「ガン×ソード」より 第3話「勇者は再び」
脚本:倉田英之 絵コンテ:笹島啓一、谷口悟郎 演出:久城りおん 作画監督:斎藤久


大分前…といっても「ガン×ソード」の本放送が終了した後の事、古株のゲストの方は知っている事とは思うが、「大惨事!!スーパーロボット大全」の慢性的ネタギレ解消を目論み、ロボットアニメDVD後追いレビュー…名付けて「月¥5000をドブに捨てる事になるか?プロジェクト」をやっていて、そこで私が選んだのが何を隠そう「ガンソード」だった。今回、「スーパーロボット大戦K」にて初参戦を果たしたこの作品…本放送時から熱心に支持していたファンも意外と多い作品な訳だが、正直、「大惨事」での記事を読んで貰えば分かるとは思うが、完全にノれなかった訳ではないのだが、少々…何というか、不完全燃焼みたいな部分があり、絶賛するまでには至らなかったのだ。しかし、この「ガン×ソード」という作品、私にとってどうしても外せない、燃えに燃え、泣きに泣いたエピソードがある。そう、アレだ。

エピソード解説
それぞれの目的を胸に秘め、さすらいの旅を続けるヴァン一行。彼等が流れ着いた町、グローリア…この町のハズレにある酒場「ピンクアミーゴ」では、かつて町を守り、勇者と呼ばれていた4人の老人が昼間から飲んだくれていた。そんな彼等を…かつての姿を知る大人達は悲しみ、かつての姿を知らない若者達は蔑み、嘲笑していた。
そしてこの町にはもう1人、町の人々から疎外されている男がいた。彼の名はブッチ。ただ一度の失敗の為に、人々は彼を疎み、迫害した。そんな彼は、独自に”あるもの”を作り、たった、たった一度の失敗だけで自分を嘲笑し、迫害した町に復讐を始める。そんな中、彼の前に再び勇者が立ちはだかる…!!


そう、ご想像通り、「勇者は再び」…即ち、「エルドラV」である。
「ボンクラ共の理想郷」こと惑星エンドレスイリュージョン…それは即ちアニメファン、いや、ストレートにオタク受けする要素を闇鍋的にゴチャマゼにした世界、というのが私の解釈なのだが、その中に、古典的、いや王道とでも言えるような熱いロボットアニメヒーローがいたっていいじゃないか、というのがこの「勇者は再び」というエピソードの主旨なのだろうが、雑多な感すらある「ガン×ソード」という作品のエピソード群の中において、このエピソードがいの一番に語られる事が多いのは、このエピソードをこのエピソード足らしめるある一点である、と思うのだ。

その一点とは、「ヒーローのその後を描いたこと」…しかも、戦いの末に平和を勝ち取り、皆と仲良く暮らした、という様なものではなかった事だ。ココで、今回メインでもある「エルドラV」について、一応ウラ設定的な部分の解説をしておこう。

エルドラVとは、熱血漢のネロが駆るグランヘッダー、皮肉屋なホセの駆るボディガンダー、縁の下の力持ちなバリヨの駆るパワーハンダー、最年少カルロスのナイスフッター、そして紅一点のチヅルが駆るピンクアミーゴの5つのメカが合体したヨロイ(この世界におけるロボットの総称)であり、かつてグローリアを戦乱の渦に巻き込んだ悪の「ザウルス帝国」と戦い、これを撃退した勇者。ザウルス帝国との決戦の後、紅一点のチヅルは愛機の名前をとった酒場「ピンクアミーゴ」を経営するが、他のメンバーを残し故人となっている。現在「ピンクアミーゴ」は彼女の孫娘であるユキコが継いでおり、ネロ達4人が毎日入り浸り、飲んだくれている。その為、彼等のかつての姿を知らない若者には煙たがられている。

