リハビリと思わせて…

ブレンパワード

1998年 サンライズ制作 全26話 WOWOW放映
声の出演:白鳥哲、村田秋乃、朴瑠美、渡辺久美子、三木眞一郎、他

簡単解説
ビル街に海から巨大なプレートが落ちてきた。そして中からは巨大な人型の物体が…これがブレンパワードのリバイバルの瞬間、そしてブレンパワードと宇都宮比瑪との出会いであった。そして、オルファンのグランチャー乗り・伊佐美勇はオルファンの目的に疑問を感じ、組織から脱走。たった1人でオルファンに対抗する事を決意する。


ご存知、「機動戦士ガンダム」の産みの親・富野由悠季氏が久しぶりに指揮を取ったロボットアニメであり、BS局から始動した初期のオリジナルアニメとしても話題を呼んだのがこの「ブレンパワード」である。「機動戦士Vガンダム」から実に5年のブランクを得てスタートし、克つ久しぶりに「ガンダム」ではないロボットアニメを富野氏が作る…1995年からのいわゆる「エヴァブーム」とやらが完全に沈静し、話題に昇る作品に飢えていたアニメーション業界にがこの作品に期待しない筈もないだろう。

そしてこの作品の裏側には、かなりキナ臭いものがあったりもする。
多くのアニメ評論家も指摘する通り、富野氏は「新世紀エヴァンゲリオン」を見たからこそこの「ブレンパワード」を作ったのだろうと匂わせる展開がそこかしこに隠されているし、一連のオウム事件と氏が監督した「機動戦士ガンダ逆襲のシャア」が思想的に似通った部分がある等と指摘された事に対する回答らしきものも含まれているように感じられる。更に、この「ブレンパワード」のキャッチコピーは

「頼まれなくても生きてやる」

だった。コレも明かに当時「劇場版エヴァンゲリオン」と同時期に上映され、何時の間にやら「千と千尋の神隠し」に隠れてしまった宮崎監督の「もののけ姫」のキャッチコピーである「生きろ」への対抗意識が剥き出しであった。

つまり、この「ブレンパワード」という作品は作品内容そのもの以前にそういった外野の部分の話題性が注目されていた作品と言えるのかもしれない。ともあれ、この久々の富野氏の非ガンダム作品は色々とファンの間で物議を呼んだ。

しかしこの作品、残念ながら「エヴァ」程の話題も呼べず、「もののけ姫」程の評価も受けなかった。更に「G」「W」「X」とガンダムから氏が外された後に監督した「∀ガンダム」により、すっかり目立たなくなってしまった不遇の存在と言える。

さて肝心の内容であるが、この作品、今までの富野作品と比較してもかなり劇中用語が多い。簡単に説明すると、突如海底から目覚めた何物か分からない「オルファン」…このオルファンのエネルギーは人間の生体エネルギーであり、コレが目覚めた時地球上の全ての生体エネルギーを吸い取ってしまう可能性がある。
それに対し主人公・ユウの両親を筆頭とする科学者はオルファンと共に宇宙への逃亡を画策。それに対し皆で生き延びる道を模索するノヴィス・ノアの面々、そしてオルファンの持つ超科学を利用しようと目論む権力国家…こういった連中のドロドロとした駆け引きがこの作品の軸である。

また、オルファンが使役するアンチボディと呼ばれるロボットが、主人公側のブレンパワードとオルファン側のグランチャーである。要するにオルファンを「HANDMAIDメイ」みたいな萌えアニメの主人公に例えるなら、このダメ人間にかいがいしく世話を焼くメイドロボットがアンチボディといった所か。

…いいのか?こんな例えで。(苦笑)

それはともかく、こういった大風呂敷な設定やいわゆる富野節なんて呼ばれる台詞回し、更にはキャラクター描写等に関して言えば、この「ブレンパワード」は今までの富野作品の枠を踏み越えるものではない。特に今までの「ガンダム」とはかなり似通った要素がある。

