所であるのだが、同時に見せてしまう事は短所にもなる。どうしてもアニメは受け手が完全な受け身になってしまい易い。その点、漫画は活字ほどではないにしろ、受け手の想像力を刺激する事も出来る。更に言えば、原作であるアニメを踏まえたコミカライズであるならば、アニメでは出来なかった部分の掘り下げ、解釈の提示にも出来たりもする訳だ。実際、アニメのコミカライズは丸っきり同じ展開をなぞる、というケースは案外少なく、野心的に「作家の主張」が出ている作品もあり、そこがたまらなく魅力的なケースだってあるのだ。

確かに、ロボットモノは漫画にとって鬼門に近い。他の媒体に比べ不利に働く条件は多い。だが、不利なだけで戦えない媒体ではないのだ。そこは決して侮ってはいけないのだよ、ウン。



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