ココで殆どの人が気がつくと思うのだが、熱血漢、皮肉屋、大男、子供、紅一点、という構図や、彼等が乗るロボットが5体合体である点、そして紅一点の名前がチヅル…そう、「エルドラV」の構成は、往年のロボットアニメ「超電磁ロボ コン・バトラーV」をモデルにしたもの。この「コン・バトラーV」は、1976年に放送されていたロボットアニメであり、「ガン×ソード」が放送されたのが2005年であるからして、30年程の隔たりがある。「コン・バトラー」の豹馬達は当時10代半ばであるので、「ガン×ソード」では40代半ば…。「ガン×ソード」内でのホセ達は60歳前後に見受けられるが、コレはある意味、「ガン×ソード」を見たアニメファンは恐らく「コン・バトラー」をライブでは見てはおらず、見ていたとしてもビデオや再放送…「スパロボ」とかをプレイしていればその程度、という事を考えると、プラス20歳分というのは違和感は薄いかもしれない。いや、我ながら変な計算をしている訳だが、何を言いたいのかというと、かつては眩いばかりの光を放っていた英雄たちの成れの果て…コレをたった30分の中で描ききっている、という点だ。

余談だが、秀吉が天下を治めた後、石田光成を始めとする文治派の若い武将を重用した事で、武断派と言われる福島正則といった武将との中が険悪化し、結果、天下分け目の関ヶ原でも、豊臣恩顧の武断派武将の多くが徳川方についた、というのは歴史の授業でも習っただろう。戦乱時と平和時では、求められるスキルが違う。コレをリアルに当てはめたのが、今回の「勇者は再び」なのではなかろうか。

ネロやホセ達の立場というのは、オタク業界に当てはめると昔の「名作」にしがみついて今ある作品を貶してやまない、このコラムを書いている私の様な(苦笑)ファンとすれば、そんな我々を苦々しく…煙たく思っているファンは、ネロ達を冷ややかな目で見つめ、嘲笑していたグローリアの若者である。いや、この構図は歳の差、世代の差という部分でどの世界、業界でも一致する部分だろう。私とて、ガキの頃は「俺の若い頃は…」的な物言いをしている大人達に反吐が出る思いを抱いたことも少なくなかったクセに、三十路に突入した今となっては、気がつくと「俺の若い頃は」的な物言いをしてしまっている事に気がついたりもする。この辺を押えておくと、ネロとブッチのクライマックスでのやり取りにもやや違った趣が見えてくるじゃないか。

町に復讐を果たそうとするブッチ、彼は、彼の前に立ちはだかるエルドラVに向かって叫ぶ。

「お前達もバカにされただろう、要らないって言われただろう、違うか!?
誰も分かってくれない、認めてくれない…なのに!!
こんな町をどうして!!どうして守ろうとする!!」

悲痛な若者の叫びに、老人達は一片の迷いも無く答える。

「若いな、若造
俺たちはそんなものが欲しいんじゃない。
そう、皆の思い出さえ守れればそれだけで…
それだけで…それだけで…
それだけでいいんだ!!

「戦国魔神ゴーショーグン」というロボットアニメがあるのは皆さんもご存知とは思うが、この作品、物語の”その後”において、敵の幹部はフライドチキンのチェーンで経営手腕を発揮したり、大統領選に出馬、当選したり、自らの美学を論文にして学会に一大センセーションを巻き起こしたり…と、活躍したのは敵幹部の方で、主人公チームの方は、アルコール依存症になったり、書いていた自叙伝がまったく売れず、冴えないホットドック屋になったり、という顛末だったりする訳だ。一応、ロボットアニメ作品の主人公…それもヒーローモノとしての要素が強ければ強い程、前向きな未来像が与えられてはいる。しかし、彼等は本当に幸せになったのだろうか?エルドラVを駆った事を知らない若い世代に厄介者扱いされているネロ達の様な目にあってはいないだろうか、平和に溺れ、かつて彼等を憧れの眼差しで見つめていた人々に悲しい視線を送られていないだろうか?

可能性の問題ではあるし、そうとは限らない。でもゼロとは言えない…末路としてのヒーロー、という点でネロ達には不思議な説得力がある。モチロン、我々が何となくでも「そうなっちゃっているかも…なってしまっていても仕方ないかも」と思ってしまうのは、我々もまた時を隔て、子供では無くなっているからだ、とも言える。どんな人間であれ、生きていれば死にたい様な気分になった時や絶望に打ちひしがれた経験なんざイヤッというほど体験してきた筈で、かつての少年だった頃の様な、無垢さ、純真さというのはもう煤けてしまっている…夢も希望もなくなり、むしろ夢を理由に怠惰を貪る奴らに対し怒りすら覚える様になった…そんな我々だからこそ、かつての英雄の成れの果てであるネロ達の姿に、30年、40年後の兜甲児であり、流竜馬であり、葵豹馬といったモノをいやがおうにも連想してしまわないだろうか。