例えば主人公のユウの家族、つまり伊佐美家は完全に崩壊した家族的に描かれている点はアムロやカミーユを連想させられるし、イカれちゃった系のキャラクターであるクインシィやジョナサンもカテジナや黒騎士等といったキャラクターに被る部分が強い。また、メカニックに目を向けてもこのブレンパワードは有機的なデザインが特徴で、作中では人間的な扱いを受けている。搭乗者との意思疎通が可能で、生体エネルギーを活用して特殊な能力を発揮したりもする。特に生体エネルギーを糧にして動くという部分は本作と同じく富野作品である「聖戦士ダンバイン」のオーラバトラーに非常に良く似ているのだ。そういえば、デザイン的にもアンチボディとオーラバトラーは全体像としては異質であるが、本質的なものは似通っているように思える。ブレンをデザインした永野護氏にオーラバトラーをデザインさせれば、コレに近い形状になるんじゃないだろうか?

つまり、この「ブレンパワード」は富野的な要素を拾い出して楽しめるファンには通常通り楽しめる作品なのかも知れないが、「富野のなんたるか」的なものが自分自身で整理出来ない人にはかなり不評を買う作品のような気がする。とかく主人公達のヒーロー的な活躍など描かれないし、ロボットアクションもスタッフに邪魔者扱いされていたぐらいなのでシーン自体も少なく、かなり薄味である。少なくともこの作品は爽快感を求めて見られる作品ではないのだ。

ではメッセージ性やドラマ的な部分を見たらどうだろう?
それもやはり人を選んでしまうと言わざるを得ない。最初に述べたような庵野氏の「エヴァ」に対する富野氏の対抗意識みたいなものがあるし、オウム事件に対する自らの結論みたいな要素もある。つまり、作品の表面上のドラマだけならともかく、根本的な部分、つまりは富野氏が何を言いたいのか?という部分はこの「ブレン」以前の富野氏について色々と余計な事を知っていなくては分からないのだ。

今だ「富野由悠季は天才だ」的なノリで出版される本は後を絶たない。「機動戦士ガンダム」のヒット要因が実は外野の部分だった事を考慮するとこの意見に疑問を持ちたくなるのが心情なのだが、実際に氏は天才なのかも知れない。ファンに対しても、同じ道を行く他のクリエイター達にも氏は容赦しない。妥協もしない。自らの作品のファンだと名乗る者に対しても、「可哀想に」的な発言をする人である。そしてズケズケと物を言う一方で、自らが認められないとつまらない逃避をしたりもする。確かにこりゃ天才だ。

氏が「ガンダム」から追い出されたのか、それとも自ら振ったのかそれは判らない。しかし少なくともこの「ブレン」をやっている頃は富野氏は「ガンダム」に捨てられたのではないだろうか?いや、捨てられたと感じていたと言うべきか…。そんなフラストレーション的なものを妙に強く感じるのである。だからこそ、この「ブレンパワード」という作品は富野ガンダムの焼き直し、いや、氏がガンダムでやり足りなかった事がねじ込まれているような印象を受けるのだ。

ただ、それがエンターティメントとして成立するかどうかは疑問だし、実際私は「ブレン」を面白いとは感じなかった。
そんな「エヴァ」、「宮崎アニメ」、「自分を捨てたガンダム」、「オウム事件の責任」…そういったモノに対する怨念のようなものを強く感じてしまって素直に楽しめないのだ。

一時期に比べれば作家としてかなり1歩引いたスタイルで仕事をしているように見受けられる富野氏…。しかし未だに「機動戦士ガンダム」や「伝説巨神イデオン」といった作品を神聖視して彼を支持し続ける人もいる。この「ブレンパワード」という作品は、実はそういった富野信者と呼ばれるような人にしか楽しめない作品なんじゃないだろうか?この「ブレンパワード」において富野氏は、むしろそういった存在に対してのみ言葉を発しているように見えてしまうのはただの勘違いだろうか?


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