だからこそ、かつての憧れの英雄が、護って来た者達の冷たい視線、仕打ちを受けながら…それでも再び立ち上がるその姿が、もうこれ以上無い程キテしまうのだ。

そんな彼等は、もう酒場で飲んだくれていた目障りな老人ではない。紛れも無く、そしてやはり勇者なのだ。
いや、私は別に、全ての業界、状況において先人をリスペクトせよ、なんて事を若い世代に押し付けがましく言いたいのではない。むしろ、私自身、我々の世代の方に、彼等に見習うべき部分があるのではないか…そう思うのだ。彼等はやっぱり彼等だった…だったら、俺達だって何とか出来るんじゃないか?と、そう思わせてしまう”何か”こそが、この「勇者は再び」というエピソードが他の…王道ロボットアニメにすら持っていない…いや、出せない最大の魅力なのだ。若い世代向けの作品である筈の「ガン×ソード」ではあるが、ある種「老いることへの心構え」を説いている、というのは、決して大げさな話ではないと思うし、人事でもない…どころか、切実だとすら思うぞ。

最新型とロートルロボ、力の差は歴然…しかも彼等には故人となったチヅルとピンクアミーゴという決定的に不足しているものがある。
それでも、彼等は言い訳をしない。

「負けられないな。」
「ああ、いつもの事だ。」

苦戦し、一方的に痛めつけられるエルドラV…そのピンチに、彼等の生き様、戦いに胸を打たれた”縁の下の力まかせ”によってピンクアミーゴと合体成功、その時、彼等4人は確かに、当時の姿のままのチヅルの微笑みを見た…!!と、最初から最後まで、徹頭徹尾熱い展開が繰り広げられる。暑苦しい、ベタベタ…言いたい奴には言わせておけばいい。ネタと捉えられかねない展開ながら、”標榜でしかないリアル”にはない、あまりに巧妙に隠された、ネタと呼ぶにはあまりに重いモノに気がつけないならば、

「若いな、若造」

と、いった所か。(笑)
ともあれ、彼等”かつて勇者と呼ばれた者”ではなく、”今尚確かに勇者である”老人達の活躍…コレは、泣けるのです、堪らなく。

私も30年後、エルドラVの面々の様に”カッコ良い爺さん”になれるだろうか。いや、私じゃあなれないだろうな、うん。

オタク視点的ポイント
1.同じ谷口監督作品の「スクライド」は、現在「ジャイアントロボ 地球の燃え尽きる日」を連載中の戸田泰成氏によるマンガ版があり、アニメ版とは全然違う展開ながら、独特のアクの強さが人気となった。今回の「ガン×ソード」もチャンピオンに連載されていたマンガ版があるのだが、コレがまた全っ然アニメ版とは違う。また、チャンピオン版以外にアニメの外伝的位置付けのマンガ「ガンソードアナザー」というものもある。

2.設定は「コン・バトラー」がモデルであるエルドラVだが、デザインはコン・バトラーというより勇者シリーズの主役ロボ…とりわけ、ガオガイガーに近い。コレは、本作のイメージリーダーを務めたまさひろ山根氏が「勇者王ガオガイガー」を始めとする勇者シリーズに携わっている事から。同じく、谷口作品の「スクライド」においてもスーパーピンチクラッシャーという勇者ロボ風のメカが登場したが、コチラも同じ経緯と思われる。しかし、こういうネタとも言える展開は、ある程度世界観が固まってきてから出すモノなのだと思うのだが、世界観も固まらぬうちに、冒険的なこのエピソードを入れてしまう事こそが、「ボンクラ達の理想郷」たる所以なのかもしれない。

3.「ガン×ソード」は放送開始前、ロボットアニメである事が秘匿されていた…という程でもないが、とにかく、いざ始まってから、本作がロボットアニメである事に驚いたファンは多いという。ちなみに1で書いたマンガ版も、この方針の影響で設定が大きく変更されて、ああいう形になったそうな。


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